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えひめ、昭和の街かど-生活を支えたあの店、あの仕事-(平成21年度)

(4)サーカスや映画ロケがやってきた

 写真館を営んでいた**さんは、昭和26年(1951年)、平城の町にサーカスがやって来た時のことと、昭和31年(1956年)に映画のロケが行われた時のことを、写真を見せながら話してくれた。

 ア サーカス

 「昭和26年11月、平城の町にサーカスがやって来ました。サーカスは、今の平城交流センターとその南側の空地に、数百人が収容できる小屋を建てました。組み立て式の仮小屋で、最初、丸太をいっぱい積んだトラックと職人がやって来て組み立てました。その後、動物が檻(おり)に入れられてやってきました。私は写真を撮るため、特別に頼んで小屋の木組みの上の方に上がり、撮影しました。今のように露出計があるわけではないので、自分の勘で調整して撮影しました。空中ブランコをすると小屋が揺(ゆ)れますから、私も揺れながら撮影しました。ゾウに子どもたちが恐る恐る乗ったり、一輪車の演技を緊張しながら見たりしたことを思い出します。」

 イ 映画ロケ
 
 「昭和31年(1956年)、南郡で映画のロケがありました。大映の『無法者の島』という映画です。そのロケに同行して法華(ほっけ)池(今の御荘保育所)で写真を撮りました。この映画は、闘牛の盛んな村の出来事をもとに映画を作ったので、闘牛の場面、巡査が出てくる場面、牛鬼を先頭に祭礼の行列が進む場面、牛のせり市の場面など、たくさん撮影が行われました。闘牛の場面は城辺大森土俵で、巡査の出てくる場面は西海で撮りました。祭礼行列は、平城の町の西の八幡野(やたの)にある八幡神社から宮出しで出てきた場面を撮影しました。
 映画に出演した人たちにサインしてもらったアルバムが、今も残っています。鶴田浩二、黒川弥太郎、坂本武、加東大介、左卜全(ぼくぜん)などと書いてあります。監督の枝川弘さんもサインしてくれました。」
 サーカスや映画ロケの写真と**さんの話から、当時の人々の熱気や時代の雰囲気を感じ取ることができた。