データベース『えひめの記憶』

えひめの記憶 キーワード検索

えひめ、昭和の街かど-生活を支えたあの店、あの仕事-(平成21年度)

(3)未来へのまちづくり

 塩田が廃止された後、塩田の跡地利用のために波止浜興産という会社が設立され、宅地造成やゴルフ場、自動車教習所などの事業を展開している。そのいきさつや会社の理念を波止浜興産の**さん(昭和31年生まれ)に語ってもらった。
 「波止浜は塩田で栄えた町でした。塩水を集め、日に照らして濃い塩水をつくり、釜でたいて塩を作り出すというような、手間をかけた方法で塩を作っていました。ところが、アメリカなどから安い岩塩が入ってきましたので、『今までの手間をかけた方法では採算に合わないから、早めにやめたらどうか。』ということで、当時の塩業組合の組合長であった原真十郎さんが決断して、昭和34年(1959年)に塩田と製塩工場が廃止されました。当時は波止浜の塩業が非常に盛んな時代でしたから、『何でやめにゃいかんのぞ。』と反対の声もあり、問題が大きかったのですが、時代の先を読んで、余力を残して他の塩田より早く整理できたのです。
 波止浜化学工業に代わって波止浜興産が設立され、自動車教習所とゴルフ練習場などを経営しました。教習所は、最初は自動車練習所でした。縄を引いてコースをつくり、練習切符を売って自動車運転の練習をさせていました。その後、運転免許の試験を松山(まつやま)に受けに行くようになっていました。ゴルフ練習場も、当初は糸巻きゴルフボールでクラブも良くなかったので、今とは飛距離が全然違い、周囲のネットも低かったです。
 塩田跡地が19万坪(約62万7,000m²)あるので、そこを埋め立てて土地も分譲しました。土地分譲はあまり儲(もう)からなかったのですが、『人口を増やさないと波止浜が繁栄しない。』という思いで続けました。住宅が密集した波止浜の町並みに住んでいる人や、交通不便な波方の人が移り住んでくれました。
 会社が創立された時から、『地域とともに歩む。』、『儲けたものは、地域に返す。』ことを基本にしています。波止浜の町がダメになれば、会社もダメになります。そこで現在は、波止浜に住む方々が、来島水軍や町並みなどをいかした地域おこしの活動をされていますので、そのバックアップになるような活動をさせてもらっています。また、塩の護(まも)り神である塩竃(しおがま)神社の改修など、協力できるところはお手伝いをさせてもらっています。」
 また、波止浜の近代史に詳しい**さん(昭和48年生まれ)に話を聞いた。
 「私は、愛媛県が平成13年・14年度に行った近代化遺産調査事業の時から、波止浜の町並みの調査にかかわり、波止浜にすばらしい建造物が残っているということで、注目するようになりました。同15年度には、近代化遺産をどう活用するかという事業があって、製塩業の遺産が残る波止浜をもう少し丹念に調べてみようと思い、現地の人に聞き取り調査をしたり、所有者の了解を得て建物の内部を見せてもらったりして、深くかかわるようになりました。製塩業に関係するものでは、専売公社の旧庁舎(平成20年取り壊された)や、入浜(いりはま)塩田の遺構や水路などがあり、塩田の雰囲気が捉(とら)えやすいと思いました。また、波止浜の町並みには、旧塩田地主さんの屋敷がそのまま残っています。丹波屋八木家・升八木(ますやぎ)家・矢野本家などが残っていました。『今治市には古い町並みはない。』などと言われていましたが、実際には波止浜にすばらしい建築物が残されていたので驚きました。
 古建築の研究者にも来てもらって建物の価値を確認し、その価値を高めるために歴史的背景を調べました。そして、県でまとめた近代化遺産の報告書や、自分の著書でその成果を発表しました。
 平成20年に、東京大学や愛媛大学の先生や学生たちが、地元の小学生を対象に、来島海峡と波止浜に焦点をあてて価値ある風景を見出そうとする『風景づくりの学校』の活動をしました。『地元の歴史に詳しい人を。』ということで声をかけてもらい、地元の市民有志らと一緒に参加しました。『風景づくりの学校』に参加した小学生たちは、来島海峡の潮流体験や八木亀三郎邸(升八木家)の見学をしました。小学生は、海上からしまなみ海道の橋を見上げる潮流体験を喜んでいましたし、八木邸の見学では『だれの家なんだろう、お化け屋敷みたい。』と疑問を持ったようです。そこで八木邸に招き入れて、家の価値や住んでいた人がどんなことで儲(もう)けたのか、どんなことをして波止浜の町に貢献したのか、そのことを伝えました。小学生はこの屋敷に実際に入ることができて感動したようで、その後の小学生の会話に八木の名前が飛び交(か)っていました。
 昭和30年に波止浜が今治と合併して以降、波止浜の歴史は埋もれたままであったような感じがありましたが、この活動を通じて、改めて浮かび上がってきたように思いました。
 波止浜湾には1万t級の船が浮かんでいて、『造船長屋』と呼ばれるほど造船所がひしめき合っています。このような風景は、全国を見渡しても他に見ることはできない風景だと思います。全国から集まった学生たちは、古い町並みに感動して海岸に出てきたら、造船所が立ち並んでいるのにまたびっくり、『なんだ、ここは。』と驚くのです。外(そと)の人が『すばらしい。』と言えば、地元の人もその価値がわかって、『よかったな。』と思うようになります。
 理想としては、地元の人たちで企画してイベントを行ったらどうかと思います。例えば、所有者の了解を得て八木亀三郎邸を一般に開放し、催し物をやってみたり、地元の小学生にガイドをしてふるさと学習を行ったりしてはどうかということです。水軍ゆかりの来島、砲台跡のある小島(おしま)、そして波止浜の町並みを結んで、海峡クルージングやしまなみ海道サイクリングなどとも連携すれば、ふくらみのある観光スポットになるのではないかと思っています。」 
 波止浜は、製塩とそれに関連する海運などの産業が発達した町であったが、昭和30年代に製塩業が廃止され、かわって当時発展しつつあった造船とそれに関連する産業が発展し、町のにぎわいが続いた。現在(平成21年)も造船が波止浜の中心産業であるが、町並みはモータリーゼーションの発達から取り残され、にぎわいは失われた。残された古い町並みを見直し、どのように活(い)かすかが模索されている。