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えひめ、昭和の街かど-生活を支えたあの店、あの仕事-(平成21年度)

(2)アイスキャンディーの老舗

 ア 夏に人気の商品は何か 

 「アイスキャンディーを売り始めたのは昭和11年(1936年)からです。その年に両親が結婚したのですが、商売が暇になる夏の時期に、何か人気を呼ぶ新しい商品はないかと2人で考えて始めたようです。商売では二八(にっぱち)と言って2月、8月はあまりお客さんが来ないのです。当時は、あっちこっちでアイスキャンディーを作って販売するお店があったのですが、どこも人気があったので、商売としては良さそうだと思い、始めたと聞いています。横河原は今から80年前の昭和4年(1929年)に重信(しげのぶ)町内でどこよりも早く簡易水道が設置されたので、水には困らなかったのです。水質も良いので、できたアイスキャンディーもおいしかったのです。
 当時の作り方は、水に砂糖を加え、それにイチゴやレモンのエッセンスを入れて、着色料で色を付けたものを試験管のようなガラスの容器に入れ、木枠に並べて棒を差し込み、冷凍液の入った木箱の中に入れて凍らせるというやり方です。冷凍液というのは塩化カルシウムを溶かした液で、色は茶色です。木箱の大きさは横が2m、縦が1mぐらいで、深さが1m、厚みが10cmぐらいあり、箱の内側にメッキをした鉄板が張ってありました。木箱全体の中を冷凍液がぐるぐると回っていて、右半分で凍らせて、左半分が4つに分かれて冷凍庫になっていました。上にはステンレスの蓋(ふた)がついていました。10年ぐらい前まで使っていたのですが、壊れてしまったので新しいものに変えました。型枠の容器は、すぐにガラスから丸い金属製の容器に変わりました(写真1-3-1参照)。ガラスだと割れることがあるからです。丸い金属製の容器は戦前から戦後ぐらいまで使っていました。その後は、丸から四角のものに変わりました。最近はステンレスの型枠が出ているので、それを使っています。当時は、固まるまで40分ぐらいはかかっていました。今は、30分で固まります。固まったものは、木枠ごと水槽につけて周りを溶かして、容器から1本1本取り出し冷凍庫で保存します。1回で100本ぐらいのアイスキャンディーを作ることができました。うちのアイスキャンディーは売り始めたころから人気があったそうです。店頭でも売っていましたが、自転車にアイスキャンディーと書いた旗を立てて近郊へも売りに行っていました。木箱を二重にして内側と外側の箱の間におがくずを入れ、内側の木箱にはステンレスを張って保冷効果をもたせて、その中にアイスキャンディーを入れ、自転車の荷台に積んで売りに行くのです。夏の間だけ何人かの従業員を雇い、重信町はもちろん松山の久米(くめ)、平井(ひらい)、石井(いしい)の方へも売りに行っていました。昭和15年(1940年)ころから戦争をはさんで25年ころまでは行っていたと思います。」

 イ 砂糖の代わりにサッカリン

 「終戦前後の2、3年間は砂糖や原料が手に入らなかったので、アイスキャンディーの販売を止めていました。昭和22年(1947年)ころから再開したのですが、まだ砂糖が手に入らず甘味料はサッカリン(人口甘味料の1つ)を使っていました。そのころからいろいろなアメリカの物資が入ってくるようになったのですが、その当時珍しいものとしてココアがありました。神戸からハーシーズというメーカーのココアを取り寄せ、それを使ってココア味のアイスキャンディーを作った時期が5年ぐらいありました。
 アイスの種類は、イチゴ、レモンから始まって、終戦後にココア、昭和30年(1955年)ころから牛乳が出だした(昭和15~25年までは飲用牛乳・乳製品は配給制であった。)のでミルク、それから小豆、昭和40年(1965年)ころから甘酒、平成15年(2003年)ころに抹茶、そしてココアを復活しました。レモンは早くにやめてしまったので、現在は6種類です。アイスキャンディーの値段は昭和11年(1936年)に5銭でした。昭和30年代初めには5円ぐらいで、小豆は少し高かったと思います。
 横河原商店街へ買い物に来る近郊の農家の人や林業に携わる人が主なお客さんでした。日用品などを買いにきて、夏場でアイスキャンディーを売っている時期ならついでに買って帰るという状況でした。その当時は、アイスキャンディーを売るのは6月半ばから9月上旬まででした。今は3月半ばから10月末までやっています。小学生や中学生が学校帰りに買いに来ることもありました。昭和40年代から50年代には横河原駅まで自転車で来て、電車で松山の高校へ通学するという旧川内(かわうち)町の生徒さんが多かったので高校生もよく来てくれました。もちろん、東温高校の生徒さんはよく来てくれました。」

 ウ まさか自分がアイスキャンディーを売るとは

 「私(**さん)は松山の清水町(しみずまち)出身です。小学生や中学生のころ、勝山中学校の近くにアイスキャンディー屋さんがあったのでよく買いに行きました。昭和20年代後半から30年代の初めで、女の子が道路で歩きながら食べることがはしたないと言われた時代でしたので、アイスキャンディーを買って家まで走って帰るのですが、ポタポタと融(と)けました。自転車に乗った人も売りに来ていました。昭和40年代に入ると、松山の方ではアイスキャンディーを作っている店はほとんどなかったと思います。アイスキャンディーを売っていたお店は、夏はアイスキャンディー、冬は炭や練炭を売っているお店が多かったのです。ところがガスやストーブが普及して炭が売れなくなり、閉店したためアイスキャンディー屋がなくなっていったのです。うちの店は、アイスキャンディー以外にも売るものがたくさんあったので残ったのです。昭和41年(1966年)に主人と結婚したのですが、最初は主人が仕事で北宇和へ赴任していたので一緒に行っていました。ここでアイスキャンディーを作っていることを知らなくて、夏休みに帰って来た時、店の裏のほうで何か音がしているので見ると、アイスキャンディーを作っていて驚きました。その当時は、まさか自分がこうやってアイスキャンディーを売るようになるとは夢にも思いませんでした。」

 エ 変わらぬ味と製法

 「製法はほぼ当時のままです。使っている水も同じ重信川の伏流水です。作り方は、鍋に水、砂糖、原料(小豆味なら北海道産小豆、甘酒味なら砥部町のかち鶴酒造から仕入れた酒かす)を入れ、味によってはでんぷんや寒天を加えて炊きます。今はガスで炊いていますが、昭和40年代半ばまではくど(かまど)で炊いていました。次に炊いたものを冷却殺菌機に入れて冷やして混ぜ合わせます。それを型枠に流し込み、量を調整し、棒を差し込み、冷凍液の入った冷凍機に入れて固めます(写真1-3-4参照)。30分ぐらいしたら固まるので、水の中につけて型枠の周囲を少し溶かし、型枠から1本1本抜くとできあがりです(写真1-3-5参照)。」

写真1-3-1 戦前のアイスキャンディーの型枠

写真1-3-1 戦前のアイスキャンディーの型枠

東温市横河原。平成21年7月撮影

写真1-3-4 冷凍機で固める

写真1-3-4 冷凍機で固める

東温市横河原。平成21年7月撮影

写真1-3-5 型枠から抜く

写真1-3-5 型枠から抜く

東温市横河原。平成21年7月撮影