データベース『えひめの記憶』

えひめの記憶 キーワード検索

わがふるさとと愛媛学Ⅶ ~平成11年度 愛媛学セミナー集録~

◇「愛媛学」と「聞き書き」

 ただいま御紹介にあずかりました赤坂です。
 わたしの話のタイトルは、「東北から民俗誌を織る-聞き書きの旅のなかで-」となっております。しかし、ここは四国の愛媛県ですから、東北というのはとても遠い土地のことのように思われて、東北のことばかりをお話ししましても理解していただきにくいのではないかと、少し心配をしております。
 そこで、地域学の一つである「愛媛学」と、わたしが少しだけかかわっていたある地域学、そして、現在わたしが考えています「東北学」を例に、地域学、あるいは郷土研究の持つ意味やその方法などを大きなテーマとして、わたしの体験を織り交ぜながらお話しさせていただこうと思います。
 わたしは、ある地域学に7年間ほどかかわっておりました。その地域学にかかわるにあたり趣旨の説明を受けたのですが、それは地域の自然とか歴史や風土などを学ぶことにより、県民一人一人がそれぞれの地域学を作り上げるというものでした。これはすばらしいなと思いかかわり始めました。しかし、少しずつわたしの考え方との間に違和感を覚えるようになっていきました。つまり、地域学の主人公とはだれなのだろうかと考えた時、それは県民一人一人だ、その土地にくらす人たちこそが主人公なのだと思います。わたしは民俗学を専攻していますが、この学問は、普通のくらしやなりわいをしている人たちを主人公として取り上げますので、とりわけそう思うのかも知れません。結局、わたしはこの地域学から離れることになってしまいました。
 そして今回、愛媛学トーキングでの講演の依頼をお受けしたのをきっかけに、愛媛学について送っていただいた資料を調べましたところ、とてもおもしろいと思いました。愛媛学は「聞き取り」とか「聞き書き」を非常に大切な調査方法としていますね。わたしはこれが決定的に大切なのではないかと思います。つまり、愛媛学はその土地にくらす人たち、おそらくは古老が多いのでしょうけれども、その方々を主人公として話をうかがう。そして、そこからいろいろなことを学び、地域を考えるという方向性を持っていると理解しております。この愛媛学の手法は、まことに適切な方法だと思います。この手法によって初めて、例えば「一人一愛媛学」といったものが作られてくるのだろうという気がします。この意味で、わたしは愛媛学の手法にとても共感を覚えました。
 聞き書きとは、読んで字のごとく話を聞いてそれを書くことです。あるおじいちゃんの話を聞いたら、それを聞いた人が、語り手であるおじいちゃんの人生とどのように向き合うのかということまでが言葉となってつづられる。そうした交流が、わたしは聞き書きだと思います。例えば、わたしのような大学の先生と、わたしの講義を受講している学生とが、別々の機会に同じ古老に同じテーマについて聞きに行ったとしても、古老の語りは全く違うものとなります。つまり聞き書きというのは、語り手がいて聞き手がいる、その相互のコミュニケーションなのですね。決して一方通行ではない。後で、学生に聞き書きをさせた時の話も紹介したいと思っているのですが、聞き書きにおいては、語り手が話をしたいと思っているかどうかということも大きな要素となります。とにかく、聞き書きはやってみるまでは結果が分からないという、とても難しいものですが、それゆえにおもしろさもあります。