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わがふるさとと愛媛学Ⅶ ~平成11年度 愛媛学セミナー集録~

◇「考現学」のすすめ

石原
 では、皆さん方は、これから道具というものをどのように考えていけばいいのでしょうか。皆さん方が、モノを全部御家庭へ持って帰ってしまったら、もう、日本全国の至る所が博物館になってしまいます。しかし、そんなことは現実には不可能ですね。それでは、ほかの方法としては、何が一番いいのでしょうか。
 これについては、最近、大変楽しい仕事をする人たちが出てきました。「考現学」という言葉を御存知でしょうか。「考古学」は皆さん御存知ですよね。発掘された資料を細かく観察していく学問のことです。これに対して、考現学とは、現在有るモノをじっと見つめていこうというものです。実は、これはそんなに新しい考え方ではなくて、民家研究者で生活学者の今和次郎さん(故人)が、半世紀ほど前に言い出されたことなのです。ここで、考現学を実践している方の例を2、3御紹介すると、よりお分かりいただけると思います。
 例えば、海岸にはいろいろな物が流れ着きますね。ほとんどががらくたですが、毎日海岸へ出てはそういう物を集めて来ます。そして、それらを保管しておくことは大変ですから、写真に納めてきちんと整理をする。何月何日にこんなものが流れ着いた、というように記録をし続ける。そうすると、おそらく城辺町ですと、台湾製の洗剤の容器や韓国製の食品の袋が流れ着いていることがあるかもしれません。そうした漂着物をじっと見つめていると、物が流れ着いたその土地の特徴が見えてくるのです。
 あるいは、考現学の一つの方法として、「わたしの文化財」という方法があります。それは、決して宝石や美術品でなく、自分にとっての思い出の場所とか忘れられない物をそれぞれが持ち寄って、と言っても全部本物では持ってこれませんから、カードにデータを書き込んで写真をはった物を持ってきて、その意味を話し合うのです。
 あるいは、考現学を「転用」というおもしろい視点から実践している方がいます。どういう方法なのかを、わたしが城辺町内で見掛けた植木鉢を例にお話しします。わたしは、城辺町はすごくいい町だなと思います。それは、植木鉢が街角のあちらこちらに一杯あって、植木に花がたくさん付いている。花一杯の町です。ところが、その植木鉢が、実は火鉢だったり古いやかんだったりしている。つまり、本来は火鉢ややかんであったものが、転用されて植木鉢に使われているわけです。そして、さらにおもしろいことには、時代によってその使い方が違っていることも分かります。こうしたことは、日ごろは簡単に見過ごしてしまうことですけれども、好奇心を持って、何かを見付け出そうという視点で周囲を見ていると、いろいろな事がたくさん見えてくるものなのです。
 わたしは、城辺町はカツオの町だから、カツオの痕(こん)跡を絶対に見付けようと思って参りました。それで、まず最初に訪れた深浦(ふかうら)港では、ちょうどタイミングよくカツオを一杯陸揚げしていました。これは楽しい光景で、「ああ、やはりここに城辺の匂(にお)いがあるのだなあ。」と思いました。それで、この会場へ参りますと、ここは山の中のような感じで、果たしてここにカツオの痕跡というものはあるのかなあと、若干心配になりました。でも探し出そうと思いまして、ほんの数時間ですが会場周辺を歩きました。すると、おもしろいものがありました。「鰹最中(かつおもなか)」です。それから、先ほど申し上げた僧都川に架かっていた橋の欄干のカツオの飾りですね。それから、大漁旗屋さんがありました。おそらくその旗は、カツオが大漁のときに船に翻ったのでしょう。こういう観察を「街並みウォッチング」と呼んでいます。もちろん、ただ見るだけではなく、その様子を絵に描いたり写真に残して、それらを後で検討します。
 以上、わたしが申し上げてきましたことは、皆さんの目の前にある物をぜひ一度見つめ直していただきたいということです。自分の周りにある物は、日ごろ何気なく見過ごしていることが非常に多い。だから今度は、よそへおいでになったときに、何かおもしろいものはないだろうかという見方で見ていただく。次に、そこで見付けた物を、今度は引き返して、自分の地元ではどうなのだろうかと見直してみる。そして、こうしたことを繰り返すなかで、自分の地元はこういう特徴があるのだなということが、きっと分かってくると思います。