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わがふるさとと愛媛学Ⅶ ~平成11年度 愛媛学セミナー集録~

◇砥部町と愛媛学

石森
 皆さん、こんにちは。ただいま御紹介にあずかりました、国立民族学博物館の石森でございます。国立民族学博物館は、大阪府吹田市にあります万国博記念公園の中にございまして、昭和52年(1977年)から、一般公開されております。
 それでは、まずはじめに、なぜここ砥部町で愛媛学を考える必要があるのかということにつきまして、少しお話をさせていただきます。
 わたしは、昨日、自宅のあります神戸市から、瀬戸内しまなみ海道(本州四国連絡橋今治・尾道ルート)を利用して自家用車で砥部町へ参りました。そのときの砥部町の印象は、やや失礼な言い方になるかとも思いますが。「松山市砥部町」というものでした。松山市の延長のようで、なんとなく区切りがない。どこから砥部町かなと思って外を見ていると町役場があった。そこで、「ああ、もう砥部町なんだ。」と思ったわけです。
 おうかがいしますと、砥部町の人口は年々増加をし、現在では2万人を超えているということであります。これは、極めて珍しいことです。と言いますのは、今、多くの市町村は過疎を経験しているのですが、砥部町はそうではない。では、なぜ人口が増えたのかと言いますと、要するに松山市のベッドタウンとして成長したわけです。そして、多くの場合、ベッドタウンとして成長した町は、観光や地域学という観点からすると、残念ながらあまりいい点数は差し上げれない。それは往々にして、そうした町は、町の特色、すなわち個性があまり見られない場合が多いからです。
 しかし、だからこそ、この砥部町には地域学が絶対に必要なのです。今からきちんと、この地域の個性とは何か、誇りとは何かということを考えていかないと、21世紀の砥部町は、全く平板な地域になってしまうのではないかと危惧(ぐ)しております。