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わがふるさとと愛媛学Ⅴ ~平成9年度 愛媛学セミナー集録~

◇巨樹と生きる

牧野
 これから木の問題を軸に考えていくのに、どういう物の考え方をしなければならないかということを、お話してみたいと思います。
 町づくりと木との問題は、つまり自分たちのふるさとというものを、どういう視点でとらえるかということです。
 最近、エコミュージアムという考え方が広がってきましたが、これは地域にあるいろんなものが皆、地域おこしの資源であるという考えです。ですから、水車小屋も巨樹もお寺さんも、また、昔の遺跡が出れば、それも町おこしの資源になるのです。ただ、それでお金をもうけるとかいうよりも、町の人がみんな、「この町が俺たちのふるさとなんだ。」という誇りを持って、ふるさとの説明を自信を持ってできるような、地域全体が一つの博物館になることなのです。問題なのは、そこにある大きな木や鎮守の森や水車小屋などを空間的に博物館と位置づけ、それらを有機的にどのようにつなげれば、私たちの村や町はこうなんだということを、よそに言えるような理論づくりができるかどうかなのです。
 それからもう一つ、今多くの方が巨樹に対して関心を持っておるということは、ありがたい話です。手前味噌(みそ)なことを言いますと、現在「巨樹」という言葉が定着していますが、実はこの言葉は18年前に私が使ったのが始まりなのです。どういうことかと言いますと、木を呼ぶのに、古いとか新しいとか、そういう次元でなしに、本当に日本人の心につながりのある言葉を選ぶべきだということで、私は巨樹という言葉を使いだして、書くようにしたのです。しかし、巨樹への関心が高まってはいるのですが、大きな木をいくら地域で守っても、地球規模で考えていかなければいけないという問題が起こっています。例えば、山陰地方で昔から天狗の住む山として知られる大山がありますが、そこのブナ林は、酸性雨にやられているという報告が出ているのです。その原因は、中国大陸から渡って来た酸性雨がそのブナ林にぶつかり、酸性の雨水が幹を伝って降りてきて、木の根元からやられるのです。だから松枯れ病のように葉からというのではなく、気がついた時は、根がやられているのです。
 これは、人類の共通財産に対して、皆が地球規模の認識を持って、なにが本当にあるべき姿かということを構想し構築していかなければいけないと同時に、自分たちの身近な物事をどう考えるかという、全く哲学的なテーマが現れてきているということなのです。つまり、カミ様が通用しなくなったのですから、人類自身が考えていかねばならなくなったということです。

石川
 エコミュージアムから地球規模での環境認識まで、分かりやすくお話していただき、ありがとうございました。
 エコミュージアムの発想はイギリスでは、カントリーウォークとかグリーンツーリズムとして静かなブームとなっています。これは都市から田舎に出て、田舎をなんの目的もなく、ぶらぶら皆でおしゃべりしながら歩き、自然を見たり、あるいは文化遺産を見たりするものです。小田町として、これから大いに研究する余地があると思います。と申しますのは、小田深山は豊かな自然の魅力がいっぱいありますし、巨樹を訪ね歩くのもいいでしょうし、都市の人々を引き付けるものがたくさんあります。それから、小田の特産物を自信を持って広く発信していただきたいと、期待しております。
 時間となりましたので、前半はここで終わって、後半では地元の方々のお話を聞きたいと思います。ありがとうございました。