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わがふるさとと愛媛学Ⅴ ~平成9年度 愛媛学セミナー集録~

◇女性組織の活動

 今年から第1日曜日に、漁師市が開催されるようになりました。テレビや新聞の折り込みでコマーシャルをしており、他町村から大勢の人が生きのいい魚、100円均一の野菜、各婦人部の手作り品、花、炭などを求めて足を運んでくれております。私たちも忙しいながらも、今回は何を出そうかと楽しみながら、支度をしております。町内の人たちの協力を得て、町おこしのために、盛大に行っていきたいと頑張っております。
 毎年4月の第2土曜、日曜日に、年に1度しか船が行かない島、能島(のしま)でお花見が開かれます。現在、放映されているNHK大河ドラマ「毛利元就」でも、村上水軍が出てきますが、その村上水軍の歴史のある能島は、周囲720m、面積1.5haの無人島ですが、近ごろは、桜も古木になり、花も少なくなり、以前のように島全体がピンク色で染まる光景は少なくなりました。この日は、商工会の婦人部の方が、バザーを開いたり、おみやげを販売しております。フェリーも、この日ばかりはピストン運行をしております。
 各校区では、75歳以上の老人を招き(70歳以上のところもある)、敬老会が盛大に開かれております。婦人会では愛情のこもった折りを前日から作っております。プログラムも豊富で、園児の踊り、婦人会の踊り、老人の踊り、カラオケと、にぎやかに1日を楽しみます。
 旧暦の3月19、20、21日の三日間は、大島88か所(島四国)参拝で、鈴の音が島全体に響きます。この三日間は島の人口が倍増しますので、よその方は、島が沈まないかと心配しておられます。島全体の人が毎年お接待をします。朝早くから方々で、おにぎり、草モチ、パン、柑橘類などを用意して、同信者の奉仕として、島を訪れる巡拝者を温かくお迎えしております。
   「お遍路に気づかう心、お接待」
 また、お接待も、食料品だけでなく、石材業の町ですので、感謝の気持ちを込めて、アンケートに答えてもらい、どうしても必要な方に、くじで1名の方に墓石をお接待している業者もいます。
 幕府の宗教統制にもかかわらず、人々の間に広がっていった島四国の遍路。同じ真言宗の人々による宿ができ始めたのもこのころからで、「善根(ぜんこん)宿」と呼ばれる宿が、現在も続いております。
 開設学級合同開講式が公民館で行われます。「私たちは、明るい家庭と地域、人づくりを目指して集まりました。豊かで住みよい町づくりのため地域社会へ還元しています。」という、代表者の誓いの言葉に対し、公民館は、「皆様の趣味や技能が少しでも地域の方々に還元せられることを願って、学級を開設しました。」と言っております。学級の皆様がともに楽しく学習し、ふれあいの輪を広げ、地域に生かしてほしいと思います。
 第5回を迎えた三島協賛の水軍レースも、出場チームが年々増え、1週間前くらいから、役場の職員、各種団体が出て、会場周辺の草ひき、清掃と、レースの支度にかかります。当日は、早朝から婦人会、漁業婦人部が、数百個の弁当づくりをして、売店も出します。
 8月11日、夏祭の大イベント、花火大会が行われます。道路には夜店が立ち並び、各女性の団体も店を出し、かき氷、ジュース、くじ引き、お好み焼きなどを売っております。また、舞台の上では、昨年購入した2尺8寸(約85cm)の大太鼓の音が、夜の町や瀬戸内の海に響きわたります。婦人会の踊りも披露され、佳境に入った時、大きな花火が夜空に向かって何発も打ち上げられます。
 毎月2回、町内に身寄りのいない65歳以上の独居のお年寄りに給食サービスを提供しています。対象者は年々増え、現在では約70名のお年寄りが給食サービスを受けております。共同募金の配付金を財源として、社協職員さんの手を借り、婦人会と民生委員さんが、メニューも豊富で時節柄に合ったお弁当を作っております。ボランティアさん10名と社協職員さんが配食しています。お年寄りの方はこの配食を楽しみに待っておられます。
 また、愛育班は、その創設と拡充に努力され、「愛育の母」と親しまれた、亡き矢崎きみよさんが日ごろ語られていた、愛育の心を基本に宮窪地区内の全住民が、健康で明るく、生き生き暮らしていくことを目指し、ボランティア活動を続けております。
 11月2日、3日は産業文化祭です。園児、学童、一般の作品が展示されます。私が入会している石彫サークルも展示いたします。本日、この会場に石彫サークルの作品にお花を生けていただいております。また、壇上からは石彫のカエルが皆様を温かくお迎えしております。
 では次に石彫サークルについて説明させていただきます。
 平成4年10月、宮窪町に石文化公園が完成し学習室が設けられたのを機会に、石彫サークルが開設されました。実は、大島石の採掘量の90%が雑石、捨石となっております。そこで、この廃石材を利用して、石が地域全体の活性化に寄与できるようにということで、町民の人たちに作品づくりにチャレンジしませんかと呼び掛けました。宮内先生の指導を受けながら、最初は柔らかい石からノミとツチの使い方などを始めましたが、最近では、自主活動に組織化されて、花瓶、花台、茶碗、ヒラメ、カエル、モニュメントなど、多くの作品を作れるようになりました。町の文化祭の展示だけではなく、テレビや新聞で紹介をしてくれていますので、町外からも展示の依頼が来ております。
 平成6年10月、越智郡婦人会の郡大会が17年ぶりに当町で開催されることになり、オブジェの製作の依頼を受けました。そこで、「三郷の宴(うたげ)」と名づけ、宮窪の産業をイメージして、実際に使用していた小舟、潜水着、網、大島石、削岩機、ミカンの木、植木などを持ち込み、皆でアイデアを出しながら、初めてのオブジェづくりをしました。通路にはカエルを並べ、カエルが皆様方をお迎えいたしました。私も他の市町村での大会に参加しておりますが、会場にオブジェを作りお客様をお迎えしたのはどこにもない試みで、皆様方の目をひいたのではないでしょうか。
 また、平成8年2月16、17、18日の三日間、越智郡石材加工組合の主催する「地場物品産地ブランド形成推進事業、石文化の創造作品展」が今治で開催され、加工組合よりお声がかかり、45点の作品を展示しました。
 平成8年9月には、身体障害者養護施設、大洲ホームより彫刻の依頼があり、デザインから検討し、ノミきりで2か月の共同作品をつくり、「共生」と名付けて皆で据え付けに行き、寄贈しました。
 平成10年には国と町の負担により、工場並びに機械工具が整備されます。限りある資源を大切にする気持ちで、廃石の利用が町の産業の発展につながるようにと、会員は努力を重ねています。このサークルは、20名余りの会員の職業分野がそれぞれ違いますので、各自の特色を生かし、今後、製作分野を広げたり、シルバー人材の採用などを進め、ゆくゆくは法人組織にでもできたらと思っております。新しくできる工場は、サークル活動のためではなく、町おこしの一環と考えておりまして、興味のある方の入会をお待ちしております。
 また、平成11年(1999年)の架橋の完成(西瀬戸自動車道尾道・今治ルートの全通)に向かって連合婦人会ができることから、宮窪フェリー乗り場の売店を預かるようになりました。資金ゼロからの出発ですが、町のアピールのためパンフレットの配布、特産品の販売など、交代で走り出しました。