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わがふるさとと愛媛学Ⅴ ~平成9年度 愛媛学セミナー集録~

◇水軍の歴史を生かして

 それでは、水軍の拠点であった宮窪で、私が子供の時分から今まで、これは分からなかったということが、すっきりと分かったという例を二つ御紹介したらと思います。
 第1番に、戸代鼻の古波止ですが、これは昭和63年(1985年)に宮窪町教育委員会によって、専門のダイバーと契約して海底の調査がなされました。その結果、波止の長さは約110m、幅が30mあるということがはっきりと分かりました。その当時の海底の石が崩れたりして、ほとんど形態が変わっている様子は、ビデオに収められております。これが一つです。
 2番目は、見近島の発掘調査です。これは皆さん御承知のように、伯方、大島大橋の工事の際に、見近島に残っている遺跡が橋の工事にかかるということで、発掘調査がなされました(昭和55~56年)。この調査の結果は、18棟の屋敷跡のほかに、たくさんの生活用具などが出土いたしました。その一部は、これも皆さん御覧になったと思いますが、町の水軍資料館に展示されております。
 最後になりましたが、私は、この水軍の歴史を持っている宮窪で、これからこういうことがあったらいいなという希望をいくつか持っておりますので、それを申し上げたいと思います。
 第1番に、歴史を研究する会、仮の名前を「宮窪史談会」とでもつけてもよろしいのですが、宮窪の歴史に関心を持つ方々の力を結集して、村上水軍を中心にした宮窪の歴史を勉強するような組織を作ったらどうかと考えております。これは以前、早川の高橋万寿男先生などにもお話したことがありますが、先生も亡くなられまして、なんとかこれも実現できたらというふうに思います。
 次は、最初から申し上げていましたように、水軍の史跡というのが町内にはたくさんありますが、宝篋印塔にしても、今の五輪の塔にしても、その他のいろいろな史跡についても、専門的な確かなものを何か確かめる手だてといったものが考えられないかということです。それには、当然お金もかかることでありまして、個人的にはちょっと手が出ませんので、主として行政の方へお願いをするようなことになろうかと思いますが、宝篋印塔とか五輪の塔とか一石五輪の塔などが、町内のどこにあるかという、その所在一覧表の作成や地図化も必要ではないかと考えております。石の材質、あるいは構造などから、いつの年代のものか、そういったものも確認して記録に残す調査も必要だと考えます。
 それから先程言いました、村上水軍の武将の館があったという幸賀屋敷跡などの発掘調査、これにはお金もかかることなのですが。最後に、これは一番の本家です能島城跡の学術的な発掘調査。こういったものを、将来の計画設計としてぜひ一つお考えいただくと、大変ありがたいと思っております。
 以上で、私の発表を終わりたいと思います。どうも、失礼しました。