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わがふるさとと愛媛学Ⅳ ~平成8年度 愛媛学セミナー集録~

◇古文書との出会い

 そもそも私は、歴史とは全然関係のない分野の英米文学を大学で専攻しておりました。しかし、美術品とかにも多少興味がありましたもので、同時に学芸員の養成課程をとったり、また美術館などへよく足を運んでおりました。
 卒業後、宇和島市の博物館へ勤務することになりました。宇和島市には伊達家の文書がたくさん残っている関係で、古文書が読めないと博物館での仕事にならないということで、友人の勧めで、ある古文書を読む会に入会しました。そのころ私はまだ20歳代でしたが、その当時は、若い女性が古文書を読むという例がほとんどなく、おまけに、私は史学科を卒業しているわけでもないわけです。その会では、早くも2回目の出席から、一人数ページずつというように割り当てられて、順番に古文書を読まされていきました。手近に参考資料もないし、とりあえず『五體字類(ごたいじるい)』という辞典を片手に、「ああこれは糸偏かな。肉月かな。」と、自分で偏の見当をつけて読んでいきました。また母親が明治生まれなもので、「お母さん、この崩し字、どう読むのやろね。」と言って、母を巻き込んだりしながら苦労した思いがあります。
 私が読んでいる文書はほとんどが近世のものですが、現代文のようには句読点がありません。ダラダラと、どこで切れているのか分からない。それに、古文書独特の言い回しがあり、書状でしたら、まず初めに「謹啓」とか「一筆致啓上候」とかあります。そして、時候のあいさつで「なんとかのみぎり」とか書いてあります。それで一番最後に、「以上」とか「恐惶謹言」ときて終わります。本題は、ほんのちょっとです。前と後が意外とダラダラと長いのです。
 古文書を読んでいて面白いのは、例えば古文書に片仮名の「ヒ」のように書かれた「被」がよく出てくるのです。高校の古文の授業で学習した「る、らる」、つまり「受け身、尊敬、謙譲」とかを表します。あるいは「候」がありますが、これなどは、「(表記不能)」と書いてあったりします。一番ひどいのが、ただの「、」です。
 それともう一つ面白いのが、「合字(ごうじ)」と言って、「(表記不能)」というのがあるのですが、これで「より」と読み、頻繁に出てきます。かぎ括弧みたいな「(表記不能)」、これで「コト」と読みます。「事」を表す字で意外によく出てくるのが「(表記不能)」です。それからもう一つ、「(表記不能)」で平仮名の「こと」です。「(表記不能)」、「(表記不能)」の二つは読めますか。これで、「とも」、「とき」と読みます。こういうのが出てくるのです。でも、こういうのは面白いですね。文字に残された先人の知恵だと思いますよ。
 それから最近中国語を勉強する機会があったのですが、その中で実に面白いことが分かったのです。古文書で「都而」という字がよく出てきます。なんて読むかお分かりになりますか。これは「すべて」と読むのです。普通、私たちが「みやこ」あるいは「と」と読む字をどうして古文書では「すべて」と読むのか、ずっと疑問に思っていたのです。そうしたら、中国語で「トゥ」と発音する「都」の字の意味が「すべて」なのです。「ああ、なるほど。やっぱり日本の字は、中国の影響を受けているんだな。」と思いました。
 どこで何が役に立つか分からないのですね。江戸時代の吉田には、当時の豪商法華津屋の6代目が生け花の流派をたて、それに関する書物を残していますが、生け花に詳しい人は、その文書がよく分かります。これは、俳句とか和歌にしても同じことが言えると思いますが、自分の興味・関心でもって古文書を読まれると、またそこに新しい世界が広がっていくのではないかと思います。
 自分一人だけでは、古文書の解読はなかなか続けていけないのです。地味な仕事で、しかも古文書というのは意外と汚いのですね。昔は、それは大事な物だったわけですが、時代が移り変わり、家の当主も代々替わってくると、次第に家のどこかの隅へ追いやられる。そしてしまいには蔵の片隅に片付けられて、ネズミなどのふん尿と一緒になってしまう。そうすると家の人は、「こんな汚いもん、いやじゃ。」といって捨ててしまうのです。私たちが「いや、これは貴重なものですから。」と気がついた時は、その古文書の命は助かりますけれど、多くは知らないうちに捨てられているのではないでしょうか。軸物とか皿とかは見てきれいですし、美術品的価値が世間で認められているものだから残りやすいですが、古文書は本当に残らないのです。
 今からちょうど3年前、「武左衛門一揆」について新しい史料がないかなと思っていたころの話です。宇和島市下波(したば)地区、ここは江戸時代は吉田藩でしたが、そこに、清家さんという方がおいでます。その方は学校の先生(理科系)をされており、定年退職を機に先祖が残したものの整理を始めたわけです。屏風が残っていたのですが、誰が書いたものかを確かめて、はっきりとその価値を知りたいということで、下張りをはがしました。するとそこから、貴重な吉田藩の一揆資料が出てきたわけです。ただ残念なことに、いわゆる反故紙(ほごし)となったものを適当に切ってつなぎあわせて使っているものだから、文章が完結しないわけです。もし、一貫していれば、これは本当に第一級の史料になるものです。
 貼数(じょうすう)がバラバラの状態ですから、意味が通るようにつなぎ合わせるのが、また大変なのです。私も別の仕事を抱えておりますので、この古文書の解読にかかりきりというわけにはいきませんでした。それで2年間ほど、ほとんど手つかずの状態になっておりました。その時、清家さんが、「解読された部分だけでも見せて欲しいのだが。」と言ってこられたので、「御自分でも少し解読してみてはどうですか。」と勧めたのです。「いや、私は、そがいなもん、退職した身で、そういうことはようしません。」と言われたのですが、私たちの解読作業のスピードが遅いもので、結局自分でやり始めたのです。身近にある、そして自分の所の古文書というのは、やはり情熱がわくのでしょうか、とうとう1年後に、1冊の研究書をまとめられました。これにはびっくりしました。