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わがふるさとと愛媛学Ⅳ ~平成8年度 愛媛学セミナー集録~

◇「潮ごり」から祭の当日まで

 では次に、「お供馬」の行事についてお話します。
 10月10日の菊間祭りの準備は、9月から本格的に始まります。毎週日曜日、午後3時ころから日暮れまで加茂神社の参道で馬の調教が始まります。初めて走り込みする馬は、まず馬主が特に念入りに調教します。乗り子の方の練習は学校のクラブ活動などのために、なかなか思うようにはできませんが、馬だけは誰が乗っても真っ直ぐに参道を駆け抜けられるように調教します。
 10月4日からは祭りの神輿を組み立てる、「ヨコジメ」に入りますが、この日から「お供馬」も厳粛な行事の始まりとなります。「ヨコジメ」に入ると、「潮ごり」という禊(みそ)ぎを行います。祭り当日に出場する馬の口引きと乗り子は、夕方6時ころから海へ行き、裸になって海に入り体を清めます。その後、海水を左右に払い、加茂神社の方向に手を合わせて安全を祈ります。皆さんも1度、10月に海に入ったら分かると思いますが、水はかなり冷たく、本当に身も心も引き締まります。当日使用するむちも海水で清め、海水を小さなとっくりに入れて持ち帰り、むちと海水を家の神棚に供えます。供えた海水は、翌日、馬小屋の前にまいて清めます。これを祭り当日まで1週間毎日行います。昔は、「口引きと乗り子は、家族とは別の座敷に寝る。また、家族に生理中の女性がいると、同じ釜の飯は食べてはいけない。」と言われていました。私は、事故がなく無事に走り込みができるようにと、今でもこの昔からのしきたりを続けております。
 祭りの前日、10月9日はお供馬の顔見せです。着飾った馬と乗り子が、約2時間をかけて町内をパレードします。馬には鞍を付け、その上に友禅模様の布団を敷き、鈴や小道具で飾り付けをします。乗り子は平袖の長襦袢(ながじゅばん)を身にまとい、黄色の鉢巻きとたすきを締め、手にはボンデンをつけた竹のむちを持ちます。そのいでたちは、まるで時代絵巻のようです。
 10月10日、いよいよ本番です。朝5時に「潮ごり」を済ませ、体を清めた後、準備に入ります。馬も口引きも乗り子も、正装ができた後、門出の儀式を行います。まず口引きと乗り子はいりこと梅干しを食べ、御神酒をいただき、そして門先で乗り子は馬に乗り、口引きともども「潮ごり」の海水で御祓いをし、加茂神社へ出発します。
 「お供馬の走り込み」は、朝8時から11時まで行われます。乗り子も馬も練習の時とは違い、かなり緊張し、いつもはおとなしい馬でも付け慣れない鞍や鈴を身に付け、その上、大勢の観衆を前にかなり興奮しています。ですから、十分に調教したつもりでも何が起こるか分からないので、気を抜くことができません。一度に5、6頭の馬が、一斉に300mの参道を駆け上がるので、かなりの迫力があります。その反面、危険も多く、馬を放すタイミング、乗り子の気合とのタイミング、他の馬とのタイミングなど、いくつかの細かなタイミングが合致して、初めてうまくいくのです。この走り込みを馬1頭が10回くらいは行いますから、かなり神経の張り詰めた状態が続きます。自分の送りだした馬が、乗り子ともども、真っ直ぐに参道を駆け上がると、ホッとする思いです。この緊張感と満足感を口でお伝えすることはできませんが、まさに1年間の苦労が報われる瞬間です。「馬を飼って良かった、また頑張っていこう。」と、本当に満足できる時です。
 私ごとではありますが、私の長男が初めて走り込みをした時は、なんとも言えない喜びを感じました。その時長男は6歳で、馬に乗るようになってまだ2年目と経験不足ということもあり、馬のスピードにはまだついていけないと判断し、祭りの当日の朝まで、走り込みの出場を私は全く考えていませんでした。行事の途中で会長から、「お前の息子も走らせてやってみい。」と言われ、私は予期せぬ言葉に迷いました。「この晴れ舞台で走らせてやりたい。息子を一人前の男にしてやりたい。」という思いと、「この6歳の我が子が、手綱を最後まで握っていられるかどうか。落ちはしないだろうか。」という不安とが交差しましたが、「よし、走らせてみよう。」と決心しました。息子に「やるぞ、ちゃんと持っとけよ。手綱を持っとけよ。」と言ったものの、馬を引く自分の手が震え、私の方が心臓が止まる思いでした。息子が無事走り終えた後は、テレビ局の取材にも答えられず、息子に「ようやった。ようやった。」の言葉をかけてやるのが精一杯で、恥ずかしながら、男泣きをしました。