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わがふるさとと愛媛学Ⅳ ~平成8年度 愛媛学セミナー集録~

◇歩くことの意義

佐藤
 御紹介いただきました佐藤です。本日は、歴史と伝統のあるこの地で、皆さんにお話をする機会を与えていただきまして、大変光栄に思っております。
 本日のセミナーは、「道と歩む文化の里」というサブタイトルがついておりますので、道を歩くということを中心に、お話をさせていただきます。
 最初に、人間の生活と歩くということの意義について、考えてみたいと思います。
 今から50万年くらい前、人類は地球上に出現して以来、2本の足で歩き続けているわけです。歩くということは、人間の最も基本的なものです。古代社会においては、移動の基本的手段というのは、歩くということしかありませんでした。そして、踏み分け道という形で、道の原型がつくられてきたわけです。
 その後の移動手段としては、最初はラクダやウマなどの家畜の活用から始まり、馬車、牛車、そして船、鉄道、自動車、飛行機というように、だんだん進歩して、高速化してきました。この現代の社会においても、歩くということは、最も基本的な移動手段であり、生活上、欠くことのできない要素ですが、現在の車社会になり、毎日の生活で歩くということが少なくなってきているわけです。
 歩くということには、移動の手段としての役割とか、それから健康の増進とか、いろいろありますが、私は次のような三つぐらいの副次的な効果があるのではないかと思います。一つは、歩いておりますと、人間の目の高さや歩く速度で、自然とか沿道の風景に触れ、かつ町並みを観察したりすることができます。そして人とも出会って、声をかけたり、知り合いになったりすることもできます。
 それから二つ目には、歴史的な街道を歩くような場合には、歴史に思いをはせまして、歴史についての興味が湧いてきます。そして歴史をもう少し調べてみたい、勉強してみたいというふうな気持が強くなってきます。
 そして三つ目の効用ですが、これは私は大変大きいと思うのですけれども、歩きながら思索にふけったり、構想を練ったりすることができるのです。実は、私も少しジョギングをやってみましたけれども、ジョギングをしている時は、苦しくて、なかなか物を考える余裕はないのです。しかし、歩きながらですと、いろいろなことを考えられます。そして不思議なことに、歩いていると、人生とか生活についての考えが前向きになるような気がします。私は、毎朝1時間くらい散歩するように心掛けております。朝散歩しておりますと、今日もまた1日元気で頑張ろうというファイトが出て来るような気もします。
 皆さんの中にも歩いていらっしゃる方も多いと思いますけれども、生活の習慣として、家の周辺の道などを毎日歩き続けることを、お勧めしたいと思います。私の歩く習慣というのは、もう7、8年くらい前、高松に勤務していた時からです。当時、屋島のふもとに住んでおりまして、単身赴任でしたので、毎朝起きたら、すぐ布団をたたんで、1時間かけて、約300mの高低差がある屋島に登っておりまして、そんなことが始まりだったと思います。
 歩くことを毎日続けるというのは、大きな励みにもなるわけです。仮に皆さんが、毎日1万歩歩くとしますと、ゆっくり歩いて歩幅がだいたい60cmですので、6km歩くわけです。さらに、1年間これを続けますと約2,200km歩くことになります。2,200kmというのは、本州の北の青森市から下関市までの距離くらいになるわけです。私はだいたい1日に1万5,000歩歩くように心掛けておりますので、1年に約3,300km歩きます。そうしますと、地球の1周というのは、約4万kmですから、13年くらいで地球を1周することになり、私は68歳ころに地球一周を達成するのではないかと思っております。
 私は、学校を出て、建設省に入りまして、約30年間勤めました。主として道づくりの仕事に従事してきたわけです。この間、日本の道路は見違えるように整備されてきました。四国地方においても、1998年(平成10年)度春には、待望の尾道-今治ルートが完成し、瀬戸大橋と明石大橋を含めて、3本の橋で本州と結ばれることになります。四国の中においても、高速道路、国道などの幹線道路が、着々と整備されてきていることは、よく御存じの通りです。
 しかし一方、戦後増え続ける自動車交通の対応に追われて、人の歩く道、あるいは自転車の通る道の整備が大変遅れてしまいました。私も道路の整備にかかわってきた者の一人として自省しているものです。