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わがふるさとと愛媛学Ⅲ ~平成7年度 愛媛学セミナー集録~

◇「北針研究会」の発足

 「北針」という言葉は、耳慣れない方も多いかと思いますが、簡単には磁石のことです。それでおそらくは、現在の羅針盤ということになるのでしょう。だいたい「ほくしん」と呼ばれますが、本来は「きたばり」というので、そのようにお願いしたいと思います。大正2年(1913年)、小さな漁船(打瀬船(うたせぶね))で、その「北針」という簡単な磁石を船のへりにつけて、それを一つの方向の指針として、さらに北斗七星を仰ぎながら太平洋の航海を続け、58日目にして、アメリカのサンフランシスコの北海岸、ポイントアリナという所に漂着をしたという史実があります。
 これは80数年前のことになりますが、そういった先人の勇気ある行動を、我々は「雄飛の思想」とか、「進取の気性」とかいうことでとらえております。こういった先人の行動力や進取の気性を、私どもは精神的に範として継承してまいりたいというのが、願いでございます。そういう意味から、未来を生きる道標としての「北針」というとらえ方をして、研究会の名前を命名いたしました。それが平成5年の8月5日のことでした(その後、会の名称を「地域文化振興協議会《北針》」と改称。)。
 会員は、180人ぐらいいるわけですが、皆ミカン作りでして、素人ですし、金もない。ただあるのは、本当に想いだけでございます。それで2年足らずで、やっと今、新聞に出していただいたり、テレビに出たりしております。また、本日お配りしている八幡浜広報に取り上げられ、八幡浜市は、宇和海文化の一つとしての位置付けをしております。