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わがふるさとと愛媛学   ~平成5年度 愛媛学セミナー集録~

3 地域学をどう創るか、愛媛学・大洲学への期待

芳我
 それでは次に、「地域学をどう創るか」という項目に移り、地域学と、地域おこしや地域づくりの運動とのかかわりについてはどうなのか、そのあたりからお伺いします。

米地
 地域学というのは、自然発生的に江戸東京学というのが起こったりもします。しかし、どうしてもこれは研究者中心のものになってしまう。一方、行政がかかわって地域学をやる場合もあります。この一つの形式として、山形と愛媛で見られる生涯学習の結びつきがあります。この他に、私のもう一つかかわっております東北学というのがございまして、これらは地域づくりと直接結びつけて地域学を起こそうという考え方です。
 私自身こういう地域学は、地域づくりに結びつくもんだと思っております。しかし、すぐに結びつけようというのは、あまりに気が早過ぎるんじゃなかろうか。むしろ、皆さん一人一人が、例えば大洲について学ぶ、愛媛について学ぶということをやって、自分の自分らしさ、これはどこから来ているのかという自己再発見につながる。以前、ビートたけしがはやらせた「ここはどこ、私は誰。」という言葉がありましたが、地域学というのはそれを再発見する試みだと思うのです。ここはどういう土地なのか、私はどういう人間なのかを探る。そういう自覚から、実はさらに重ねていえば、そういうものを持った時に、じゃ私は地域に育てられてきたんだな、地域に生かされてきたんだなということを、自覚されるはずです。ならば、今度は自分がその地域を活かすためにはそうしたらいいかということを、考えていく。そういうことが地域づくりとやがて結びつくものだと考えます。こういう地域学をやっていたところから、土地のこういう景観は大事だから守っていこうとかいう、地域づくりに結びつくことがありましょう。ただ、私としては直接的に結びつく効果よりは、お一人お一人に自分を育ててくれた地域に対する認識、自分とはどういうものであるかを再発見する喜び、そういうものからまず始めて、やがて地域の活性化につながる。そういうことこそ、地域の本当の活性化につながるもんだと思います。

芳我
 いよいよ終盤になってきました。そして、お話が自己の再発見にもつながる、地域の精神構造という格調の高い内容にもなってきたと思います。松友先生が「愛媛学のすすめ」の中で言われておりますように、風土は何千年も変わらない一番下の基層にあり、その上に何十年かごとに変容する産業構造や交通部門などがのっている。さらにその上に毎日のように変わっていく政局とか日常の生活があるということであります。そして、地域の精神構造は、その何千年も変わらない基層の風上構造から生まれてくるということでありますが、そこで、肱川の風土とか城下町大洲人の気質とかを、地域学でどのように考えればよろしいでしょうか。そういうことも含めて、次をお願いします。

米地
 地域学をやる場合、私は二つのグループがあると思うんですね。一つは我々の郷土はいかに優れているかというお国自慢、もう一つは我々の郷土はいかに中央権力に押しつけられ、ゆがめられてきたかという、恨みつらみを書くというのがあります。私は、そのどちらか一方だけを採ることはしない。風土というものを客観的に見るには、実はその両面を見ることが大切じゃないかと思います。分かりやすい例を挙げますと、皆さん御存じの「おしん」というドラマがあります。あれが出たときの山形の反応というのはですね。7分3分で評判が悪かった。例えば、四国の方と会うと、あんたんとこはまだ大根飯を食べてるかと聞かれると言うんですね。これではたまらんと言うんですね。山形は確かに貧乏だったかもしれんけど、そういうところは誇張しなくてもいいんじゃないかと。今の「炎立つ」だってそういうところがありますね。何か毛皮着て出てきてですね。あらえびすの神様なんてやられると、東北ってこんなもんじゃないという気持ちが一方であります。反面で東北の、その貧しかった、中央にしいたげられた所をちゃんと知ってもらうことはいいんだという意見もあります。
 実は私どもは、地域に対しては2つの、難しい言葉で言うとアンビバレンツな感情と言いますが、これは好きだ、いいところだいいとこだと自慢したいという感情と、一方で重苦しくて何となくその自分の郷土の事は聞きたくない、言いたくないという感情との、二面性があります。そういうことを乗り越えるというか、客観的総合的に見ることが大事なんだと思います。そのためには、過去の歴史をきちっと押さえるという郷土史的なものも大事ですけれども、今私たちが、どのような課題を持っているのか、これから未来はどのようにしていくのか。そのようなことを見通す、新しく起こってくる問題に対していく視点というものが、大切だと思うんです。
 例えば最上川の問題にしても、その治水や治山などの現実の問題に関してもとりあげてもらいました。例えば最上川にかかる橋のデザインを論じて、いいとか悪いとか、こういう橋であるべきだという話もしてもらいました。そういう風に、いわば歴史や地理を学んだというだけでなく、これからどうしていったらいいかということまで議論していく。それには風土の持っている多面性といいますか、これを客観的に見る必要があるんじゃないかと、そのように思います。

芳我
 ありがとうございました。最後に、今後将来に向かって、大きな目でまた長い目で「大洲学」というのをどう考えていけばよろしいのでしょうか、お伺いします。

米地
 愛媛学というのがこの県の問題ですね。ここで、大洲でやりますと大洲学ですね。とかく、大洲学よりも愛媛学の方が偉くて、愛媛学よりも四国学の方が偉くて、さらに四国学よりも日本学、日本学よりもアジア学というふうに広がっていく方が、より重要なものになると考えがちです。それには一面の真理もありましょう。しかし私自身の考えとしては、愛媛学よりも大洲学の方が大事だと思っております。地域学としては本物なんだと考えております。大洲の中でも、今日見せていただきますと、お城に近い方と、北の方ではずいぶん違いますね。そういう大洲の中の違いというものも出て参ります。それから先には、さらに自分の家とその回りということもあるでしょう。それから我が家、自分というものがある。そういうふうに、だんだん収斂(れん)していく。究極の地域学が自分学だと思うんです。
 生涯学習そのものが実は、自分を見出すための、自分を作り上げるためのものなんです。愛媛学・大洲学はこれからのもので、山形学はちょっと先にスタートしましたけれども、同じ生涯学習という中に組み込んで始まったものでございます。けれどもお互いに、兄弟学あるいは姉妹学として発展していけたらと考えております。それでですね、先はどの中央と地方というのはないんだという話をしましたが、いわば地方と地方、ローカル(local)とローカル、それが手を結んで地域学を育てていければいいなあと思うんです。その意味でも、今日これから後のワークショップで多彩な発表者の方が、それぞれの御経験や御体験から、御自分の愛媛学・大洲学を御披露していただくということを、私はとてもすばらしいことだと思います。それに皆さんが触発されて、皆さん一人一人が、私の愛媛学、私の大洲学を作られることを、ぜひ期待申し上げます。

芳我
 ちょうど時間もきたようでありますが、最後に先生に、印象深くみごとなまとめまでしていただきました。本日このセミナーに参加された方を中心としまして、今後・将来とも愛媛学・大洲学、あるいは肱川学が生まれ発展することを念願いたしまして、この対談講演を終わることといたします。米地先生、そして会場の地元の皆様方、本日はまことにありがとうございました。