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わがふるさとと愛媛学   ~平成5年度 愛媛学セミナー集録~

1 飾り幕を作るようになったきっかけ

 20年くらい前、私の自治会の太鼓台が古くなって、すすぼけて運行することが恥ずかしくなり、お隣の土居町に売却した。しかし、それでは寂しいということで、せめて子供太鼓台を作ろうということになった。
 当時、「太鼓台の飾り幕は、専門家である縫師に依頼しないとできない。」と、だれもが思っていたので、最初は、制作を依頼した。香川県の縫師を訪ね、引き受けてもらうことになっていたが、縫師の家庭の事情でキャンセルされてしまった。子供たちには、祭りまでには作ってやると約束していたので、子供会と協議を重ねた結果、「同じ人間だ、みんな手作りでやってみよう。」ということになり。自治会の総会にかけた。経費のかかることなので、予想どおり賛否両論でとんざしかかったが、とにかくやってみることになった。しかし、それからが大変であった。
 まず、材料の確保に苦労した。京都で2日間、金糸屋さん、色糸屋さん、縫い糸屋さんを訪ね、ふとん締めの竜の目玉などのガラス製品は、神奈川県川崎市のガラス工房を訪ね、やっと手に入れることができた。
 それから作業になるわけだが、制作の工程は、資料(『新居浜太鼓台』より引用)を参照してほしい。とにかく試行錯誤の連続で、今思い起こしてもゾッとするが、1年かかって、やっと子供太鼓台の飾り幕ができた。この時の喜びはひとしおで、言葉の表しようがなく、出来上がった飾り幕を目の前に夜明けまで苦労話に花を咲かせた。
 この経験が自信につながって、自分の自治会の大人太鼓台4台、子供太鼓台11台の制作について、指導の依頼があり、それらの太鼓台の制作に協力してきた。作るたびに徐々に技術も上達し、今では、うぬぼれかも知れないが、けっして玄人にも引けを取らないと思っている。祭りに、自分の手にかかった太鼓台を見ると感無量である。