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愛媛学のすすめ

1 自己紹介

 本題に入る前に、仙台市宮城野区はどんな所なのか、簡単に自己紹介させて頂きます。宮城野区地元学を理解していただく基礎知識になるかと思います。すこしの間お付き合い下さい。
 
 仙台市は平成元年4月1日に11番目の政令指定都市に指定され5つの区(宮城野、青葉、若林、太白、泉)を設置しました。その5つの区のなかの1つとして宮城野区は誕生しました。
 仙台市の人口は約94万人、広さは約788平方キロメートル、伊達政宗の城下町ということは愛媛県の皆さんもよくご存じのことだと思います。
 宮城野区はその仙台市の北東部に位置し、人口約17万6,000人、広さは62平方キロメートルで、仙台港を有し、仙台市の工業、流通の拠点として、また、水稲の他野菜の生産など都市型農業が行われており、団地の造成、区画整理の実施などと併せて、商・工・農業と住環境のバランスのとれた町づくりが進んでいます。
 宮城野区の名称は「さまざまに 心ぞとまる 宮城野の 花のいろいろ 虫の声々」源 俊頼(千載集)など古くから歌枕として詩歌に詠まれ、都人のあこがれの地であった「宮城野」に由来します。
 歴史的にみると、宮城野区のある辺りは、平安時代は東北の軍事・行政の中心として設置された多賀城へ京より続く街道(東街道)が通り、別名「生巣原」とも言われた平原「宮城野」が広がり、萩をはじめ千草が生い茂り、鈴虫が鳴き、ひばりやうずらが巣を営むようなところでした。藩政時代になると、多賀城からさらに奥州一の宮として尊ばれた塩釜神社へと続く塩釜街道が整備され、歴代藩主が一の宮参詣や、足をのばして松島に憩う時に行列が通り、庶民も塩釜参拝、松島見物、遠くは金華山への信仰の道として利用し、街道沿いに多くの茶屋や旅龍ができ、にぎわいました。
 強引にまとめると、「歴史もあるし、新しくもある。」それが宮城野区です。
 さて、自己紹介はこれぐらいにして本題に入りたいと思います。