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愛媛学のすすめ

「愛媛学」のはじまりとその必要性

 そこでまず、愛媛学というのが、どこから提言されたのか。どうも私が聞くところでは、愛媛県の生活文化県政推進懇談会の席上で、ぼつぼつ愛媛学なるものを作り上げる時期にきているのではないかとの発言があったと伺っております。
 では、どうして今の段階・時期に、愛媛学というものを作る必要があるとの発言が起こってきたのだろうか。そういう願いみたいなものが起こってきたのでしょうか。司会の立場上、私なりに、まだ漠然としておりますけれども、愛媛学の必要性なり、それに対する抱負、あるいは期待、そういうものを述べさせてもらって、後はパネラーの先生と論議を進めていきたいと思います。
 第一には、情報化、国際化が進むにつれ、町づくりや、産業づくり、あるいは文化づくりにしましても、どの地域にしても地域の個性、そして特性というものを相当強く打ち出していかないと、生き残れなくなってきているということです。どこでもあるというのでは、個性がない。世界との交流とか、あるいは国内のいろんな地域との交流とかがだんだん盛んになって来ますけれども、愛媛なら愛媛、あるいは大洲なら大洲、西条なら西条というように、各地域の持っている、その「らしさ」みたいなもの。愛媛らしさとか、何々らしさという、その「らしさ」を打ち出さないと、これからはどうも生き残れない。こんな時代になってきました。そうしますと、「愛媛らしさ」とよく一般に言いますけれども、その「愛媛らしさ」というのは何なのか。「西条らしさ」、「宇和島らしさ」というような、その「らしさ」という表現の、その本当の意味は一体何だろうか。それをやはり考えていく必要があるのではないか。それは単なる地理学とか、歴史学とか、あるいは民俗学とか、ひとつの科学から一面的な切り方ででてくるものはなくて、いろんな学問分野からの総合的な横断的な成果としてでてくるものではないだろうか。新しい学問領域として、愛媛の特性は何であるかを探るとすれば、愛媛という地域を対象とした愛媛学なるものを考える必要があるのではないかということです。これが第一番目であります。
 それともう一つには、個々人の生き方とのかかわりにおいてです。私も愛媛県に来て22年になり、県内70市町村をほとんど回ったと思うのですが、県民の多くの方が、自分が住んでいるその地域自体について案外知らない。どういう歴史的背景があるのかもよく分からない。どういう地域の特性があるのかも分からない。
 この生涯学習センターでも、相当な数の講座が開かれ、その中で愛媛に関する講座も文学とか歴史、地理など、かなり開かれてはおりますが、愛媛県全体としては、自分が住んでいる地域の風土、自然、人物でもいいでしょうし、文化でもいいですが、そういうものについて知る機会があまりない。もっと知る必要も権利もあるのではないか。
 愛媛というものをとらえる場合、先程ありましたけれども、伊予八藩という形で考えていくのがいいのか、東・中・南予で考えていくのがいいのか。あるいはかつての伊予水軍が活躍した時代では、海洋に向かって行った、開放的なオープンな人情というものを持っていた。かなりの冒険心みたいなものがあったと思う。しかし、今八藩の時代の影響か、それぞれ小さく固まろうとしているとか、消極的で閉鎖的な気質が強いとかといわれる。愛媛県人の気質は本来どうなのか。しっかり歴史的にも押さえておく必要があるのではないか。
 そういうものを、愛媛の良さとか悪さも含めて、全部もろに自分自身が受け取った時に初めて、愛媛県人なり伊予人としての誇り、自信というものができあがるはずです。何せ我々が住んでいる地域ですし、そのことを知らずして、抜きにして、個性的な人間というのは、到底できないのではないか。各人がどう生きていくか、生涯学習の点からも、自分の住んでいる地域について知る必要がある。そのためにも愛媛学を作り上げることが大事ではないのか。それが二番目です。
 三番目には、時代の問題ですけれども、社会の変化が相当なスピードで進んできております。もう昭和生まれの人が老人というか、高齢の時期に入っていく。そうすると先程あった石切り歌にしましても、杜氏の歌にしても、だんだん廃れてしまう。もう最後のぎりぎりの世界に、我々はきている。ずっと伝えられてきていた伝統文化、生活文化等、いろんな領域を広げても構わないと思うのです。科学でもいいでしょう。そういうものを、今のうちに、聞き取り調査などで採集するなりして記録しておかないと、後から追っ掛けていっても収集できなくなる。もうそれらができる最終的な段階にきている。そういう焦った気持ちがあります。民話にしてもそうでしょうし、伝説にしてもそうでしょう。あるいは愛媛というのは相当海路が重要でしたけれども、どういう所に、出掛けて行ったのか。あるいは行商の人にしても、全国ずっと歩いた記憶や記録が今集められつつありますけれども、そういうのも聞き取りしておかないと、集められなくなってしまう。あるいは愛媛の人たちが、女性としてどういう生き方をしたのか。そのことを押さえておかないと、今後女性の問題を資料的に裏付けていくことも難しくなるのではないか。いろんなテーマや分野がありますが、これらについての記憶や記録されているものを収録しておくぎりぎりの時点に、今あるのではないか。画一化が進んでいくだけに、「愛媛らしさ」をとらえられる時期は今しかないということです。これが三番目の問題です。
 四番目には、過去を振り返るだけではなくて、愛媛の将来をどう描いていくのか。これが一番難しい問題だろうと思いますが、そのためには、まず足元をじっくり固めておかないといけない。科学的に特性というものをしっかり押さえた上で、未来像を構築していかないと、絵にかいた餅みたいになる。文化の背景とか、あるいはメンタリティと言うのですか、精神構造とかいうものを踏まえた上で、初めて、愛媛らしさを生かした、今後の未来像が描かれるのではないか。そういう「らしさ」というものを考えていくためにも、愛媛学というものを考え、取り組んでみたらどうかなということであります。
 最後に、それもただ単に、研究者だけが取り組むのではなくて、先程の講演で、生活文化の担い手は、県民150万とおっしゃいましたけれども、愛媛学も、県民150万がかかわっていく内容だろうと思います。愛媛って一体何だろうか。どういう特性があるのだろうか。県民の誰もが、お互い同士が交流しながら、地域を調べたり学んだりして、自分自身を知っていって、高まっていく。そういう知的な土壌というのを地域に作り上げていく。そうなった時、地域づくりと人づくりとが、きちんと一致した知的な世界が作り出されるのではないでしょうか。愛媛という地域について、科学的な裏付けのある愛媛学という学問体系を願いながら、同時に知的土壌を作り出す地域運動論としての愛媛学みたいなものが、できないものだろうか。こんな思いや願いをもっております。