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愛媛学のすすめ

「愛媛学」の可能性と意味

 私が申し上げたいのは、一つの行政区画、それもかなり大きな行政区画を取り上げて、それを研究対象にする。これは非常にテーマとして大きすぎるので、ここに愛媛学という学を今から作られていく。私はこのクエスチョンマークをお付けになった理由というのは、よく分かるのでございますけれども、愛媛学ってあるのかしらという女性の姿が、このシンポジウムのご案内の1ページにもございますけれども、愛媛学ってあるのかしらとクエスチョンマークがついているのは、二重の意味があると思うのです。
 愛媛学って何なのかしら。そういう疑問と、どうやったらできるのかしらという疑問と。その二つの疑問が重なって、この大きなクエスチョンマークになっていると思うのです。先程私は愛媛学などは成立し得ないと、乱暴なことを申しましたけれども、今のような考え方に立ってまいりますと、愛媛学というのは、大いに可能だし、可能だからいいというわけではなくて、可能な上に、これは大いに意味があると思います。
 そしてそうした一つ一つの生活文化圏の知恵の集合体が、更に大きくなることによって、今申し上げたような東アジア学のようなところまで広がって行けば、なおさらこれは素晴らしいことですし、その基点としての愛媛学というものの成立を、私は心からお祝いもしたいし、お祈りもしたいわけでございます。
 なんべんも申し上げますように、行政学としての愛媛学、これはもちろん知事さん以下、行政の方々がお考えになる、重大な問題でございます。同時に住民の問題でもあるわけですが、ここで生活文化の立場から愛媛学を考えますならば、なんべんも繰り返して申し上げますけれども、私は、それぞれの生活文化圏というものを、愛媛県という行政区画の中で、生活者たち自らが峻(しゅん)別して、どのような地域文化の特性が、愛媛県の中にあるのか。愛媛県というのは行政区画です。行政と生活というのは、一致しているようで一致していない部分があるというのは、何度も申しましたけれども、あくまでも私は、生活文化の担い手である我々一人一人の民衆の立場から、今お話ししてきたつもりでございます。
 随分あちこちに話題が飛んでしまいました。ただ私がここで申し上げたいことは、文化というのは、決して文化勲章だの、職業的な文化人、芸術家、学者などによって作られるものだけではないということです。
 極端なことを申しますと、プロの芸術家はいなくても社会は成り立つのです。しかし、毎日の生活文化を作る人がいなければ、我々は生活できません。
 モーツァルトの音楽は、確かに素晴らしいものでしょう。人によって好き好きがあります。自分はストラヴィンスキーの方が好きだという人がいるかもしれない。演歌の方がいいという人がいるかもしれない。しかし、そうした職業的音楽家がなくても、社会は成立し得る。生活はできます。あるいは、先程申し上げました有田焼だの九谷焼だのの上等な芸術品としての器がなくても、我々は生活はできます。しかし、日常の器であるお皿だの、ザルだの、お箸(はし)だのがなければ、生活はできません。
 だからと言って、私は別段、高級芸術文化が不要だと申し上げているのではありません。私が申し上げたいのは、人々の日々の営みである、しかもとりわけケの営みである日常の衣食住といったようなものを基点にしなければ、地域文化学は成り立たないし、ましてやその地域文化学の連合としての愛媛学も成り立たないだろう。私は、これを成り立たせたいから申し上げているのでございまして、自分の足元にある、日々の生活をもう一度見詰め直して、それを大事にすることから、こうした地域学、ないし郷土学というのが成立していくだろうと思うのです。
 こうした点について、大変心強いのは、冒頭に申しましたように、日本民俗学という、これは世界に類例を見ない郷土研究の歴史が、日本にはあります。ちょうど明治の末、柳田先生の遠野物語が出ましたのは、明治37年だったかと思いますけれども、そのころから郷土研究というのが始まりました。
 これは日本の大学の中では、取り扱われることのなかった学問分野です。最近でこそ、幾つかの大学で民俗学という学問が講座として開かれましたけれども。日本の大学は、大変愚かで怠慢なことに、外国の書物を読むことに熱中してまいりました。足元の生活の事実というものを、あまり勉強してきませんでした。
 ただ柳田先生だの、宮本常一先生だの、折口信夫先生だの、たくさんの先学がおられますけれども、この先生方が、民俗学という学を作られた理由というのは、国学を作ろうという志だったということを、私はこの際思い出します。国学というのは、自分の国の学であります。
 国学というと平田篤胤(あつたね)などを思い出されると困るのでございますけれども、なぜ国学なのかと言うと、あまりにも日本の学問が西洋学に傾いていたからです。自分の国を勉強すること。しかし日本の国を勉強するというのは、大変なことでございまして、一番北は稚内から、一番南は波照間島までカバーするわけですから、日本について論じようと思うと、これは大変難しい。とすると、自分が今住んでいる、生活の場である地域社会、あるいは地域社会空間の中で繰り広げられている生活文化というものを見詰めることから、国学は始まらなければならない。国学成立のためには、したがって郷土研究から始まるというのが、実は日本民俗学の成立の経緯でもございました。
 としますと、この愛媛学シンポジウム、今日はちょっと日本民俗学の今までの伝統に、やや多くのことを時間を費やしてお話ししてしまったようでございますし、多少支離滅裂なところがあったかもしれませんけれども、愛媛を知ることの前に、恐らく各生活文化圏というものを知ることが大事だろう。それができるならば、それの連携調整、相互刺激の学としての愛媛学が可能だし、また望ましいだろう。そこから、更にこれが国学になり、その国学が、更に普遍性を持った世界の学になっていく、一番最初の種なのではないか。そういうことを申し上げたかったのであります。
 この後、まさしく生活文化、要するに作曲者不明、作詞者不明、しかしその職業集団の中では語り継がれている。まさしく生活文化の担い手たちの作った、そしてずっと伝承してこられた、普通の言葉を使いますと民俗芸能ということになるのでしょうが、芸能でもありません。生活そのものを歌った歌とパフォーマンスが、この舞台の上で広げられるでしょう。それと、日本フィルハーモニーがここで演奏されるオーケストラとの間に、大きな違いがある。どちらがいいとか悪いとかということではありません。私たちを取り巻いている文化環境というものは、二重にも三重にもなっているし、その中で一番大事なのは、私は今からここで我々が拝見するような、まさしく生活文化の担い手たちが、自分たちの生活の中から作った音楽であり、あるいは所作であるというふうに思います。
 これが、今日の私の前座としての、不十分な務めでございまして、この後、先生方が、非常に活発な議論を展開していただけると思いますので、私のお話は、これで終わらせていただきます。どうもありがとうございました。(文責・愛媛県生涯学習センター)