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愛媛学のすすめ

アマチュアの文化

 自分の職業はちゃんと別にあるけれども、同時に自分自身を表現してみよう。こういうようなことが生活文化ということの一つの特徴かとも思います。
 したがいまして、私は生活文化の担い手たちとして、まず第一に、その特徴として挙げられるべきものは、アマチュアリズムということだと思います。
 アマチュアの中には、しばしばプロになる人もいるわけでありまして、例えば絵の世界で申しますと、アンリ=ルソーという人がいました。美術館に行かれますと、時々ある絵ですが、パッと見ただけですぐわかるアンリ=ルソーの絵というのがあります。
 ルソーは、確か税関の職員だったはずであります。銀行員だったかもしれません。そうした職業が一方にありながら、他方、手すさびに絵を描いていた。アンリ=ルソーは若いころからの画家ではなくて、中年以降に画家として、その地位を確立されたのであります。したがってアマチュアがプロになるということも、しばしばあり得ますけれども、プロになることが決して目的ではなかった。アマチュアとして、絵筆を握ったというのが、アンリ=ルソーをはじめとする、たくさんの画家たちの仕事の始まりでございました。
 もう一つ、歴史を振り返ってみますと、プロの文化人というのは、しばしば、これはアーノルド=ハウザーという人の『芸術の社会史』という有名な書物がありますけれども、プロの文化人というのは、しばしばパトロンによって保護されておりました。
 昨年はモーツァルトの200年祭というので、いたるところモーツァルトだらけでございました。モーツァルトという一人の作曲家は、確かに天才であったには違いないのですが、彼があれだけの交響曲を書き、ピアノ協奏曲を書き、弦楽四重奏曲を書き、といったことをしましたのは、彼の背後に近世の貴族たちがいたからです。
 モーツァルトの家というのは、御存知のように宮廷音楽師でございました。作曲活動、演奏活動というのは、後ろでパトロンが支えていてくれたからできたわけであります。
 プロと言いましても、現在のように絵かきさんが絵を描いて、その絵が号何万円で売れるとかいったような、そういうような自立した職業人ではなくて、むしろパトロンの援助によって創造活動をした、そういう芸術家たちが、過去にはたくさんいたわけです。
 日本の例を考えてみましても、例えば安土桃山期から、徳川幕藩体制の初期にわたって、京都の鷹が峰に光悦を中心とした、いわゆる光悦村というのができたのは、皆さん御存知かと思います。
 本阿弥光悦の周辺にいた人物としては、俵屋宗達がいましたし、陶器の方では佐野兼山がいましたし、そしてほぼ同時代にいた人たちを考えてみますと、宮崎友禅斎、御存知のように、例の友禅染の開祖でございますが、こうした人かおりました。
 しかし、この人たちの芸術活動を支えてくれたのは、京都の町衆という、京都の新興ブルジョワジーでございました。この人たちが、いわばスポンサー、ないしはパトロンになって、そうした職業人を育ててきたわけです。
 それに対しまして、今私どもが問題にしなければならない、あるいは問題にしようとしている生活文化というのは、あくまでもアマチュアの文化であります。
 この文化というのも、さらにつきつめて申しますと、私たちの日常生活そのものというふうにとらえてよろしいかとも思うんです。
 文化という言葉を聞きますと、今挙げましたように、造型・芸術、音楽、あるいは劇場での様々なパフォーマンスといったものを連想いたしますが、それだけではない。むしろ日常の衣食住といったような、非常に身近な事柄で、私たちが毎日やっていること、これもまた生活文化の中に数えてよろしいのではないでしょうか。
 これをちょっと別な言い方をいたしますと、いわゆる文化、これを仮に高級文化という言葉で呼ぶことにいたしましょうか。こちらの方は発明者だの作者だのがはっきりしている文化、ないしはその所産であります。
 先程申しましたモーツァルトの音楽というのは、ケッヘル番号何番というので、音楽史家によっても記録されておりますし、それは現在でもしばしば演奏されている。作曲もモーツァルト、あるいはベートーベンであっても、ブラームスであっても、シュスタコヴィッチであってもよろしいんですけれども、作曲家の名前がはっきりしています。
 しかし、全国各地に伝わっている民謡のようなものを考えてみましょう。今日もこの後で、この県下の石切りの歌、杜氏さんの酒造りの歌というのが、この舞台上で繰り広げられることになっているようで、私も楽しみにしておりますけれども、こうした民謡といったものに、果たして作曲者、作詞者がいるか。もちろんいたでしょう。いたには違いありませんけれども、それはメンデルスゾーンとか、あるいはプロコフィエフといったような、特定の作者に所属しない、日常の暮らしの中から出てきた、匿名の作者たちによる作品であります。
 あるいは道具の方を考えてみましょうか。私たちの回りには、たくさんの消費財があります。例えば私の手元にあります一つの時計ですけれども、この時計は、ここ20年ほどの間に、手巻き、自動巻きからクオーツ時計というのに変わりました。水晶発信体というのを中に置いた時計でありますけれども、このクオーツというものを使ってみようか。こういうふうに応用できるということは、一人の発明者の手によるものであります。あるいは発明家のグループかも知れません。
 そういう人たちが、いわば職業的に作った製品として、私たちは時計というものを一つ持っているわけですが、日常的に使っている様々な道具というのは、作者不明でございます。このごろでは、随分プラスチック製品も多くなってまいりましたけれども、たとえば、バスケット製品というのを考えてみましょう。
 バスケットの分布については、人類学者が随分たくさんのことを調査しておりますが、バスケットというのは、要するにザルやカゴのことであります。
 これは、インドの北部のアッサムに行っても、シッキムに行っても、竹だの籐(とう)だので作ったバスケット細工というのはございますし、太平洋諸島に行っても、こうしたザル・カゴの類はあります。
 どこで、いつ、誰が、どんなふうにして、このバスケットを作ったのか、わかりません。しかし私たちの台所には、ザルやカゴは欠かすことのできないものです。ザル・カゴ一つ一つについて、それの発明者の名前が残っているわけではない。これは庶民といいますか、私たちごく普通の人間たちが、生活の中から考え出した一つの生活文化財でございます。
 民俗学の方では、これを民具というような言葉で呼びます。このごろは生活用具というような言葉で呼ぶようでございます。
 発明者が定かでないような文化。発明者が定かでないのは、先程から繰り返して申し上げておりますように、これがもっぱらアマチュアの手によるものだったからです。
 つい先程、お昼御飯の時に、「しょうゆ餅」というのをごちそうになりました。生まれて初めていただいたのでございますけれども、この「しょうゆ餅」というのは、一体誰がどこで発明したのか。別にパテントも何も残っていません。長い歴史の中で、生活者たちが、いろいろ工夫しながら作ったのが、このしょうゆ餅であり、あるいは長野県に参りますと、「おやき」というのが、方々に、とりわけ北信に多いのですけれども、「おやき」なんていうお料理があります。お料理というか、お菓子ですけれども、誰が作ったのか、これはわかりません。アマチュアの作ったものですから、欲得ずくで作ったパテントのある商品ではない。生活の知恵として出来上がってきた食品。これは生活文化の非常に大事な部分でしょう。
 それから先程、宮崎友禅斎のことを申しました。宮崎友禅斎というのは、どうやら加賀の人だったらしいのです。これは諸説ふんぷんとしておりまして、京都の人であったか、加賀の人であったか。京都と加賀が長い開にわたって本家争いをしておりましたが、友禅斎のお墓がどうやら金沢市内で見つかりましたので、加賀友禅というのが本流だろうというふうになっております。
 宮崎友禅斎が作った友禅染というのは、現在でも本当にプロの職人さんたちの手によって、相当の月日をかけて染め上げられるものですから、友禅の細やかな生地というのは、相当高価でございます。百貨店だの呉服店だのに参りますと、何十万円、時には何百万円といったような値段がつくような染め物があったり、あるいは織物があったりいたします。これはプロの作家たちが作った衣料品であります。しかし、私たちが一般に普段着と言っているもの。現在ですと着ているものというのは、おおむねスーパーだのデパートだので買ってまいりますけれども、この前、和辻哲郎先生の自伝を読んでおりましたら、和辻先生の時代ですと、小学校に通う時の通学用の、ここは伊予絣(いよがすり)の名産地でございますが、着物というのは、お母さんが自分の家の土間で機で織っていた。持っていくお弁当もお母さんの手作りでございます。したがって、そのようにそれぞれの農家の土間に、ついこの間まであった機織りの機械というのは、少なくとも明治中期までに生まれた方々にとっては、自家生産の物でございました。誰が発明した機織り機でもない。誰かがしたに違いありませんけれども、発明者不明。しかもパテント料なんていうものも、当然そこにはつきまといませんし、どこの家でも自分の家で織っていたような、そういう織物を着て、人々は生活していた。和辻先生もそうだったわけですが、こうしたアマチュアの作った衣料品、これは言うまでもなく生活文化の一つであります。ですから、こうしたことは、衣料生活についても、食生活についても、あるいは住生活についても、あらゆる領域で見られるわけでございます。ごくごく当たり前の人間たちが、長い歴史の中で積み上げて、作り上げてきた、そうした文化財。これを生活文化の成果と言ってよろしいでしょう。