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えひめ、女性の生活誌(平成20年度)

第1章 家庭を支えた女性の生活誌

 本章では、女性の生活誌を「家庭」という視点から取り上げた。戦後の新しい憲法や民法のもと、「個人尊重」「男女平等」の時代になってからもしばらく残存しつづけた「家」制度の中で、女性たちがいかに家庭を支え家事労働や育児等にかかわったのか、県内各地域で聞き取った話をもとに探った。
 戦後間もないころの女性の地位について、昭和22年(1947年)4月7日の朝日新聞天声人語には、次のように書かれている。
 「・・・憲法で、婦人の解放、男女の平等は保障されたが、今のところ空証文を渡されただけで、バスに乗る権利はあっても、かんじんのバスが動かないのと同様である。民主主義の活字をいくら造ってみても、家庭生活の民主化がなければ、民主主義は身につかない。家庭生活の民主化は、台所地獄からの女の解放である。・・・」
 新憲法のもと、民主主義の時代になっても依然として女性の地位は低く、特に家庭生活での女性の苦労は大変なものがあった。女性は家事、育児から夫や舅(しゅうと)・姑(しゅうとめ)の世話のほか、労働者としても身を粉にして働いていた。戦後の女性の地位向上や社会進出は、家庭における女性の解放、つまり家庭生活における女性の家事労働の革新から始まっていく。それを実現したものが家電「三種の神器(じんぎ)」に代表される家電品と、水道・ガスの普及であった。
 激動の戦後史の中で家庭を支えた女性の生活誌について、次に挙げる県内各地の皆さんに御協力をいただき、話を聞くことができた。
 四国中央(しこくちゅうおう)市の**さん(大正8年生まれ)、**さん(大正12年生まれ)、**さん(昭和4年生まれ)、**さん(昭和6年生まれ)、**さん(昭和12年生まれ)、**さん(昭和18年生まれ)、新居浜(にいはま)市の**さん(昭和3年生まれ)、**さん(昭和6年生まれ)、**さん(昭和12年生まれ)、松山(まつやま)市の**さん(大正7年生まれ)、東温(とうおん)市の**さん(昭和3年生まれ)、**さん(昭和3年生まれ)、**さん(昭和3年生まれ)、**さん(昭和14年生まれ)、**さん(昭和16年生まれ)、**さん(昭和17年生まれ)、八幡浜(やわたはま)市保内(ほない)町の**さん(大正12年生まれ)、**さん(昭和3年生まれ)、**さん(昭和4年生まれ)、**さん(昭和16年生まれ)、北宇和(きたうわ)郡松野(まつの)町の**さん(昭和5年生まれ)。