データベース『えひめの記憶』

えひめの記憶 キーワード検索

えひめ、人とモノの流れ(平成19年度)

(2)全国への発信と展覧会の継続

 ア 1回目の展覧会はコロンブスの卵

 「実施に当たってこんな方程式を考えました。1億2千万人に呼びかける。そうしたら1千万人ぐらいが気にしてくれて、その中の100万人ぐらいが振り向いてくれるだろう。そしてその中の1%、1万人ぐらいの人がかまぼこ板に絵をかいてくれるかもしれないと。第1回展のフタを開けてみると、それが当たったような感じで12,100人からの応募があり、作品数は10,891点、作品に使われたかまぼこ板の数は23,000枚という結果になりました(写真4-1-11参照)。
 1回目の展覧会を開催した平成7年(1995年)は、阪神淡路(はんしんあわじ)大震災で年が明け、オウム真理教による地下鉄サリン事件が起きた年でした。かまぼこ板に絵をかいてくださいという企画は、暗い出来事が続いた時期だったからこそヒットしたのではないかと思ったりしました。また山の中の小さな美術館が目をつけたかまぼこ板の絵。まさにコロンブスの卵的な企画が受け、さらに展覧会に足を運んでみたら、それがおもしろかったというようなことが重なったものと感じています。 
 1回目の展覧会に向けて私たちにもっとも勇気をくれたのは阪神淡路大震災の被災者から届いた作品でした。実は被災地の兵庫県には一枚のチラシもポスターも送っていなかったのです。ところがなんと555点の作品が、県外に避難された方からの作品を合わせると613点もの作品が届いたのです。死ぬかもしれない、家も財産も、家族も失った人たちが、避難所で食べたかまぼこの板に絵をかいて送ってこられたのです。しかもそこには『ありがとう。』というメッセージが添えられていました。こんなふうに震災を受けた皆さんからも励ましてもらいながら準備を進めたものです。
 おかげさまで1回目の展覧会には約20,100人もの方が見えられました。かまぼこ板の展覧会を、されどかまぼこ板の展覧会といえるような状況にしてくださったのは、やっぱり来館者の力です。そうして、こういった取組が城川町始まって以来となる愛媛新聞賞(*7)の受賞に結びつきました。この受賞は、『中沢裕美さん』のお話にも助けられたものです(コラム参照)。」

 【中沢裕美さんと『うららかな頃に』】
 大阪府高槻(たかつき)市の中沢裕美さん(当時22歳)は、突然発症した白血病との闘病生活を続ける中で、御両親には内緒で一枚のかまぼこ板に描いた作品『うららかな頃に』を応募していたが、平成7年7月7日に急逝(きゅうせい)された。裕美さんのちょうど初七日にギャラリーしろかわから作品応募のお礼状と展覧会への招待券が同封された封書が自宅に届いた。御両親にとっては、見知らぬ山あいの小さな美術館からの便りに驚くとともに、最愛の娘が思いを込めて描いた作品が存在し、展覧会に応募されていたことを初めて知ることになる。御両親は百か日の法要を終えた後、その作品との対面を願って美術館を訪れた。御両親は展示されていたかまぼこ板の絵約12,000点余の中から、一度も目にしたことのなかった裕美さんの作品を探し当て、再会を果たすことになる。
 平成11年(1999年)からは、毎年7月7日を「天国の裕美さんと私たちを結ぶ日」として、美術館にある100本余りの竹林にエピソードを知る人々から届いた色とりどりの短冊を飾り、裕美さんをしのんでいる(写真4-1-13参照)。遺作となった『うららかな頃に』は、毎年、年末から立春までは御両親のもとに里帰りし、毎年「かまぼこの板の絵展覧会」会期中は展示されている。その様子を御両親は「娘は青い島四国の奥伊予の森にある美術館ギャラリーしろかわで働いている。」というメッセージを美術館に寄せられている。

 「私たちは、作品を応募してくださった12,100人の方に、応募への感謝を込めて、『ありがとうございました。』という御礼の手紙を書きました。手紙を書いていた間、自宅に帰ったのはそれこそお風呂に入るためぐらいでした。その手紙が作品を応募された後に亡くなられていた中沢裕美さんの初七日に届くことになるのです。このエピソードは多くのマスコミに取り上げられました。日本全国に向けてお礼状を書くような美術館が世の中にあったのかということも大きな反響を呼んだのです。しかも、お礼状を書いたのは正規職員1人、臨時職員2人、非常勤職員1人、という小さな美術館であったので、さらに驚きをもって報道がなされたわけです。新聞の読者欄の記事には『あの子たちは、寝食を忘れてがんばったのだろう。』という内容が掲載されていました。それを見たときに、わかってくれている人がいるのだなあと、涙が止まりませんでした。若い2人の臨時職員は、超過勤務手当など一切つかない中でよくぞついてきてくれたものだと思います。そして、展覧会にまつわる様々なエピソードや展示内容などが新聞、テレビ、ラジオ、そしてミニコミ紙にいたるまで次々と取り上げられ、その数なんと年間で550件にも上ったのです。」

 イ 功を奏した情報提供

 「様々なマスコミが取り上げてくれたわけですが、実は私たちは全国紙の新聞社に対しては『自分たちがこういうことをやろうと考えているので、ぜひ御指導をお願いします。』といった姿勢で情報を投げ込み、展覧会に向けての進捗(しんちょく)状況も逐一(ちくいち)提供していたのです。そして、取り上げてもらうと各マスコミに対しては、すぐに記事内容の続編の情報を送り続けました。そうやってマスコミの力を借りながら全国に情報を発信することができたわけです。
 今でも『かまぼこ板の家を建てました。その家の柱は4人のスタッフのチームワーク。風雪をしのいでくれたのはマスメディアだった。』と思います。私たちには自分のところは大したことがないと謙遜(けんそん)して表現することがよくあります。だから、外側からすごいですねとか、立派なことですねとか言ってもらって初めて、自分たちのしていることが、すごいことだと気づくことも多いと思います。かまぼこ板の展覧会にしても、『あれはすごい人気があって、全国からたくさんの人がやってくるほどのいい企画なのですよ。』とよそ様に誉(ほ)めてもらえてはじめて、地元の方がいいのだと言ってくださるようになるのです。やっぱり地方の文化を育てるにはマスコミの力は欠かせません。情報の発信力がなければいけないなぁと思います。」

 ウ 海外からも届く作品

 「海外からの作品応募は、第1回目からありました。そして、はじめてアフリカからの作品が届いたのは、6回目(平成12年〔2000年〕)のときです。青年海外協力隊員として活躍されていた宇和島(うわじま)市出身の方の働きかけでアフリカのザンビアの子どもたちからフランス語の新聞に包まれた283点の作品が届きました。はじめてみるアフリカの子どもたちの絵にスタッフは歓声をあげました。それ以来アフリカからの応募は続いています。特にこちらから外国に向けた情報発信をやっているわけではありませんが、美術館を応援してくださる多くの皆さんがインターネットで情報発信をしてくださっていて、そういった輪が次々と広がっている状況です。」

 エ 盛況ぶりと、うらはらに

 「愛媛新聞賞を受けた翌年から、『ふるさとイベント大賞優秀賞(*8)(平成9年)』、『日本生活文化賞(*9)(平成11年)』、『全日本ダイレクトメール大賞(*10)公共機関部門銀賞(平成14年)』、『同金賞(平成16年)』と様々な賞をいただきました。しかし、そういった評価とは裏腹に、行政サイドからは展覧会を続けていくことに対して『十分やったから、もうやめてはどうか。』という声が毎回下りてきていました。特に4回目は応募数が1回目よりも少なくて、それこそ今が止め時だと言われました。
 実はこのときは子どもたちからの作品が多数入賞したのですが、来館者も少なく、作品集も絵葉書も例年のように売れなかったのです。私たちとしては子どもたちが活躍した展覧会は、きっと未来の展覧会につながっていくものと考えていました。だからこそ、応募作品や来館者が減ってしまったという状況を飛び越え、なんとか来年度以降も続けていくためにも何か大きな賞をいただけないものかと思ったものでした。そういうときにいただいたのが『日本生活文化賞』でした。著名な評論家や企業家の方が審査員で同じ賞を受けたのが『ようこそ課外授業』というNHKのテレビ番組などの有名なものばかりでしたから、本当にうれしかったです。
 今年で13回目になりますが、これまで続けてこられたのは、やはり『思い』が『形』になったからだと感じています。大事なものは見えないと言われますが、形にないものがみんなを変えていったのです。展覧会に足を運んでくれた方の中には10回も来てくださった方もいらっしゃいましたし、見ず知らずの方が新聞の投稿欄に展覧会のことを投稿してくださったりしました。そして、そういうものによって展覧会をやめたらいけないだろうという雰囲気をつくってくださり、そういう周りからの応援に支えられて今までやってこれたんだと思っています。人を支えたり、励ましたりして、『力』になっていくものは『形』が見えないんですよね。」


*7:愛媛新聞賞 ふるさと愛媛の発展に尽くした個人や団体を表彰するもので、文化・社会・経済の3部門で設けられてい
  る。昭和28年(1953年)から実施されており、主催は愛媛新聞社である
*8:ふるさとイベント大賞優秀賞 個性あふれる地域づくりに寄与したイベントを表彰して全国に紹介し、地域の活性化につ
  ながる新たなイベント企画の指針を提供しようと平成9年(1997年)に実施された。主催は全国52新聞社と旧自治省であ
  る。
*9:日本生活文化賞 日本の伝統文化の継承や地域振興への貢献などの観点から、日本国内の生活文化の向上に貢献した個
  人・団体を表彰するもので、平成3年(1991年)から実施された。主催は日本ファッション協会である。
*10:全日本ダイレクトメール大賞 実際に使用されたダイレクト・メールを公募し、審査の上、優秀作品を表彰するもの
  で、昭和61年(1986年)から実施されている。主催は日本郵政公社と日本ダイレクト・メール協会である。

写真4-1-11 本年度応募作品の審査会場

写真4-1-11 本年度応募作品の審査会場

城川町農業者トレーニングセンター。折笠氏が一次審査を行っているところ。西予市城川町土居。平成19年6月撮影

写真4-1-13 裕美さんをしのぶ笹祭り

写真4-1-13 裕美さんをしのぶ笹祭り

ギャラリーしろかわ。平成19年7月撮影