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えひめ、人とモノの流れ(平成19年度)

(2)材を集める

 「伐木され、造材された丸太を次の段階の運材がしやすいように、一定の場所に集めることを集材というのです。木寄せ、山落し、藪(やぶ)出しなどと呼ばれていました。場所や時代によって、人力、畜力、木馬道、架空線などによる集材が行われていました。」
 
 ア かつぐ、負う

 「搬出距離や搬出量が少ないときは人がかついで出しておりました。カタスケとニギリの部分を備えたカタギマクラを使い肩に材木をのせて、もう一方の肩の杖で重心の位置を調節して、荷が両肩にかかるようにして、調子をとりながら降ろすのです。休むときには荷の前方の一端を地面につけて、カタギマクラのニギリのもとに、二股(ふたまた)の杖の支えをして休んでおりました。これを仲持ち、仲出しと呼んでいました。50~60貫(187.5~225kg)もある大きい材木は、直接肩にのせるのではなく、木に綱をかけて棒を通し、前後二人ずつの四人がかりでかついで降ろしました。また5間(約9m)ものの長くて大きい木を出すときは、根本に近いモトクチを前にして、一本の長い綱をゆるく巻きつけ、重さに応じた本数の棒を通して、左右に並んでかつぎました。そして短い材は負い子に縛り付けて降ろすこともありました。」

 イ 牛で運ぶ

 「肱川全体に馬がおりませんでしたので、大きい材木は全部牛に引かしておりました。背中に載せるのではなく、丸太の木口にテンコロ(クサビに金属の輪を付けた物)を打ち込んで、地面の上を引っ張らせます。木材運搬の専用の牛を飼っている人がいて、『駄賃(だちん)持ちさん』と呼んでいました。山道のないところは、駄賃持ちさん同士が、二日も三日もかけて道を造っておりました。山の傾斜の裏側を掘り、表は杭を打って、上り道にはモウソウチクを割って横に敷いておりました。」
  
 ウ 猫車で運ぶ

 「木製の二輪の猫車で伐採木を運ぶ作業をする人はたくさんおりました。子どもも学校から帰ると2、3人が共同で運んだりしていました。結構よい小遣いをもらえたのです。スギは13尺2寸(約4m)、マツは14尺(約4.2m)のものを5、6本積んで下ろすのです。短いのもありましたが、これがやっかいでした。『たとえゆがんでいても、長く伐っている方が猫車とか牛に引かすのに都合がよい。』と木を伐る人が言っていました。積んだ木材の中ほどの動かないしっかりしたものに金属の棒を打ち込み、これを梶棒(ブレーキの役目もする。)にして、難しい場所や、特別大きいのを運ぶときは4、5人が手伝いますが、ふだんは1人でゆっくり下ろすのです。途中で溝や轍(わだち)にはまり込んで、動かなくなったときなども仲間が寄って助けます。
 道の手入れも大事なことでした。さいさい雨が降ると土を入れて固めないといけません。また同じ所を何度も通るので、窪んでくると、土を入れて補修するのです。仕事仲間同士で作業をしたものです。」
 
 エ 木馬で運ぶ

 「シイタケの原木と木炭は木馬(きんま)で運びました。引っ張るものは牛と人力の二通りでした。山から山の裾(すそ)へ下ろすのです。
 木馬は二本のスギの木を4、5か所横木でとめたソリ型の台で、この上に二本の横木を渡し、横木に開けた穴に荷崩れ防止用の棒をたて、丸太を積んで荷綱でしばるのです。木馬の先端には約2.5mの木を一本固定して梶棒とし、この梶棒(かじぼう)を操作しながら、下ろすのです。台のスギにはカシの木が打ち付けてあり、ときに油をさします。
 木馬用には幅1.5mくらいの木馬道を造り、車馬道から谷に沿って山林に一定勾配(こうばい)で入り、小谷は桟橋で渡り、木馬道の路面には桟木を枕木のように並べ、その上を丸太を積んだ木馬が滑降し、車馬道まで下ろすのです。」

 オ 架空線でつり下ろす

 「種々の架線方式がありますが、林地を損傷することが少なく、架設に要する費用も急傾斜地では林道に比べてかなり安いことから、地形が険しかったり谷を越えたりするときに、長所を発揮するのです。昭和30年代には尾根から道路まで索道を張り、搬送をするようになりました。山の伐採現場では索道の盤台(木材を搬出する起点)までは人や牛による木寄せを行っていたのです。
 例えばつるべ式は、上下2地点間に二本の鋼索を張って、それぞれに1個の搬器をかけ、交互に運航し、運材するのです。上部で積み荷を行った実搬器は自重で降下します。それによって下部で荷下ろしをすませた空搬器は上部に返送されるのです。」