データベース『えひめの記憶』

えひめの記憶 キーワード検索

えひめ、子どもたちの生活誌(平成18年度)

4 集団遊びの効用-子ども組のこと-

 民俗学者の福田アジオ氏は、『日本民俗学概論(⑫)』の中で、「子ども組」が単なる遊び仲間とは異なり、次のような組織上の特徴を持っていると述べている。
 
   「第1は、子ども組はムラ内部の組織である。ムラ内の参加資格のある者すべてを参加させるもので、任意に集合離散
   する仲間ではない。そしてまたムラを超えて組織されることはない。
    第2は、成員資格が明確なことである。子ども組は原則として女子を排除して男子のみで組織される。そして加入・
   脱退の年齢が決まっている。普通は7歳で加入し、15歳で脱退する。
    第3は、子ども組は内部秩序が制度化されていることである。まず、組織全体を統率し、行事執行を指揮する代表者
   がいる。原則として年長者がなる。年長者に権威があり、下の者を指揮統率する力がある。(⑫)」
 
 とすれば、今治市朝倉上や宇和島市吉田町本町での聞き取り調査に出てきた「亥の子」は、正に「子ども組」の好例である。上記の福田氏が第3に挙げている「代表者」は、今治市朝倉上では「大将」と呼ばれ、宇和島市吉田町本町では「トウドリ」と呼ばれていた。ともに15歳の男の子であった。「亥の子」の魅力は絶大で、男の子たちは、いつかは「大将」とか「トウドリ」になって差配してみたいものだと夢見ていた。その一方で「亥の子」に参加できない女の子たちは、羨望(せんぼう)の眼差しでながめるしかなかったのである。
 しかしながら、昭和40年代後半に入ると、今治市朝倉上の例のように、男の子だけではなく女の子たちの参加を認めることでしか、「亥の子」行事を維持できない事態に陥るところも多くなっていった。
 愛媛県生涯学習センターが平成15~17年度にかけて実施した「えひめ地域学調査」においても、「本来、精霊(しょうりょう)の供養だった盆飯(ぼんめし)の行事も戦後に様変わりし、肱川地域でも昭和40年代にその姿を消してしまった。現在は、盆飯は親や先生が指導する愛護班やスポーツ少年団の飯盒炊飯(はんごうすいはん)に変わってしまった。(⑬)」とか、「かつては、小学校高学年から中学生までの各家の長男が(五つ鹿踊りを)踊ることになっていたが、子どもが減少した現在では、この地区に住む適齢者を中心にしながら他地区の希望者も募って踊り手を確保している。(⑭)」というような苦労話を多くの地域で聞き取っている。
 ところで、集団遊びの空間のもつ魅力について、松山東雲短期大学教授の松井宏光氏は、次のように分析している。

   「かつて、町中にも“雑然とした”“アナーキーな(*6)”空間があったように思う。それは納屋・廃屋・工場の跡地・廃
   物置き場・空き地・草原・荒れた河原や沼であり、古くは防空壕や焼け跡などである。そこは、子どもたちにとっては
   不安が伴うが、不思議と魅力のある遊び場であった。秘密の場所として基地を作り、捨てられた子犬を飼い、草の実や
   虫を採りなど、何よりも大人の目が届かない場、変化と闇がある場だった。(⑮)」

 また、昭和30・40年代の「高度経済成長期」から現在にかけての子育てをめぐる環境の変化について、国立教育政策研究所の笹井宏益氏は、次のように分析している。
 
   「いわゆる高度経済成長期以前には、三世代同居型の家庭が多く、子どもたちは、祖父母や兄弟姉妹たちといっしょに
   『同じ屋根の下』で育てられた。また、一歩外に出れば、背格好も年齢も異なる多くの仲間たちに遊んでもらえたし、
   さらに、地縁血縁をベースにした人間関係の中で、(好むと好まざるとにかかわらず)『おじさん』や『おばさん』と
   コミュニケーションを行わなければならなかった。
    こうしてみると、子どもたちは、自分の親以外にも様々な『意思疎通のためのチャンネル』『学びのためのチャンネ
   ル』を持っており、それを駆使することで、自らの成長のための『学び』を得ることができた。言い換えると、かつて
   の地域社会では、地域を生活の場としている子どもたちと大人たちとの間に、様々な『しつけのチャンネル』が存在し
   ており、いわば、子どもたちに対する教育を地域全体で行う仕組みが存在していた。
    しかしながら、急速な都市化や少子高齢化の進展あるいはモビリティ(*7)の向上に伴う行動範囲の拡大等を背景に、
   核家族化が進み、家族の生活スタイルが変容した。また、住民相互のつながりが希薄になり、地域社会の在りようが変
   質するようになった。このことは、かつての地域社会が持っていた『子育てやしつけを地域で支える仕組み』が崩れて
   きていることを意味している。もはや多様な『しつけのチャンネル』などは家庭の周りに存在しない。(⑯)」

 もとより、集団遊びの効用は、一人ひとりの人間として自立に必要な社会性やコミュニケーション能力の育成を促すことである。子どもたちが互いに相手を尊重しつつ自発的に「御宿(おやど)」とか、「秘密基地」とかを作り上げることのできる空間的、時間的、精神的余裕を共有することで、いわば「共同幻想(きょうどうげんそう)」を享受(きょうじゅ)し合えることである。いわば非日常的な異次元空間として存在していた特別な舞台で、共に生き、学びながら、育っていく仕組みが整っていたのであった。子ども組や祭りなどの集団遊びの中で、たくさんの人々とのかかわり合いや取組を重ね、子どもたちのエネルギーを燃焼させながら、地域社会で生きるための絆(きずな)やルールを伝え合い、受け継ぐ営みが繰り返されていたのである。
 集団遊びの効用という視点から、本書『平成から昭和へ、記憶でたどる原風景 えひめ、子どもたちの生活誌』の内容を要約しておこう。
 序章では今治市朝倉上、伊予郡松前町浜、宇和島市吉田町本町での子どもの生活誌を紹介したが、第1章で取り上げた多くの地域での聞き取り調査から浮かび上がってきたのは、言わば『体系化された遊びの辞典』を子どもたち同士が地域社会の中で、伝え合い、受け継いできた事実であった。
 例えば、子ども組で、何かの行事を執り行おうとするとき、その準備はどのように進めればよいのか、どうすれば迅速(じんそく)かつ危ない思いをせずに所期の目的を達成することが可能なのか、言わばイモづる式に『体系化された遊びの辞典』のページを開ければよかったのである。
 この辞典は、明文化はされていないまでも、現に子どもたちの生活誌の中で、延々と息づき、受け継がれてきたのであった。
 また、第2章で取り上げた県内各地域での現代の集団遊びの取組をたどる中で明らかになってきたことは、そこには、ふるさとを愛してやまない多くの人々の熱い思いとともに「意思疎通のためのチャンネル」や「学びのためのチャンネル」が21世紀に入ってもしっかりと機能している事実であった。かつて地域社会が保持していた「子育てやしつけを地域で支える仕組み」が確実に機能していたのと同じように、県内の多くの地域で連綿と子どもたちを対象とした日々の人間関係づくりやコミュニケーション能力の開発、さらには、子どもたちの自立を促す取組が力強く繰り広げられていることが確認できたのである。
 急速に少子化や核家族化が進む社会環境の中で、現代の子どもたちに、人間関係づくりやコミュニケーション能力の伸張の機会を保障し、彼らの自立を図ることは差し迫った生活課題といえるだろう。そのためには、大人たちと子どもたちが地域社会における集団遊びについて確認し合う必要がありそうである。「やがてゆく道、今来た道」ということばがあるように、大人たちには子どもの時代があったはずであり、遊びにはその時代、その時代の歴然とした差があるにせよ、遊んだという点では万人共通しているのである。
 今後とも県内それぞれの地域ごとにたゆむことなく、ときには新しい潮流を巻き起こしながら、地域社会で生きるための絆(きずな)やルールを伝え、受け継ぐ営みが積み重ねられていくことであろう。やがては『愛媛の元気創造』をめざした、より力強い取組として結実し、老若男女を問わず本県の推進している『愛と心のネットワークづくり』へと昇華されることを期待してやまない。


*6:アナーキーな 無秩序な状態であること。また、そのさま。
*7:モビリティ 移動性。(場所・階層・職業などの)可動性。流動性。