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えひめ、その住まいとくらし(平成17年度)

(1)建具

 建具は人、物、雨、空気、光、視線、熱、音などの出入りをさせたり、さえぎったりする機能を持っている。その動きについては、引くことと開くことに大別される。昔から日本の建具は引き戸の形が多く、西洋は開き戸の形が多い。引き戸は開閉の空間に無駄がなく、逆に開き戸は広い空間を必要とする。その代わり引き戸は気密性の保持が難しく、開き戸は気密性を保ちやすい。
 **さん(松山市東長戸町 昭和6年生まれ)は愛媛県建具組合や愛媛県技能士会の世話をし、若い建具職の技能の向上に努めている。建具について、**さんは次のように話した。
 「九州辺りでは建具店をタテグ店と言わずに、ケング店と言われます。タテグという言葉を知らないのです。名詞などを見て『ケング店と言うのはどんな仕事ですか。』と聞かれて説明しますと、『指物師さんですね。』と言われたりします。また『建築の道具などを扱うお仕事ですか。』などと聞かれることもあります。
 私が弟子入りしたのは20歳のときで、古町(こまち)(松山市)の野中工務店というところです。他の弟子たちは15~16歳で入っていますから、最初は相当苦労しました。使い走りからなんでも、年下の子と一緒にしました。初めの2年くらいは、職人さんが木をノコで引くときに向こうで押さえることなどをして、次に自分でノコ、カナヅチを持つようになります。昭和25年(1950年)ころで、日給は3円でした。あの辺りも戦災で焼けて、家がぼつぼつ建ち始めたころでした。
 最初の仕事は板戸つまり雨戸作りです。2年目くらいからガラス戸、障子をさせてもらいます。障子を貼(は)るのは襖(ふすま)屋さんの仕事です。今はサッシになりましたから、雨戸も障子もほとんど作らなくなりました。
 5年目に独立しましたが、初めは近所の仕事をぼつぼつしておりました。3年くらいたつと知り合いも出来、施主さんや棟梁さんから声もかかるようになりました。専門の職人を3人雇い、切り組みなどの指図をしておいて、営業に回るようにもなりました。役所のドアの修理とか、県立学校の鍵の取り付け、補修などの仕事にも取り組みました。弟子は置いておりませんでした。仕事と営業で忙しくて、若い子を教えたり育てたりする時間を取ることが出来なかったのです。
 建具はその開閉の動作によって、引き戸と開き戸に分けられます。
 引き戸で問題になるのは、鴨居と敷居です。軽く滑らないといけませんから、鴨居が屋根や桁の重みで下がらないようにしなければなりません。そのために長い鴨居は吊り上げたりします。敷居も根太や束(つか)を丈夫にし、ゆがみや下がりが起きないようにします。これは家大工さんの仕事ですが、最後の調整は建具職が行います。また建具を何種類か組み合わせて、平行して重ねて使うと、部屋の明るさや季節感を出すのに役立ちます。  
 開き戸は蝶番(ちょうつがい)や軸受けの金具で一端を軸にして回転させ開き、また閉じます。自分の位置から、外へ開く場合と内へ開く場合がありますが、引き戸と違って開閉のための一定のスペースが必要です。形態によって片開き戸、両開き戸、親子扉などがあります。

 ア 板雨戸

 材料はスギが一般で、良いものはヒノキです。後には耐水ベニヤを使うようにもなりました。板は3枚から5枚くらい張りますが、ベニヤの場合は1枚です。普通上にも桟がありますが、昔、上の桟がないものを上総戸(かずさど)と呼び、内法(うちのり)(開口部の内側を測った長さ)のサイズが短くても適当に切って合わして入れることもありましたが、今はまったくありません。無双付き雨戸(引き戸を仕込んで換気できるようにした雨戸)、ガラリ付き雨戸(よろい板を仕込んで換気できるようにした雨戸)など夏の通風を考えた雨戸もあります。無双付きは板が動きますが、ガラリ付きは板が動きません。また泥棒対策として上げ溝、下げ溝を彫り、上げこざる、落としこざるを付けました。落としこざるはほこりがたまりやすいので、上げこざるが一般に多く付けられます。横こざるは開き戸に付けるものです。

 イ 障子

 本来は衝立(ついたて)、ふすまなどを含めて障子といいますので、普通、紙貼り障子、または明かり障子と呼びます。材料はスギが一般で、ラワンなども使われます。障子は和室の畳だけでなく、近代的な洋間にも独特の落ち着いた日本的な雰囲気をかもし出し、適度な通気性を持ち、光を和らげ良く調和するのです。 
 障子紙は美濃紙(みのがみ)が普通で、並判は27cm×39cm、大判は62cm×95cmなど各種あります(⑦)。紙貼りは表具師さんの仕事です。障子の組子は正面から見て、縦横交互に通るようにして組み立てます。組子にはさまざまな意匠が工夫されており、荒組障子、腰付障子、縦繁障子(写真1-14参照)、横繁障子、額入り障子、猫間障子、雪見障子などがあります。これらをいろいろ組み合わせて、住む人の生活や部屋の用途に合わせてさまざまの障子が作られました。また夏向けに紙の替わりに簾(すだれ)を仕込んだ簾障子などもあります。
 荒組障子は腰板がなく、下の桟からすぐ紙を貼ります。水腰荒組障子とも呼ばれます。腰付障子の中でも下半分を腰板にして、上半分に紙を貼ったものを腰高障子といい、町家や農家の出入り口に使われました。縦の桟を細かく入れたものを縦繁(たてしげ)障子(写真1-14参照)、横の桟を細かく入れたものを横繁障子といいます。横繁障子の短所として、ほこりがたまりやすいことが上げられます。これは格子戸にもいえることです。額入り障子は外が見えるようにガラスをはめ込んだもので、明治の終わりころから、作られるようになって来ました。障子に小障子を組み込み横に開いて外が見えるようにしたものを猫間障子、上下に動かして外が見えるようにしたものを雪見障子といいます。

 ウ 舞良戸、格子戸

 框(かまち)(戸、障子などの建具の枠木)の間に板を張り、その表また裏に桟を横あるいは縦に間隔狭く取り付けた戸を、舞良戸(まいらど)といいます。書院造りのころから作られ、便所の出入り口や廊下の物置の戸などに使われます(⑥)。材料はスギやベニヤを用います。
 格子戸は縦横の桟を細かく組んだもの、荒く組んだものなどいろいろありますが、ヒノキ、スギなどの材をしっかり組んで作ります。玄関の出入り口、風呂場の出入口などに使います。ガラスを入れるものと、ガラスなしのものがあります。思い出すのは、道後温泉本館正面玄関北口と南口のガラス入り腰高格子戸を製作したことです(口絵参照)。北4枚一組、南4枚一組でそれぞれの戸の中央部に温泉のマークを取り付けました。障子の組子と温泉のマークをかぎ合わせるのに技術がいりました(写真1-15参照)。材はすべてヒノキで、昭和52年(1977年)の1月に納入しました。

 エ ガラス戸

 洋風ガラス戸はナラ、ケヤキ、チークなどで作りますが、和風よりは框や桟を大きくがっしり作ります。和風ガラス戸はヒノキやスギで作りますが、柔らかさを出すため額入りにしたり、腰の高さを工夫したりします。洋風和風とも、重くなるので平戸車か丸戸車を付けます。戸車は普通下に付けますが、ハンガー吊(つ)り車といって上に付ける場合もあります。スリガラスは汚れやすく、濡れると向こうが見えますので、最近はガラスに障子紙を組み込んだものがよく使われます。

 オ フラッシュ戸

 スギやベイマツ、ラワンなどを心材にして、樹脂化粧板やチーク、ナラ、スギ柾(まさ)などの仕上げ材を両面または片面に張ったドアです。さらに仕上げには、ラッカー、オイルぶきとかペイント塗装をし、クロスまたはふすま紙を貼ります。玄関ドアなどが代表です。
 直射日光とか風や雨などの影響を受けて反りやすいので、中桟を多くしたり、空気抜きの穴を開けたりして、狂いが生じないように工夫しなければなりません。

 カ ふすま

 ふすまに関しては、建具職ではなく、表具師の仕事になります。ふすまは格子状に作ったスギの白太材(材が白い。)の柾目(まさめ)の骨組みに、下地紙を何層にも重ねて貼り、さらに仕上げの紙あるいは紙を裏打ちした布を貼り上げます。枠として仕上げされた化粧縁を後で取り付けます。化粧縁を付けない太鼓貼りふすま、額を付けてそこに障子をはめ込んだ源氏ぶすま(写真1-16参照)、畳の和室側を紙貼り、廊下側や洋間側を板貼りにした戸ぶすまなどがあります。丈夫で音をさえぎることが出来ますが、表と裏の材質が違うので、反りがおきないように貼り方に気を付けないといけません。

 キ 道具

 建具用の道具は、現在はコンピュータが発達し、機械で細工することが多くなりました。しかし昭和の中ごろまでは、さまざまの道具を使って、職人としての業(わざ)を競ったものです。それらは大工さんと共通するものもありますが、細かい細工に使うものが多く、また自分で工夫して作ることもしばしばありました。
 畦(あぜ)引きノコギリは溝をひくときに使う物で、刃渡りは短く弧状で首が長く、縦横両刃です。胴付きノコギリはホソびきノコギリとも呼び、歯が細かく薄身で桟などの精密加工用です。カンナは平ガンナと面ガンナがありますが、細かい仕上げ用に数多くのカンナを使います(口絵参照)。反り台カンナや南京カンナまた丸カンナは内側や外側を丸く削ります。丸カンナには外丸と内丸があります。溝用にはしゃくりカンナ、脇カンナなどがあります。角を削るせめガンナとか隅を削る隅丸ガンナまた各種の面を削る面取りカンナなど多様です。面取りカンナも形を考え、木部は自分で工夫して作ることもあります。
 ノミは深い穴を開ける向こう待ちノミ、削り仕上げ用の薄ノミ、アリ溝(板の反りを防ぐため、木目と直角に彫り、細長い小木片をはめ込む溝穴)用のコテノミ、鎌ノミ、打ち抜きノミ、かき出しノミなどさまざまです。 
 直角を測るスコヤは用途に合わせ、いろいろな大きさの物を自分で作ります。材としては固いのでサクラを使います。
 けびきも多様で、割り裂くための割りけびき、筋を入れる筋けびき、二丁けびき、ノコをまっすぐ引くための白ガキなどいろいろ使います。
 検定試験を受けに来る人に次のようなことをお願いしています。『まず仕事に向いた身支度をきちんとして来てほしい。すその非常に広いズボンや底の高い革靴などは仕事に差し支えが出て来ます。材に合わせ、道具を自分のものとして使えるように心がけてほしい。ノコにはノコの引き方、カンナにはカンナの削り方があるのです。』

 ク 建具職50年の思い

 住居の環境が大きく変わってきました。建具の材も国産のヒノキ、スギ、シオジなどの代わりに、さまざまの外材を使うようになり、冷暖房の普及に伴い、養生(材に狂いが生じないように工夫すること)にも一層の注意がいるようになってきました。建具は素木(しらき)が本来ですが、外材は塗らないと2~3年で黒くなってきます。北海道の木で作った建具は愛媛では狂いが生じやすいのです。故郷の建具は故郷の木で作るのが一番良いのです。
 訓練校などで若い人が、腕を磨いて巣立って行きますが、なかなか地元に残ってくれません。大きい仕事があるときには、九州方面まで職人を探しに行きます。地元で腕を振るえるような、受け入れの環境も考えないといけないとつくづく思っております。
 私は幸い息子が後を継いでくれております。また高校生の孫もこの方面を考えているようで、『親父の背中、祖父(じい)さんの背中を見ていてくれたのかなあ。』と思い、ひそかにこの道50年を誇らしく、また嬉しく感じているこのごろです。」

写真1-14 腰付縦繁障子 縦繁格子戸 油煙窓 

写真1-14 腰付縦繁障子 縦繁格子戸 油煙窓 

西条市丹原町。平成17年10月撮影

写真1-15 道後温泉格子戸のマーク 

写真1-15 道後温泉格子戸のマーク 

松山市道後湯之町。平成17年11月撮影

写真1-16 源氏ぶすま 

写真1-16 源氏ぶすま 

西条市丹原町。平成17年10月撮影