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えひめ、その住まいとくらし(平成17年度)

(2)屋根②

 イ 屋根葺き

 (ア)東予方面で 

 **さん(西条市丹原町 大正12年生まれ)は小学校卒業と同時に、父親のもとで左官職として修行し、屋根を葺(ふ)き、壁を塗ってきた。昭和28年(1953年)に、旧周桑郡の職人仲間に手伝ってもらって、本格木造建築の自宅を建てた。屋根と壁の左官部門は自分の腕をふるい(写真1-10参照)、大工、建具職、畳職なども誇りをもって良い仕事ぶりを残している。**さんは東予方面での屋根葺きの経験を、次のように話した。
 「自分の仕事が思うようにできて、100%といかなくてもこれなら良いと思えるときは左官職としての喜びがわいてきます。庄内(しょうない)(旧周桑郡庄内村)辺りの人が、『**さんの葺いた屋根は一目見たら分かる。』と言ってくれるのが、なにより嬉(うれ)しいことです。仕事の数としては千軒以上は手がけて来たと思います。旧東予市と旧周桑郡が中心ですが、遠方は九州、広島、岡山、神戸辺りまで出かけました。戦前から平成まで、私が左官職の4代目になります。
 弟子修行は親父の元でいたしました。親子といっても厳しくて、朝はみんなより早く起きて、親父の自転車を外に出して磨き、乗って行けるようにしました。帰りも、親父が仕事を終えて、一杯飲んでいるのですが、先に出て道具を片付けて、帰り支度をしておいたものです。国安(くにやす)辺りで仕事をしていると、『**さん、あんたらよう似ているが、親子かな。』と聞かれて、『いや、親子じゃない。仕事をしているときを見てくださいや。』と返事をしたものです。そうすると、『そう言えば、親方と弟子に間違いないなあ。それなら親戚から弟子入りしたんじゃろなあ。』などと納得されたこともあります。仕事の場面では親父は厳しく手抜きは一切ありませんでした。
 職人は私以外に3人おりました。周布(しゅう)(西条市)から3人来ておりましたが、みんな私よりずっと歳上で、弟子抜けをすませて、手伝いとして来ておりました。私が一番下っ端で、みんなから教えてもらうことばかりでした。仕事は屋根葺きと壁塗りの両方をしていました。屋根を葺いて壁を塗って仕上げをするというのが順序でした。北条(ほうじょう)(西条市)に友はんという非常にきちょうめんな屋根葺き専門の職人さんがおりました。きれいに葺いておりましたが、その人の仕事は、勢いというものがありました。その屋根を見たときには、どことなしにピシャッとしたものが出ているのです。大工さんの小屋組とは別個に、屋根葺きとしての腕の冴(さ)えを感じさせられました。隅の反りなどに、それがよく出ていて感心させられたものです。
 松山地方は蓑甲(みのこう)造り(破風際の屋根が曲面をなす造り方)の屋根が主流ですが、周桑(しゅうそう)方面では蓑甲の簡略化したものはありますが、屋根に特徴といえるほどのものはありません。越智(おち)郡へ行くと、屋根の反りに特徴が出てきます。以前はかなり急な反り屋根が多く見うけられたのです。また入母屋(いりもや)の八尾(やつお)造りといって、下り棟を付け、隅棟を付けて形を整えたものが、伊予の屋根の特徴ともいえます。お百姓の大きい家は、ほとんどその形です。高知などでは、そういう凝(こ)った形の屋根は、あまり見うけられないのです。
 また高知は瓦の耳というか、肩の形が違う瓦を作るところがあります。強い台風がよく来るので、家の前と後ろを違う瓦で葺いたりするのです。風が強いところは、風が背中から逃げるように、横から入らないように葺くのです。
 屋根の勾配は松山の方が周桑より緩くなっています。大工さんによっても違いはあります。またセメント瓦が一時はやりましたが、あれは勾配がきつくないといけないのに、緩い屋根の勾配になってしまったのは問題です。セメント自体が、水を呼ぶ性質を持っていますから、きつい勾配で水をさっと流してやらないといけないのです。ですから下の土間でも、泥の上に直接コンクリートを打つと、水分が上がって来ます。泥の上に石などを並べて、絶縁をしてやらないといけないのです。
 屋根の葺き方も土葺きから始まり、引っ掛け葺きになってきました。また最近は、釘(くぎ)で止めるようになってきました。土を上げるのは、杉皮を敷いて、引っ掛けがなかったので、土を両盛り、片盛りのどちらかで、瓦を土に押しつけて固定していたのです。また真ん中へ土を置く場合、瓦の合わせが良くないと、雨が漏るので、両縁をきちんと仕上げたものです。
 雨だけでなく土地によっては、冬の雪や凍結のことも考えないといけません。雪の重みで軒先が垂れたり、垂木が折れたりしないようにするために、雪止めの桟瓦を軒近くに葺くこともあります(⑤)。凍結除けには、丁寧に練り、達磨窯などでじっくり時間をかけて、焼き込んだ瓦が良いのです。昔新宮(しんぐう)村の瓦屋に聞いたのですが、『地元の土で丁寧に焼いた瓦は、地元の冬の寒さでも割れることはない。』ということです。木でも土でも生き物ですから、長い間にその土地に根ざした特性を持ってくるのでしょう。
 宇摩(うま)郡(現四国中央市)の方では、屋根地一面にべったり土を置いていました。べた葺きというそうです。葺き替えに行ったのですが、瓦をとばすより泥をとばすほうに手間がかかりました。杉皮を使う場合は、土を盛らないと風が吹き込むのです。台風のときには風が一緒に雨を入れるということになるのです。そのかわり風が通るから、乾燥には良いのです。今のようにアスファルトルーフィング(繊維品にアスファルト加工をした防水材料で瓦の下地に使う。)とかアスファルトフェルト(獣毛に湿気、熱および圧力を加えて布状にしアスファルト加工をしたもの)などを敷くと風は入りません。しかしアスファルトフェルトなどはぺたっと引っ付いているのですから、木材には良くないのです。」

 (イ)南予方面で

 **さんは南予方面の屋根葺きについて、次のように話した。
 「この家の屋根は厚型スレートで葺いています。勾配は粘土を敷いた瓦葺き屋根の勾配になっています。5寸(27°)勾配なのです。そのため水の流れが速いので、強い風が来ても吹き込むことがないのです。同じに建てても、建築事務所が設計した通りにすると、4寸(22°)から3寸5分(19°)勾配くらいになって緩やかになるのです。そうすると板も少なく、瓦も少なくてすむのです。垂木も短くなります。節約のために緩やかな勾配にするのです。3寸5分勾配で建てる場合と5寸勾配で建てる場合とでは、建坪が同じなら3~4%位の差額が出るのです。
 津島の嵐という所(現宇和島市津島町)には、**さん宅や**さん宅を始め、私の建てた家が大分あります。特に**さんの家は、昭和35年(1960年)に県の土木部建築課から示された農村住宅参考図集などを見ながら、施主の**さん御夫妻がいろいろ注文を出されました。客が多いことも考えて、『廊下を広く、畳を敷き込める幅をとってほしい。』などの注文もありました(写真1-11参照)。それを受けて、私がここはこうあそこはこうと図面を引いて案を立てて行きました。そして施工し翌昭和36年に新築したわけです。それが思いの外、地区の人の評判となって、嵐地区の農村モデル住宅となりました。それから依頼が来るようになり、私が嵐で次々と家を建てさせてもらうことになりました。そこで特に心掛けたことは、嵐地区は季節風の強い所でしたので、屋根の勾配を4寸5分勾配から5寸勾配にすることでした。
 あるとき大きい台風が来たことがありました。私も気になるので、翌日嵐へ見に行きました。あちこちの家で雨漏りがして、畳を出して干していましたが、私の建てた家は勾配がきついので、風の吹きつけが違い、雨が漏ることはありませんでした。嵐の何人もの家主さんに喜んでもらいました。台風とか地震などが来たときに、大工の仕事が目に見えてくることがあるのです。
 スレートと日本瓦は葺き方が違います。日本瓦の場合は土を置いて、下から重なりの所へ敷き込んで行き、糸を張ってそれに合わして行くのです。スレートはそうではなく、下から順にポンポン、ポンポン打って行くのです。日本瓦は上からでも下からでもかまわないのですが、すくいこんで葺くのが日本瓦です。上からかぶせたらいけないのです。
 ところがこのごろ、瓦を上から押さえ付けて行く例があるのです。逆の側から葺いて順々にかぶせて行くのです。そうすると大分早く葺けるのです。手間が違うのです。重ね葺きとすくいこみ葺きの違いがあったのです。日本瓦でもこのごろは釘で止めるのです。釘を1本ずつ上と下の重なりの下の部分に穴が開けてあるのです。楕円(だえん)形になったステンレスの長い釘を打ち込むのです。今はかぶせ葺きの葺き方になってしまっているのです。
 昭和30年から昭和40年ころは左官が葺いていました。今は左官が葺くのは非常に少なくなっています。昔は専門の上手な人がいました。**さんという人で、屋根を葺かしたら実に見事でした。家内の里の家は、菊間の瓦で、**さんに葺いてもらいました。40年たっても一つも漏ることはありませんでした。この人も『差し込んで葺くのが良い。』と言っていました。重ね葺きにすると、瓦の重ね方がちょっと高くなって、水の流れが瓦の真ん中ではなく、少し横にずれるのです。瓦の6合目から7合目くらいを水が走るようになるのです。すくい込み葺きは、瓦の真ん中を水が流れるように、糸を引いて葺くのです。」

写真1-10 **さんが昭和28年に葺いた屋根

写真1-10 **さんが昭和28年に葺いた屋根

西条市丹原町。平成17年10月撮影

写真1-11 畳が敷ける廊下

写真1-11 畳が敷ける廊下

宇和島市津島町。平成17年11月撮影