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えひめ、その装いとくらし(平成16年度)

(1)近年の県内高等学校の制服事情

 昭和から平成にかけてファッション雑誌から抜け出たようなDC(デザイナーズ・キャラクターズ)学生服が話題を呼んだ。当時、中・高校生に差しかかっていた団塊(だんかい)世代(昭和20年代前半のベビーブームの時代に生まれた世代)の子どもたちである団塊ジュニアは、お洒落(しゃれ)でカジュアル指向である。そうした感性に訴える学生服メーカーの市場確保の戦略と、近い将来予想される生徒数の減少や深刻な服装の乱れが大きく予想される学校側との思わくが一致して、従来の詰襟、セーラー服を見直す気運が一段と高まり、メーカーは一流デザイナーと組んでDC制服を次々に登場させ、愛媛県内でも平成になって急速に制服の改定が進んだ。
 平成の制服改定の動きは、平成5年(1993年)ごろから本格化するが、その契機となったのは松山市内の松山東雲高等学校と済美高等学校の私立2校が、平成当初に斬新なDC学生服(制服)に改定したことに始まる。
 平成5年から同16年までに制服を改定した愛媛県内の高等学校は、67校中60校に及び、中でも平成7年(7校)、13年(7校)、15年(8校)に改定した学校が多い。改定の主な理由として、生徒たちの強い要望はいうまでもないが、周年事業の節目を控えた学校、新しく発足した中高一貫教育校、生徒急減期の志願者対策などである。現に聖カタリナ女子高等学校のように、平成15年度に冬・合服の全面改定を行い、志願者の増加につながったというケースもある。近年、制服改定の動きは、やや落ち着いてきたものの、現在もその流れは続いている。
 制服を改定する場合、女子が主体で男子はあくまで付随的である。冬服の場合、男子は改定した20校中18校、女子は33校中24校がブレザーである。一方、女子の夏服では、54校中41校がオーバーブラウスであり、愛媛県は他県に比べて特に多いという。さらに、改定された制服は、紺のブレザーとチェック柄のスカートがほとんどで、夏服にニットのベストの組み合わせが最近の流行である。冬服はブレザーにチェックのスカート、合服はニットのベストが定番である。
 かつて、主流であったスーツ式は皆無に近いというが、ごく最近の傾向として、スカートのチェック柄も地味になり、かつて主流を占めていたスーツ式の三つ揃い形式が、再び多くなってきたという。これは、一般の衣服にも流行に周期があるように、高等学校の制服も同様で、その時代と世相を端的に表わすものといえよう。
 次に、前述した県内高等学校数校に限定し、平成の制服改定について触れてみよう。
 宇和島南高等学校は、宇和島高等女学校当時から長年続いた伝統の女子の制服が、平成15年に改定された。制服の改定に直接かかわった教員の**さん(宇和島市中沢(なかざわ)町 昭和34年生まれ)と当時生徒会副会長の**さん(岡山市在住 昭和58年生まれ)に改定のいきさつについて聞いた。
 まず**さんは、「本校は平成15年度に南予(なんよ)(愛媛県南部)地域で最初の県立中高一貫教育校になることが決まり、それを契機に平成13年の秋から約1年半の間検討を続け、中学生が入学してくるのと時を同じくして改定しました。学校も生徒も卒業生も新しい学校を作るんだという意気込みで、制服の改定が行われたのです。」と言い、さらに「新しい制服の上着は、中学・高校とも男女同じ茶系統のブレザーに、スカートはストライプ柄に全面的に改定しました。」と話す。
 一方、生徒代表として改定に参加した**さんは、「従来の制服のジャンパースカートは、卒業生や地域の方々からよい印象を持たれていましたが、夏は暑く、セーラー服は冬は寒いなど機能面で問題点がありました。生徒会が数々のサンプルからファッションショーを開き、生徒の意見をまとめ、先生方や卒業生も入った制服検討委員会に諮(はか)り改定したのです。今、振り返ってみて、改定して良かったと自信をもって言えます。」と言う。
 松山商業高等学校の制服の改定について、教員の**さん(松山市保免西(ほうめんにし) 昭和31年生まれ)は、「男子の制服と女子の冬の制服については変わっていませんが、女子の夏の制服は平成8年度に改定され今年(平成16年)で9年目です。改定された制服は、白を基調とし上着は白のオーバーブラウスで涼しく好評です。スカートは、白とブルーの斬新なチェック柄とキュロットスカートの2種類があるので、2本持っている生徒はその日の気分で自由に使い分けているようです。制服の改定に合わせて、体操服・補助バック・通学用かばんも変わりました。また、松商生のトレードマークだった男子の髪型が、丸刈りから長髪に変わったのは大変革です。」と話す。
 女子の制服の改定に直接かかわった元教員の**さん(松山市市坪南(いちつぼみなみ) 昭和16年生まれ)は、「制服改定は、生徒の希望が強かったことや市内の私立高等学校が軒並み制服を改定したのが大きな動機になりました。また、当時の流行であったオーバーブラウスに人気があったことなどです。生徒に試作品を見せた後、投票させますと、圧倒的多数はネクタイ付きの白のオーバーブラウスとブルーのチェック柄のスカートが良いという結果になりました。」と言い、改定時、配慮したことは、「生徒に選択する幅を持たせたことです。例えば、スカートのほかにネクタイはスカートのチェック柄と白の2種類として生徒に自由に選ばせました。さらに、ブラウスは少しでも体にフィットするためにダーツを入れるなど形にも気を付けました。生徒は大変喜んで誇りを持って着用しているようですし、先生方や保護者からも爽(さわ)やかで好感がもてると好評です。」と語る。
 松山東雲高等学校は、平成元年(1989年)に現在の制服に改定した。その改定に直接かかわった教員の**さん(松山市木屋(きや)町 昭和4年生まれ)は、「現在の新しい制服になったのは平成元年の新入生からです。制服を改定する直接のきっかけは、『間もなく本校は百周年を迎えるので、新しい発想のもと制服を改定しては…』と、当時の校長先生の提案です。
 これを決めるに際して、多くのプロがデザインした中から検討した結果、著名なデザイナー森英恵(HANAE MORI)氏の作品が群を抜いて斬新で気品があるということで、夏・合い・冬の制服の改定が一挙に決まりました。それぞれの制服は、靴・ソックス・かばんなどがワンセットになっており、森氏のデザインしたサンプル以外は小さな部分変更も許されませんでした。当時の服装として、チェック柄のスカートはカラフルで若々しく大変斬新でお洒落でした。本校の新しい制服が先鞭(せんべん)をつけた結果となり、後に市内の高等学校をはじめ県内一円に改定の波が広がっていったように思います。
 しかし、夏服だけは生徒たちには評判が良くなかったので、平成8年(1996年)に、現在の白襟で細かいチェック柄のブルーのブラウスと紺のひだスカートに変えました。」と当時を振り返る。
 済美高等学校の制服の改定にかかわった教員の**さん(松山市別府(べふ)町 昭和22年生まれ)は、「平成元年(1989年)に制服が刷新されました。平成3年の創立90周年記念式典に全校生徒を新しい制服で参加させたらとの意見が出たのがきっかけです。まず、制服委員会ができ、生徒たちの意見も取り入れ検討に入りました。委員会では従来の制服のイメージを払拭(ふっしょく)して、新しい感覚で生徒たちが喜んで着る、誰(だれ)が見てもかわいい制服をつくることをコンセプトに検討を始めました。」と言う。
 改定された現在の制服について、教員の**さんは『済美学園百年史』の中で、「夏服の決定-昭和64年・平成元年(1989年)の生徒から順次購入させ、90周年記念式典(平成3年10月5日)には全員の制服が揃(そろ)うように準備を進めた。ブラウスはオフホワイトで袖はパフ型、後ろはダブルボタン。スカートは紺とグレーのタータンチェックで車ひだのジャンパースカート型。夏服の完成時には、チェックを取り入れた斬新さと、生徒のデザインを基にしたものであるとして関心を呼び、マスコミで広く報道された。冬服の決定-夏服の制服に合わせ、スカートとベストはチェック、上着は紺のサキソニー(羊毛の紡毛糸で織った柔らかい手触りの高級織物)を考えた。上着はエンブレム(ブレザーの胸につける校章など、ワッペンともいう。)を付け、前ボタンはシングルで2個。スカートは藍とグレーのタータンチェックでプリーツ。ベストはスカートと同柄で前はUカットで丈は短め、裾には丸みをもたせ柔らかい感じを出した。」と具体的に記し、さらに、**さんは、「制服はその時代を反映させるものであり、いつまでも一つのことにこだわらず、時代に応じた、生徒の好む制服を作っていって欲しいと思う。(⑬)」と記している。
 聖カタリナ女子高等学校で、合いと冬の制服の改定にかかわった教員の**さん(松山市高岡(たかおか)町 昭和28年生まれ)は次のように話す。
 「夏服は、すでに平成5年(1993年)に改定していました。現在も生徒には人気があり改定の動きはありません。冬服は、平成15年(2003年)に、靴以外のすべてを改定しました。以前はシャネルタイプの紺の制服で根強い人気がありました。しかし、生徒会の中から21世紀を迎え後輩によりよい制服を残したいという声があがり、全校生徒から意見を募り誕生したのが現在の制服です。清楚な紺のブレザーにブルーのブラウス・スカートと揃(そろ)いのリボン、チェックのプリーツスカート、2年生の秋からはネクタイも結べます。さらに、寒いときは紺・白のセーターも着用できます。合服は紺のニットベストです。同時にマフラー・ソックス・ラペルピン(徽章(きしょう))などのアイテムが加わりました。また、改定の翌年には、かばんやサブバッグも一新しました。」さらに、**さんは制服の決定に際し、「夏休み中に行われたオープンキャンパス(中学生の体験学習会)のとき、ファッションショーを行い中学生からアンケートをとって、その結果を選定に反映しました。現在の制服が在校生の熱意と中学生の純粋な思いが一つになり作り出されたものです。新しい制服は、凛(りん)として若さやエネルギーを感じ、生徒が生き生きと見えると先生や保護者にも大好評です。」と語る。
 制服改定時の生徒会長**さん(松山市三町(さんちょう) 昭和59年生まれ)と副会長**さん(松山市一番(いちばん)町 昭和59年生まれ)に話を聞くと、「従来の制服は、機能性がよくなくデザインが時代に合わないなど、生徒の評判は良くありませんでした。そこで『21世紀に学校のシンボルである、よりよき制服を後輩に残したい。』との思いで、生徒の意見を集約し、積極的に取り組んだのです。」と二人は言う。**さんは、「気品があり清潔感のある、いい制服が決められてよかったと思っています。」と言い、**さんは、「制服は学校の顔、トレードマークです。今回、改定された制服は、幾つもの組み合わせで個性が出しやすい。誇りをもって新しい命を注ぎ込んでほしい。」と後輩にエールを送っている。
 以上、愛媛県内数校の高校生の制服について見てきた。それは、制服こそが社会全体の装いの変遷を最も的確に表しうる指標であるという見方ができるからである。戦後の未曾有(みぞう)の経済成長・繁栄がもたらした物余り時代を経て、今日の多様化する制服事情は、暮らしや装いがより多様化する時代の到来を端的に表している。