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えひめ、その食とくらし(平成15年度)

(1)いわし漁に生きる

 双海町は、伊予灘に面した農山漁村地域である。双海町上灘(かみなだ)の小網(こあみ)地区は、国道378号沿いの双海町北部にある。気候は瀬戸内型で温暖である。現在の主要産物は、ミカン・カタクチイワシの煮干し・海鮮珍味・鮮魚類などである(⑬)。

 ア 伊予灘の恵み

 伊予灘は、小型機船底曳網(そこびきあみ)漁業・ローラ五智網(ごちあみ)漁業(タイ手繰り網。)などが盛んであるが、昭和30年(1955年)まではいわし漁業として巾着(きんちゃく)網、地引(じびき)網を用いて特に活気があった。
 地元で食生活改善の指導を行っている**さん(双海町上灘 昭和5年生まれ)に戦後(昭和20~30年代)の食生活について聞いた。
 「上灘は、伊予灘の長い海岸線と海の幸に恵まれていますが、一方では道路をはさんで山間部が迫る半農半漁の生活地域でした。農産物は麦が多く、水田が狭いので米は少なかったです。サツマイモ・ジャガイモ・カボチャ・トウキビ・タマネギは自分の家で食べるのに不足しない程度に作り、やがてミカンも作るようになってきました。漁業は、“イワシさまさま”で昭和10年代はマイワシが中心でしたが、20~30年代になるとカタクチイワシが漁獲高のすべてを占めることになりました。カタクチイワシは、煮干しにして高く売ることができるため商品価値が高まったと言われ、当時は上灘・下灘(しもなだ)(現双海町)・郡中(ぐんちゅう)(現伊予市)・松前町・長浜町あたりはいわし漁でにぎわったのです。
 上灘の主食は麦・米・トウキビ・サツマイモで、麦と米の割合は7対3が普通でした。しかし、漁民はイワシと色々の物資が交換できましたので、特にイワシと米を交換して、山間部の人たちより米を多く食べることができました。また、イワシを焼いたり、いりことサツマイモを組み合わせて食べるととてもおいしく栄養満点です。戦前の話ですが、イワシを日ごろからより多く食べていたせいか、双海町の兵隊さんは甲種合格(戦前実施されていた徴兵検査の基準であり、健康体で一番優れていた者。以下、乙(おつ)・丙(へい)・丁(てい)とある。)がほとんどであったといわれていました。
 副食は野菜の煮物・海藻の酢物・いりこ味噌・ダイコンの漬物・サツマイモのかんころ・カタクチイワシの塩辛(しおから)やみりん漬け・アジの開き・エソの一夜干し・丸干しなどでした。
 大漁祝いや秋のお祭りの際には、家族や地域の人たちと歓談して心から楽しみました。特に9月1日のたのもさん(秋の稲を刈り収め、新穀を備えて祝う感謝祭)は、地元の若宮(わかみや)神社で農作物収穫の感謝と漁労の大漁を祈願し、あわせて魚の慰霊(いれい)をする行事として今でも引き継がれています。この祭りの宴会は、農作物や海産物をふんだんに盛りこんだ料理を作り盛大に実施しました。宴会の世話役は輪番制で、わが家も数年間担当しました。
 また、祝い事がある場合には、月ごとに餅(もち)を搗(つ)きました。1月は雑煮(ぞうに)餅、2月は寒餅、3月は桜餅、4月はしょうゆ餅、5月はかしわ餅、6月は炭酸餅(重炭酸ソーダを入れてふくらませたまんじゅう)、7月はかんころ餅、8月はぼた餅、9月は月見団子、10月は秋祭り餅、11月は亥(い)の子餅、12月は正月用の餅といったように一年中搗いていたのです。」

 イ 魚介類と珍味加工

 いわし漁について、先ほどの**さんと**さん(双海町上灘 昭和13年生まれ)に聞いた。
 「お盆の8月から10月にとれるカタクチイワシは、値打ちがあり加工して秋いりことして出荷します。双海町では、株(かぶ)(一定の資金を出して得る漁業権)を持っている100戸の家が漁船を出していわし漁を行いました。
 イワシの群れが近づくと小高い山の上に作られた山見(魚見(うおみ)やぐら)から旗がふられ、続いて親船(おやぶね)がラッパを吹いて合図し、浜で待機していた漁船は一斉に沖合いに出て、イワシが近づく方向に網を張ってとりました。網を張るごとに大漁だったそうです。このラッパを耳にした学校の子どもたちは、先生から許可をもらい、母親と一緒に浜に行き、バケツ2杯分のイワシを家に持ち帰りましたが大変重かったように記憶しています。
 いりこの加工は鮮度が特に大切ですから、とれるとすぐに加工しました。まずマイラセと呼ぶ竹カゴにイワシを入れ釜(かま)に移して湯がき、ひやまじ(庭に木を組み立てて作った柵(たな))にシュロの繊維で編んだ箕子(すのこ)を敷いて湯がいたイワシを広げます。よく乾燥するまで何日も干し替えて完成させます。最後に紙の袋に詰め込んで、小網名物『イワシ干し』として漁業組合に出荷しました。昭和40年(1965年)に上灘漁業協同組合の加工場が完成してからは、天日(てんぴ)乾燥の情景はなくなり寂しくなりました。
 100戸の株主はみんな平等で、年齢、経験年数などに関係なく運営していたのは全国でも珍しかったと思います。現在は、3分の1程度組合員の数が減りました。私たちは、イワシの命をもらってここまで生きてこられたと感謝しています。」
 双海町の小網地区は典型的な漁業集落であり、とれた魚の珍味加工に携わっている**さんに聞いた。「珍味は本来、保存食品として作られていました。イワシ・小エビ・タコ・キス・小ダイなどを茹(ゆ)でて甘辛く煮て炉の中で乾かして作り、保存しておいて必要に応じて食べていました。私は、味醂(みりん)干しと塩干しにする乾物(ひもの)、海産物を作り続けてきました。かつてはベラ・エビ・いりこ・ナマコが中心でしたが、現在はハギ・サヨリ・タチウオがわが家の三大珍味(写真3-2-16参照)です。乾燥した魚は加工業者に販売しています。」

 ウ 家庭料理と健康

 この地域の郷土料理について、**さんに聞いた。
 「この辺(あた)りでは小魚がよくとれたのでさつま料理には、イワシ・アジ・コノシロ・サヨリ・カマスなどの青魚(あおざかな)を特によく使いました。魚以外に味噌、ゴマ、ネギ、こんにゃく、ユズの皮などを使い、ご飯の上にかけます。麦味噌がおいしくなる10月ころを中心に、年中季節にあわせて日常食として食べますが、おいしいので4合(ごう)飯(普通の茶碗(ちゃわん)で8杯程度)が食べられたと、誰(だれ)しも自慢気に言っていました。ご飯は最初は麦飯でしたが、時代と共にだんだんと米のご飯に変わりました。
 また、とろろ飯は、ヤマイモと小魚をすりこぎでつぶし、薬味を加えてご飯にかけます。麦飯が一番のど越しがよいのでよく食べました。
 イワシのつみれ汁は、イワシを細かくたたいてミンチにし、かたくり粉を入れて丸めて団子にしてお汁に入れるもので、大変おいしかったです。ニンジンやシイタケ・豆腐(とうふ)などの具とともに入れて色をそえることもあります。やはり、イワシ本来の味が出る団子が一番大切です。煮干し(いりこ)は、小さなカタクチイワシやマイワシを煮て乾燥させたもので、生食用、だし用、加工用に分けて大切に使いました。また、保存食として、ハギの味醂干し・タチウオの味醂干し、サヨリの一夜干しはどの家庭でも作っていました。」

写真3-2-16 珍味加工品

写真3-2-16 珍味加工品

左がタチウオ・右下がサヨリ・右上がハギ。双海町小網。平成15年9月撮影