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えひめ、その食とくらし(平成15年度)

(2)郷愁さそう素朴な味

 丹原町は、周桑郡西部に位置し、平野部は米麦の二毛作地帯であった。昭和45年(1970年)の米の生産調整実施により、キュウリやイチゴなどの栽培が盛んになった。山麓(さんろく)部の傾斜地では愛宕柿(あたごがき)や柑橘(かんきつ)類などの果樹が栽培されている。鞍瀬(くらせ)地区は山間部の過疎化の進む地域である。

 ア 山村の生活

 鞍瀬地区は、国道11号から中山川の支流の鞍瀬(くらせ)川に沿って南に分け入ったところにある集落で、109世帯・人口212人(平成15年12月31日現在)の山里である。
 **さん(丹原町鞍瀬 昭和4年生まれ)に当時の山里のくらしや簡素な料理、祭りのご馳走(ちそう)などについて聞いた。
 「私が若いころは林業が盛んで、和紙の原料となるコウゾやミツマタが多く植えられていました。父に連れられてよく山仕事に行ったものです。食事時には自生の茶の葉を摘んでもみ、あぶって、谷川の水でお茶を沸かしました。田は棚田(たなだ)で小さく、そこに自家用の米、裸麦、小麦などを栽培していました。山畑にはタカキビ、コキビ、トウキビの他にタバコも栽培していました。貧しいために朝早くから夜遅くまで働き、夜なべ仕事としてわら草履(ぞうり)を編みました。米や裸麦はやぐら(から臼(うす))を使って家で搗(つ)きましたが、押し麦にする時は精米所に持って行きました。また、米やトウキビは石臼(いしうす)を使って粉に挽(ひ)きました。とうきびご飯をよく炊きましたが、温かい間はおいしいけれども冷えると硬くなり、のどを通りにくかったです。丸麦はお釜(かま)で炊き、米を少し入れて二度炊きして食べましたが、弁当には押し麦を使いました。
 山仕事は時間が長いため、食事は午前10時と午後3時を含めて1日に5回とっていました。
 日常の食事は、麦ご飯とたくあん、味噌汁のほかに、キュウリ・ナス・キャベツなどの季節の野菜にもろみをつけて食べました。また、山仕事に行くときには必ず味噌やもろみを持って行き、ウドやタラなどの山菜があれば火であぶり、それらにつけて食べました。味噌は自家製でした。
 保存食としては、たくあん・梅干し・らっきょう漬け・たかな漬け・ユズの味噌漬けなどを作り、一年中使用しました。おやつは、蒸(ふ)かしたサツマイモ・つるしがき(写真3-1-3参照)やさわしがき(渋抜きをしたカキ)・焼きトウキビ・乾燥したトウキビの実に、もち米やダイズを混ぜて炒(い)ったものなどでした。また家の近くの畑には、ミカン・ダイダイ・ネーブル・カキ・クリ・ナツメなどの木が植えられていて、それらをよく食べました。
 ワラビやゼンマイは軽く湯がいて塩漬けにし、保存食として一年中食べました。シイタケは干し、タケノコは湯がいて酢に漬けたり、塩漬けやおから漬けにして保存しました。」

 イ 簡素な料理と祭りのごちそう

 丹原町の山間部では、祝い事や葬儀の時などに、もぶりやごもく飯がよく作られた。もぶりは季節の食材をすし具のように辛(から)めに味付けして、白ご飯に混ぜ合わせるが、混ぜることを“もぶる”というためこの名が付いたと言われる(②)。丹下トキコ氏は『愛媛のふるさと料理』の中で、「秋になると、里芋、ごぼう、にんじん、あげ、えのき、こんにゃく等と、ヒラメやチヌ、カレイ、エビといった、魚を使って作ります。具は、辛めに味付けして、炊き上がったご飯へ混ぜ合わせます。野菜の味と新鮮な魚の味がうまく絡まり、炊き込みご飯とは違った味わいがあり、とても美味(おい)しいものです。(②)」と言っている。昔は行事食として虫祈禱(きとう)、念仏講、祭り、お通夜など大勢の人を賄うようなとき、たいていおむすびにして出した。もぶりはすしに次ぐご馳走とされている(③)。また、ごもく飯は、ニンジンを千切りにし、サトイモ・タケノコ・こんにゃく・油揚げ・エビなどを小さく切る。干ししいたけと干しだいこんは水に戻し、同様に小さく切る。それらをいりこやコンブのだしで煮た後、醬油で味を整える。米を普通に炊き、味付けした具を混ぜ合わせると出来上がる(②)。
 簡素な料理や祭りのご馳走などについて、**さんは、「春にはワラビ・ゼンマイ・ウド・タラ・フキ・ミツバ・タケノコなどを、秋にはマツタケ・シイタケ・シメジ・キクラゲなど多く収穫し、料理に使いました。特にマツタケは焼いたり、ご飯に入れてまつたけ飯にしたり、すしの上に乗せておいしく食べました。また、山菜は炒った青ダイズとともに炊きました。
 毎月1日、15日、28日には、神様を祭るためにお米のご飯でおもぶり(写真3-1-4参照)やおごもく(ごもく飯)を作りましたが、それが大きな楽しみでした。
 秋祭りのご馳走は、特に手間をかけ心を込めて作りました。父親は壬生川(にゅうがわ)(東予市)の市場まで魚を買いに行きましたが、ガザミ(ワタリガニ)は多く買うことができ、たくさん食べることができました。豆腐(とうふ)やこんにゃくは前もって家で作り、餅はたくさん搗きました。ちらしずし、押しぬきずし、コノシロの生ずしや刺身、焼き魚、吸い物、煮しめなどの料理を作り、親戚を招いてにぎやかに祝宴を開きました。また、祭りの案内に親戚宅へ行く時には搗いた餅を重箱に詰めて持参し、祝宴が終わって客が帰る時には、金糸卵(きんしたまご)(薄い卵焼きを細く切ったもの)や酢魚、シイタケなどを上盛りにしたちらしずしを持って帰ってもらいました。」と話す。

写真3-1-3 つるしがき

写真3-1-3 つるしがき

丹原町鞍瀬。平成15年12月撮影

写真3-1-4 おもぶり(もぶり飯)のおむすび 

写真3-1-4 おもぶり(もぶり飯)のおむすび 

丹原町鞍瀬。平成15年12月撮影