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えひめ、その食とくらし(平成15年度)

(1)村の安全を祈願して

 村の安全を祈願する初祈禱(はつきとう)の一例として北条(ほうじょう)市猪木(いのき)地区の「弓祈禱」を取り上げる。北条市は県の中部、高縄(たかなわ)半島の西縁(せいえん)に位置し、古くは風早郷(かざはやごう)と呼ばれた。近年は松山市のベッドタウンとして発展し、米作のほか柑橘(かんきつ)栽培が盛んである。猪木地区は市の東部にある高縄山腹の標高約350mにある集落で、林業と棚田での米作を生業としていた山里である。
 森正史氏は、弓祈禱について「もともと弓祭りは農作の豊凶(ほうきょう)を占うトシウラ(年占)から発したもので、それが発展して村の平和を乱す悪疫(あくえき)の流行や悪魔退治、五穀豊穣(ごこくほうじょう)を目的とするものになったのである。猪木の弓祈禱は、その本来の意義、信仰に適(かな)う面を伝承している例では県下はもちろん、全国的にも珍しいであろう。簡素ではあるが古態を残しているのは注意されよう。(⑪)」と記している。
 猪木地区の**さん(昭和6年生まれ)と**さん(昭和20年生まれ)に、「弓祈禱」とその食について聞いた。
 「昭和40年(1965年)当初、戸数12戸(明治年間は24戸)の集落でしたが、その後も挙家離村(きょかりそん)が続き、現在の住民はわずか6戸13人の小集落です。平均年齢は65.6歳、70歳以上が6人いる高齢者が多い過疎(かそ)集落で、子どもは一人もいません。現在、地区の行事などは外に出た人の応援を得て行っています。かつて、最も戸数の多かった戦時中には、この猪木本村地区に12戸、大本(おおもと)地区に6戸の人家があり、70人くらいの人が住んでいました。昭和30年代に大本地区が廃村になってから、かつて正月の5、6日の2日間行っていた弓祈禱は6日の1日だけとなったのです。現在は人数が少ないので前日の5日は準備に当てています。この弓祈禱の始まった時期については、文献が残ってないので正確には分かりませんが、約350年の歴史があると聞いています。立岩(たていわ)には、猪木地区のほかに玉川町寄りの米之野(こめのの)地区と庄府(しょうぶ)地区にも、やり方は違いますが弓祈禱が残っています。
 弓祈禱の『的射(まとうち)』は、無病息災(むびょうそくさい)・悪霊退散・家内安全など除災を目的とし、『かけめし』は五穀豊穣を祈願したものです。以前、この地区の的射は、1月5日の夕方から6日にかけて行っていました。まず、2人の『お役者さん(役者人)』と呼ぶ射手(いて)の選出から始め、期間中は『会堂(かいどう)』という建物にこもって精進(しょうじん)します。その間、食事など一切の接待は『頭屋(とうや)』と呼ばれる世話人が行うのです。かつては5人の頭屋がいましたが、現在は1人です。会堂での煮炊きや接待などの世話は女人禁制なので一切を男が仕切ります。
 射手は3回にわたり合計18個の雑煮餅を食べ、お燗酒(かんしゅ)をしますが、肴(さかな)は煮干し2匹とかまぼこ2切れの簡素なものでご飯は出ません。+と書いた直径1.5mの大的1枚と×と書いた直径0.8mの小的2枚を作り、射手は小川を隔てた30m離れた的に、あわせて108本の矢を射(い)るのです。ですから大変な体力が必要で、今は地区外の人にも応援してもらっています。この的射が終わると、世話人の頭屋が矢で大的を破り、地区の人たちが男は右回り、女は左回りで輪をくぐり、氏神の河内神社に参拝して的射行事は終わります。
 猪木地区の特徴は、射手の『かけめし』の行事です。かつては椀(わん)で五合飯(ごごうめし)(約0.9ℓ、約750g)を食べたといいますが、今は三合飯を山盛りにして食べるのです。この『かけめし』の“かける”とは、農作の豊凶を占う年占いからきたもので、五穀豊穣の祈願になったものと思われます。飯(めし)を全部食べたら豊作、食べ残したら不作ということで、食べ残すのを忌(い)み嫌います。昔は白米のご飯を腹いっぱい食べられるからと、お役者さんは人気がありました。お役者さん2名と頭屋に本膳と称する精進料理(植物性の材料だけで作った料理)とお酒を出します。本膳は、お酒に黒ゴボウ、湯豆腐(ゆどうふ)、かまぼこ、酢(す)の物(もの)、こんにゃくの味噌和(みそあ)えで、わりに簡素なものです。
 的射行事が終わると祝宴になります。会堂に猪木地区の戸主(こしゅ)が集まり、お役者さんをねぎらうのです。その祝宴料理は、鶏肉を入れた炊き込み(醬油飯)、湯豆腐、こんにゃくの味噌和え、かす汁や本膳の残りです。魚は酢の物に入れるだけで他には使いません。お膳の湯豆腐に竹べらがささっていた人は、次会の頭屋になるのです。弓祈禱は簡素ですが、村の安全を祈願(きがん)した古式豊かな早春の年中行事です。この行事は正月明けで間もないこともあり、正月の食の延長で、弓祈禱に限った特別な食はありません。」
 **さんに見せてもらった「平成15年御祈禱買物一覧」には、「丸餅24個、〆(しめ)サバ、酒粕、油揚げ3個、かまぼこ2個、合わせ味噌、生わかめ、きんぴらごぼう、白和えこんにゃく、雪国まいたけ、豆腐5個、朝鮮漬け、煮干(にぼし)、いりこだし、お茶、奉書35枚、大根、人参(にんじん)、砂糖、ネギは地区調達」と記され、献立は年々変わることなく継承されているという。
 県内の弓祈禱について『愛媛県史 民俗上』に、「芸予(げいよ)諸島(広島県と愛媛県との間の島々)のほぼ全域と高縄半島周辺部に分布するほか、川之江(かわのえ)市と新宮(しんぐう)村にある。(⑫)」と記されている。