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遍路のこころ(平成14年度)

(2)四国八十八ヶ所霊場周辺の新四国⑥

 (ウ)清瀧新四国の巡拝

 清瀧新四国の巡拝には、他県から大師講を組織して多くの巡拝者が訪れている。そのうち、広島県福山市と因島市の大師講が清瀧新四国を巡拝する様子を、仙龍寺副住職の**さん(昭和28年生まれ)は次のように語る。
 「清瀧新四国は、本四国霊場にならって札所の本尊石仏が配置されており、本堂に祀られた本尊を参拝された後に巡拝される方が多い。清瀧新四国は、その名の通りに途中に高さが30mほどの滝があり、『お滝の行』と称する滝行をされる方もいる。
 福山市の大師講の皆さんは、昔は、旧暦の3月21日に、漁の安全を祈願して巡拝する場合が多かった。手こぎ船で伊予三島や川之江まで来て、三角寺をお参りした後、山を越えて奥之院仙龍寺の通夜堂(写真2-2-38)で修行をし、清瀧新四国で『お滝の行』をして帰っていた。現在もその風習は受け継がれており、毎年お盆過ぎに、しまなみ海道を通ってバスで昼ごろ着いたあと、清瀧新四国で『お滝の行』をされている。その際、本堂で白装束に着替えて山に登り、清滝で滝行をした後、もう1枚の白装束に着替えて遍路道を下って帰ってきている。夜は、本尊がご開帳された本堂で祈願希望者の護摩(ごま)供養をした後、講員の皆さんは、一緒に1時間ほどお勤めをされている。講員の中には夜中に、『無言の行』をされている方もある。講員の皆さんは、昔から受け継がれてきた独自の信仰を持っておられ、般若心経の他に、昔から聞き覚えた独自のお経を唱えながら、修行をされている方もいる。
 現在、団体では、因島市の80名ほどの大師講の皆さんも毎年巡拝されているが、その他に10名ほどの単位で、高知県吾川郡や香川県木田郡の皆さんも定期的に参拝に来られている。今、世話をされている方は3、4代目で、昔からそれぞれの講の風習を受け継がれているが、中には母と娘でお参りされる組もいくつかあり、今後も受け継がれていくものと思う。」
 尾道市の大師講の世話をしている**さん(昭和5年生まれ)・**さん(昭和8年生まれ)夫妻に奥之院仙龍寺や清瀧新四国の参拝の様子を聞いた。
 **さんは、巡拝の様子を次のように語る。
 「私達は、先輩の花谷大先達の大師講に属しており、奥之院仙龍寺を30年あまり参拝している。講員は35名ほどで、毎年、お盆後の土・日曜日に出掛けており、今年は8月17・18日に、しまなみ海道を通って六十一番香園寺と番外霊場延命寺を参拝した後、昼ごろに奥之院仙龍寺に着いた。毎年のことだが、奥之院仙龍寺には大型バスでは行けないので、川之江市で小型バスに乗り換えて参拝している。今年は講員35名の中、20名ほどが仙龍寺に到着後、清瀧新四国を巡拝し、その途中で『お滝の行』をした。先達の妻が講員の滝行と着替え用の白装束を縫って持参している。清瀧新四国を巡拝した後は、本堂で護摩祈とうを受け、副住職の法話を聞いて夕食をいただいた。夜は、本尊ご開帳の本堂で、皆で1時間ほど修行のお経を唱えさせてもらっている。今後とも、講員各自の健康や幸せを願って巡拝を続けていくつもりである。」
 また、妻の**さんは『お滝の行』について、「私は9歳の折に大病を患ったのを契機にしてお大師さまを信じるようになりました。その後、足が痛くて歩きにくい折でも、旧暦3月17日からの因島新四国や、8月の清瀧新四国には毎年お参りを続けています。今年の奥之院仙龍寺の『お滝の行』では20名ほどが、修行を行いました。『お滝の行』をする際は、白装束に着替えて気構えをして滝に入れば、どんなに寒い折でも精神力で耐えることができるものです。今年(平成14年)の1月12日に、六十一番香園寺奥の院で滝行をした折も、散り水が当たり始める時は寒いと思いましたが、滝の中に入ってしまえば、側で見ているほど寒くはありませんでした。
 私は、お大師さまに縁を持たせていただいたお陰で元気に過ごしており、自分の足で歩ける間は、講員の世話をさせてもらい、お大師さまにお参りさせてもらうつもりです。」と語る。

写真2-2-38 仙龍寺の通夜堂

写真2-2-38 仙龍寺の通夜堂

後方の山に清瀧新四国の石仏が点在している。平成14年6月撮影