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遍路のこころ(平成14年度)

(2)遍路の宿と人々の交流③

 (イ)中予地域の遍路宿

 中予地域の遍路道は、上浮穴郡小田町から北条市までの6市町村を通過する。遍路道は、ほぼ三坂峠越えの土佐街道や今治街道に沿って延びるが、小田町突合から久万町久万町(まち)間と松山市恵原から松山市内の問は土佐街道と分かれ独自のルートをたどる。
 図表1-2-13は、小田町から北条市までの6市町村にまたがる中予地域のかつての遍路宿117軒のまとめである。かつての遍路宿を市町村別にみると、松山市の49軒と久万町の43軒が群を抜き、次いで北条市10軒、小田町、美川村の順となっている。久万町は札所の場所や山間地の地形的制約を考えると、峠の麓(ふもと)や谷あいの遍路道沿いに多く遍路宿が分布するのは当然かもしれない。松山市は三坂峠から下った土佐街道沿いの旧坂本村窪野地区と道後温泉周辺に集中している。一方、廃業時期別にみると、総数117軒中、不明が47軒(40%)、次いで昭和期終戦前が40軒(34%)、昭和期終戦後が19軒(16%)の順となり、あとは平成期の7軒(6%)、明治期と大正期がそれぞれ2軒(2%)となっている。終戦前では久万町下畑野川河合や松山市窪野地区の遍路宿が、終戦前の昭和10年代に一斉に廃業しているのが目立つ。そのほかは松山市太山寺参道の2軒のお茶屋が明治期に廃業している。これらは交通機関の発達や不況と戦争という当時の社会情勢と深く関係するが、戦後ではモータリゼーションの影響も無視できない。
 次いで、図表1-2-14は、個別の遍路宿の場所、屋号、宿主、廃業時期等を遍路案内記や文献、古老からの聞き取りなどを参考に、それに基づき現地で確認したかつての遍路宿の一覧である。
 これらの資料をもとに、中予地域のかつての遍路宿を遍路道に沿って記したのが図表1-2-15である。

図表1-2-13 中予地域市町村別のかつての遍路宿数と廃業時期

図表1-2-13 中予地域市町村別のかつての遍路宿数と廃業時期


図表1-2-14 中予地域のかつての遍路宿と廃業時期

図表1-2-14 中予地域のかつての遍路宿と廃業時期


図表1-2-14② 中予地域のかつての遍路宿と廃業時期

図表1-2-14② 中予地域のかつての遍路宿と廃業時期


図表1-2-15 中予地域のかつての遍路宿

図表1-2-15 中予地域のかつての遍路宿