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遍路のこころ(平成14年度)

(2)遍路の宿と人々の交流①

 ア かつての遍路宿

 (ア)南予地域の遍路宿

 南予地域の遍路道は、高知県境の一本松町から内子町までの11市町村を通過する。遍路道はほぼ宿毛街道や宇和島街道の旧街道に沿って延び、一部は海岸近くを通るものの内陸部が多く、幾つかの峠を越え、厳しい山間部を縫うように走る。
 図表1-2-10は、明治期から現在までに廃業した、南予地域のかつての遍路宿139軒のまとめである。市町村別にみると宇和町の34軒を筆頭に、内子町17軒、一本松町と津島町15軒、宇和島市13軒などの順となり、遍路道の延長距離の長い津島町や内子町、峠を挟んだ麓(ふもと)の一本松町や内海村、津島町などに多い。一方、廃業時期別にみると、総数139軒中、不明が58軒(42%)で最も多く、次いで昭和期終戦前が36軒(27%)、昭和期終戦後が32軒(23%)と終戦前後が多く、後は大正期(8軒)、平成期(4軒)、明治期(1軒)と続く。特に昭和期は、初期と10年代が多く、終戦後は20年代の廃業が多く、県全体の数値とあまり差はないが、一本松町や御荘(みしょう)町、内海村などには大正期以前の早い時期に廃業した宿がみられる。これは松尾峠や柏坂を通る遍路道は、大正初期に主要道路の改修で峠越えから海岸沿いなどに道が変更され、馬車や乗合バスの出現や沿岸航路の就航による時間・距離の短縮により、宿の必要性が無くなったためと考えられる。
 次いで、図表1-2-11は、個別の遍路宿の場所、屋号、宿主、廃止時期等を遍路案内記やその他の文献、さらに地域に詳しい古老の話なとがら、幅広く明治以降の資料を収集し、それに基づき現地で確認した遍路宿の一覧である。文献として使用した遍路案内記は、明治16年(1883年)刊行の『四國道中記』から昭和2年(1927年)刊行の『四國霊場礼讃』までの5冊で、それぞれ該当する宿の地区欄に書名ごとのマークを付けた。地区欄の無印はそれ以外の資料や聞き取りからの宿である。
 これらの資料をもとに、南予地域のかつての遍路宿を遍路道に沿って記したのが図表1-2-12である。

図表1-2-10 南予地域市町村別のかつての遍路宿と廃業時期

図表1-2-10 南予地域市町村別のかつての遍路宿と廃業時期


図表1-2-11① 南予地域のかつての遍路宿と廃業時期 

図表1-2-11① 南予地域のかつての遍路宿と廃業時期 


図表1-2-11② 南予地域のかつての遍路宿と廃業時期 

図表1-2-11② 南予地域のかつての遍路宿と廃業時期 


図表1-2-12 南予地域のかつての遍路宿

図表1-2-12 南予地域のかつての遍路宿