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えひめ、昭和の記憶 ふるさとのくらしと産業20 ― 大洲市② ― (令和3年度「ふるさと愛媛学」普及推進事業)

1 農業を営む

(1) クリ栽培

 ア 河辺村のクリ栽培

 「昭和30年代は、私(Aさん)の家では、クリ栽培も行っていましたが、まだ葉タバコ栽培が中心でした。昭和40年代、私が中学生のころから、私の家もクリ栽培が中心となりました。河辺村全体でも、農協や役場が先導して、クリの植栽を進めていた時期だったと思います。
 『モモクリ3年』というように、クリは植栽して3年ほどで実が生(な)りますが、ある程度収穫できるようになるには10年くらいかかります。私の家では、昭和40年代終わりから50年代に入ってから収穫が増えていきました。河辺村全体では、昭和55年(1980年)から57年(1982年)ころが収穫量のピークだったと思います。当時、河辺村では1日にクリが33t、1年で500tくらい集荷されていました。大なり小なり多くの人がクリを植えていて、河辺村にクリ農家は300戸くらいあったのではないかと思います。今では、河辺地域で1年間に17t、JA愛媛たいき管内でも1年間で500tもありません。クリ農家も、若い生産者も含めて50、60戸ほどに減っています。
 平成に入ると高齢化が進みました。クリは柑橘(かんきつ)類と比べると、1本の木から収穫できる実の量が少なく、単位面積当たりの収量は低いため、ある程度の面積が必要です。また、柑橘類では実が熟した収穫期に一気に収穫することができますが、クリは自然落下を待たなくてはならないため、極端に言うと毎日収穫する必要があり、効率が悪いのです。高齢化が進むと広いクリ園の草刈りや収穫したクリを運搬する身体的負担が大きく、かといって人を雇うと経営的に厳しくなります。そのため、耕作放棄されるクリ園も増えてきました。私のクリ園では、面積は減っていませんが、収穫しない所が何か所かあります。」

 イ 温暖化の影響

 「私(Aさん)のクリ園では、クリの木は毎年植えていて、今年(令和3年〔2021年〕)も30本ほど植えました(写真3-1-1参照)。昨年も30本ほど、一昨年は70本ほど植えています。しかし、温暖化の影響のためか、新たに植栽してもすぐに枯れてしまい、なかなか育たなくなりました。この辺りは標高200m台ですが、ここから標高400mくらいまでがクリ栽培に適していて、クリが植えられていました。それ以上標高が高い所は、寒さのため育たなかったのですが、最近では逆に、標高400、500mくらいまでが適しているようです。」

 ウ クリの苗

 「今は新植する苗は購入していますが、3、4年くらい前までは、自分たちで接ぎ木した苗を植えていました。商品価値のないクリの実を種として蒔(ま)いて、2年ほど生長させたものを台木にします。その台木に、自分のクリ園の木の中から、樹勢が良く大玉が生るといったクリの木を選び、良い時期を見極めて接ぎ木するのです。接ぎ木に適した時期は10日間ほどしかないため、大変です。テープで縛ると自然に引っ付いて、新芽が伸び始めると接ぎ木は成功です。私(Aさん)の父が長らく接ぎ木をしていたのですが、父が亡くなってからは母がしていました。母は私よりも接ぎ木が上手です。父は他所(よそ)のクリ農家まで接ぎ木をしに行くこともありました。」

 エ クリの品種と害虫

 「品種によって寿命が違いますが、晩生(おくて)の『岸根』という品種は寿命が長いです。寿命が長くなるとその分、良いクリが収穫できますが、最近では良いクリが収穫でき始めたと思うと枯れ始めてしまいます。害虫が木の幹に入り込んでくると樹勢が悪くなるため、その虫を退治しないと養分を取られ、中が蜂の巣状の空洞になり、水分や養分が行き渡らなくなるため結局枯れてしまいます。虫はカミキリムシ系が多く、幼虫を幹に産み付け、樹液を吸って成長します。消毒をするしかないのですが、奥に入ったものはなかなか退治することができません。私(Aさん)は幹の中にスプレーで農薬を散布していますが、退治できたかどうかは分かりません。また、クスサンという蛾(が)の幼虫が葉を食べてしまいます。今年は少なかったですが、年によって大繁殖することもあります。葉を食べられてしまうと、光合成ができなくなり、実が太らなくなってしまうため大変です。」

 オ 大変な草刈り

 「暑い時期に行わなければいけない草刈りが、私(Aさん)にとって一番の重労働です。クリ園は、木陰以外は日当たりが良いため、一日中強い日差しの中での作業になります。夕方7時ころまで西日が差すため、身体的にかなりの負担になります。草刈りを行わないと日差しが地面に届かず、地中の養分を取られてしまいます。1回も草刈りをしないと、背丈よりも高くなってしまうため、だいたい3回行っていて、落ちたクリが見えるようにするため、3回目は収穫前に行っています。現在は草刈り機を使っていますが、昔は鎌を使っていました。鎌を使うよりも楽になりましたが、エンジンの熱で暑くて仕方がありません。また、夏場であるため、虫が寄ってきたり、マムシが出てきたりします。虫のうち、やぶ蚊やブヨは『パワー』という登山用の蚊取り線香を吊(つ)り下げておけば大丈夫ですが、アブには効果がなく、アブは服の上からも刺してきて、刺されると痛いです。マダニにもよく刺されています。」

 カ 水やり

 「普段はそこまで必要ではありませんが、実が太るためにはある程度水分が必要となります。梅雨が明けて日差しがきつくなると、雨が長い間降らないときには、水やりが必要になります。早生(わせ)品種は8月の盆過ぎに実が落ち始めるため、そのタイミングで実が太るように、水やりをする必要があります。私(Aさん)のクリ園では、川からポンプで水を汲(く)み上げて水やりをしていますが、クリ園の上の方までは届かず、自然任せになっています。」

 キ 収穫と出荷

 「クリの場合、収穫は自然落下するものを採取します。もうすぐ落下しそうなものは、あまり大きな木でない場合、揺すって落とすこともあります。しかし、無理に落とすと実が熟していないことがあるため、基本は自然落下です。収穫時期は早生が8月の盆過ぎの20日ごろから、中生(なかて)が9月5日ごろから、晩生が9月の終わりごろからになります。早生には『丹沢』、中生には『筑波』、『紫峰』、晩生には『石鎚』、『岸根』などの品種があります。私のクリ園では、早生は収穫量が少なく、中生の収穫量が多くなっています。この辺りでは『筑波』が昔から主流で、見た目も味も良い品種です。品種は改良されてきて、実が大きくなってきています。
 収穫する際、この辺りでは昔から腰に小さなカゴをつけて、その中にクリを入れています。これを私(Aさん)たちはタナカゴと呼んでいます。クリ園が傾斜地にあるため、大きなコンテナやカゴを置くと転んでしまうためです。タナカゴには、収穫したクリが3㎏ほど入ります。昔は竹製でしたが、最近は軽くて雨に濡(ぬ)れても大丈夫なPPバンドで作られたものがあります(写真3-1-2参照)。また、昔は鎌でイガを割っていましたが、最近はイガが刺さらない手袋をしています。手袋を使うようになって、作業が早くなりました。タナカゴが一杯になると、クリ園に置いた袋に移します。袋が一杯になると道路脇まで出して、車に載せて家まで持って帰ります。家では、夕方、虫食いがあるもの、腐っているもの、極端に割れたものといった商品価値のないものをサイズに関係なく選別し、それ以外のクリは集荷場へ出荷します。今年(令和3年〔2021年〕)の4月にJA愛媛たいきの出張所が閉鎖されましたが、農産物の受け入れは今までどおり行ってくれています。昭和60年(1985年)に河辺村農協が大洲農協に合併して、本所に集約されるまでは、そこにクリの選果場がありました。道路沿いにクリの受け入れ場所があり、そこからベルトコンベヤーで下にある選果機に送られ、サイズ別に箱詰めされたものが保冷車で運ばれていきました。」

 ク 剪定作業

 「クリの収穫が終わると、11月、12月ころに剪定(せんてい)をします。クリは日光が当たらないと実が生らないため、ある程度日光が木の根元辺りまで、差し込むようなイメージで剪定をします。また密植を避けるため、木と木の間隔を1m以上空けるよう、伸びてきた枝を剪定します。理屈は分かりますが、剪定はなかなか大変です。また、クリの低樹高栽培が勧められていますが、クリの木は放っておくと上へ上へと伸びようとします。手間をかけられる人はこまめに剪定して低くしていますが、私(Aさん)はなかなかそこまで手が回りません。そのため、クリの木が上へ伸びて、消毒が届かなくなっています。」

 ケ 台風と雪害

 「台風はクリ農家にとっては大変厄介だと私(Aさん)は思います。特にクリの実が太ってきて、もうすぐ収穫できそうな時期に台風が来てしまうと大変です。実が熟していないものがバラバラと落ちてしまい、売り物にならなくなる上、クリの実が太ってきて枝が重くなっているため、枝も折れてしまいます。また、雪の重みで枝が折れたことはありましたが、それほど頻繁にはありません。冬は実も葉もない時期なので、枝が軽いためです。」

 コ イノシシによる獣害

 「最近ではイノシシによる獣害が、クリ農家にとって一番の問題です。昔はめったに見ることがなかったのですが、平成10年(1998年)ごろから、私(Aさん)のクリ園にも現れるようになりました。イノシシは賢い上にクリが大好物で、鼻先で器用にイガを割り、皮だけ残してきれいに実を食べます。クリ園に入ってくると、一晩で自然落下した実を何十㎏も食べてしまいます。イノシシに食べられないように、日中に竿(さお)で叩(たた)いて実を落とし、収穫することもあります。また、クリ園への侵入を防ぐために、網を張ったり、電気柵を設置したりしていますが、どこからか入ってきてしまうこともあります。わなを仕掛け、猟友会による狩猟も行われていますが、捕獲が間に合っていません。耕作放棄地が増えて、そこがイノシシの隠れ家になっているようです。」

(2) キュウリ栽培

 ア キュウリ栽培を始める

 「キュウリ栽培を始めて40年近くになると思います。始めたきっかけは、私(Bさん)の母が家庭菜園で自家用のキュウリを栽培していたことです。あるとき、作物を栽培していなかった畑に、母が家庭菜園用のキュウリの種を落としてしまったのですが、そこにキュウリがすくすくと成長していきました。その様子を見て、『キュウリ栽培は成功するのではないか』と考え、当時、私は建設関係の仕事をしていましたが、キュウリ栽培の準備を始めました。キュウリ栽培を始めたころ、妻は原付免許だけで自動車免許を取得していなかったため、原付バイクにキュウリを5箱ほど積んで、出荷していました。初めは、わずかな面積で栽培していましたが、『これはうまくいくのではないか』と考え、この辺り一帯は自分が所有する山だったため、畑を広げることにしました。中古で10tほどの大きさのユンボを購入しており、建設会社の仕事から帰ってくると、自分でユンボを使って山を崩して畑を広げていきました。まだ畑が狭いうちは、手押し式の耕うん機を購入して畑を耕していましたが、『トラクターを使えるような畑にしよう』と広げていき、1反歩(約10a)ほどの広さの畑にしました。
 今から30年ほど前、河辺村産のキュウリが『きれいで鮮度が良く、品質が高い』ということで、『河辺村のキュウリが届かないと市場を開かない』というほどの評価を受け、神戸(こうべ)市(兵庫県)の青果市場から表彰してもらいました。当時、河辺村でキュウリの生産者が40人ほどいて、稼ぎも良かったです。私も最盛期には、3反歩(約30a)くらいに畑を広げ、常勤で2人ほど雇って栽培していました(写真3-1-3参照)。」

 イ ブルームレスキュウリ

 「私(Bさん)は以前、キュウリを種から育てていましたが、現在は接ぎ木の苗で育てています。種から育てると、キュウリの表面が白く粉が吹いたようになりますが、これをブルームといいます。味は良いのですが、農薬が付着していると消費者が誤解してしまうため、人気がありません。そのため、最近はブルームレスといって、表面が白くならずに青光りするキュウリを栽培しています。ブルームレスのキュウリは、カボチャを台木として接ぎ木した苗から育てます。自分で苗を作ることもできますが、手間がかかるため、購入した苗を使っています。多いときには3,000本ほど定植していましたが、今年(令和3年〔2021年〕)は800本ほどです。」

 ウ キュウリの定植から収穫

 「苗を購入して定植する時期は農家によって異なります。私(Bさん)は年に1作ですが、多い農家は年に3作するなど作型が違うためです。今年(令和3年〔2021年〕)、私は6月5日に定植し、7月9日ころから収穫を始めましたが、もっと早く定植する農家もあります。収穫を始めてから終わるまで、だいたい2か月で、3か月目に入ることもあります。私のところでは、7、8月の暑い時期がキュウリの収穫期になります。そのため、朝方と夕方の2回、比較的涼しい時間帯に収穫、消毒などをしています。朝方は早くから収穫をしなくてはいけません。現在よりも広い畑で栽培し、収穫量が多かったときには、ヘッドライトを点(つ)けて収穫していました。収穫したキュウリはコンテナに入れ、決められた時間までに集荷場へ出荷します。そのため、収穫量が多いときには大急ぎで収穫しなければいけません。朝方はまだ薄暗いうちから始め、夕方は周囲が見えなくなるほど暗くなるまで収穫します。一応、私は収穫を始める時間は午前、午後とも4時を基本にしています。集荷場に集められた河辺地域のキュウリは、JA愛媛たいきの本所まで送られて選果機にかけられています。」

 エ 水やりと消毒

 「収穫している間に水やりと消毒も行います。水は谷川の水をポンプアップし、地面に埋めた11t生コン車のドラムの中に溜(た)めています。エンジンをほぼ一日中動かしてポンプアップしているため、燃料代がかかります。そこから畑に配管したパイプに、落差を利用して水を流して水やりをしています。水やりは収穫しながら、バルブを緩めるだけで良いので簡単です。
 大変なのは、消毒の仕事です。最近では、使用できる消毒用の農薬が限定されていて、『今日消毒をして、明日出荷しても大丈夫』というような農薬しか使えません。そのため、価格は高いのですが、効き目はそれほど強くありません。消毒作業の際は、基本的にはマスクをして、メガネをかけて行うことになっています。しかし最近は、それほど強い農薬ではないため、私(Bさん)は直接吸い込まないように風向きに注意して、マスクをせずに消毒することもあります。そのような農薬を上手に組み合わせて、消毒を行わなくてはいけません。『効き目が強いから』と禁止されている農薬で消毒を行うと、罰金を支払うだけでなく、指定産地になっている大洲市のキュウリ全てを廃棄しなくてはいけません。市場では禁止された農薬を使用していないか抜き打ち検査をしていますが、最近の検査機器はすぐに農薬の種類が分かるそうです。また、何日に、何という農薬を、どれだけ使用したかについて全て報告しなくてはいけません。このように、消費者が安心して食べられるように、農薬の取り扱いを厳しく取り締まっています。」

 オ キュウリ栽培の面白さ

 「キュウリは、普通に家庭菜園で栽培しても、最初は誰でも収穫できます。しかし、長く作ろうとしても施肥や消毒、整枝といった管理が難しく、お盆ころには収穫できなくなりますが、そこに商品価値があると私(Bさん)は思います。ダイコンやハクサイ、キャベツは1度収穫すると終わりで、価格が高いときに収穫できれば良いですが、価格が安いときでも収穫しなければいけません。キュウリなどの蔓(つる)ものは次々と実が生り、収穫ができます。キュウリは市場で毎日価格の波があり、1作終わったときに全体として高かったか安かったかが分かります。それが面白く、何を栽培しようか迷っている人には、私は蔓ものの栽培を勧めています。とにかく換金できる作物を作らないと、生活の糧にはならないと考え、いろいろと模索しました。キュウリは成功しましたが、後に続きません。高齢化が一番の原因です。現在、河辺地域でキュウリを栽培しているのは7、8人ほどで、規模も平均1反歩(約10a)ほどとそれほど大きくありません。」

 カ 新たな試み

 (ア) 乾タケノコ

 「私(Bさん)は何とか稼げる仕事をしようと、まずシイタケ栽培を始めました。結婚の翌年には稼ぎを増やそうと地元の建設会社で働き始めました。その後、キュウリ栽培を始め、20年ほど前からはタケノコを加工して乾タケノコを作っています。
タケノコを加工して乾タケノコを作り始めたのは、県内では私が先駆けになります。全国的な放置竹林の問題もあり、産業おこしの糧になるのではないかと考えました。タケノコが生えてくる時期になると、大洲市内の各地からタケノコを集め、乾タケノコを作っています。タケノコは成長するのが早いため、春先の20日間くらいがシーズンで、集めたタケノコをカットして鍋で湯がき、シイタケ用の乾燥機で乾燥させたものを県森林組合連合会に出荷しています。
 平成27年(2015年)には『餃子の王将』の社長が、私を訪ねて来ました。餃子の王将では、店舗で提供するメンマの国産化を進めており、『メンマの原料である乾タケノコを作っている人間に会いたい』と考えたことと、社長が愛媛県に縁がある人ということが理由だったそうです。餃子の王将からは、愛媛県から年間18tの乾タケノコを供給してほしいと求められましたが、まだまだ不足しており、『Bさんの乾タケノコは、餃子の王将で出すメンマの2日分です。』と言われたことがあります。県内で生産された乾タケノコは、山形県のメーカーに送られ、メンマに加工して餃子の王将に卸されています。餃子の王将以外にも乾タケノコの需要があり、乾タケノコの生産者を増やそうと、県や大洲市は補助を出していますが、なかなか増えません。労力の割に儲(もう)けが少ないことが原因だと思います。
 現在、私の仕事はシイタケ栽培、乾タケノコの生産、キュウリ栽培ですが、季節的に良い組み合わせになっています。シイタケが終わるころにタケノコが生え始め、タケノコが終わったころに、キュウリの栽培を始め、キュウリの収穫が終わるとシイタケが始まると、組み合わせが良すぎて休む間がないほどです。妻には『仕事ばかり作っている』と怒られていますが、仕事ができるということは健康の源だと思って、頑張っています。」

 (イ) ワサビ栽培

 「河辺で何かできないかと模索して、最近始めたのがワサビ栽培です。ワサビ栽培は、大洲市が一度、試験栽培をしたもののうまくいきませんでした。しかし、私(Bさん)は水や条件が良く、ワサビ栽培に適していそうな場所に心当たりがあったので、4人ほど仲間を集めて始めました。その中のひとりは建設会社を定年退職し、河辺に戻ってきた人で、営業マンとして頑張ってくれています。先日も新聞記事で河辺のワサビ栽培が紹介されていました。道の駅のレストランで提供されているワサビ丼は河辺のワサビが使用されています。河辺の産業おこしの一つになればと始めて、栽培には成功しましたが、利益が少なく、後継者が育っていません。」

(3) トマト栽培

 ア トマト栽培を始める

 「私(Cさん)は昭和55年(1980年)に大学を卒業し、長男だったこともあり河辺村に帰ってきました。その2、3年後、家の近所に小さなハウスを建てて、トマトやキュウリなど、いろいろと野菜を作ることにしました。それまでは全く経験がなかったため、改良普及員さんの指導を受けながら、私の野菜作りは始まりました。
やがて、当時、村長を務めていた父から、国の事業で、コウゾやミツマタを栽培していた場所に広い畑ができるという話を聞きました。細かく分かれ、合計2haほどあった畑は整備されて、1面当たりの面積が広く、合計1haほどの3面の畑になりました。なお、父は国に陳情に行った際、『トラクターが利用できる広い畑を作りたい。』と言ったところ、『トラクターのない町村があるのですか。』と驚かれたそうです。その畑で初めはレタスやハクサイ、ダイコンを作っていたのですが、価格が安定しませんでした。そこで、河辺村のようなあまり土地がない場所では施設野菜で、集約的に農業をした方が良いと考えました。また、河辺村はトマトの産地であった久万(くま)町(現久万高原町)とほぼ同じ標高であり、トマト栽培に向いていると考え、本格的にトマト栽培に取り組み始めました。
 最初に中古と新品で合わせてハウスを5棟建て、その後徐々に増やしていき、現在は40aの畑に13棟のハウスを設置して約5,200本栽培しています(写真3-1-4参照)。なお、使わなくなった防災放送用のスピーカーを3台譲ってもらい、畑に設置しています(写真3-1-5参照)。おいしいトマトをどう売っていくか考える中で、音楽を聴かせて育てたトマトという付加価値を付けるため、CDプレーヤーのタイマーをセットして、スピーカーからモーツァルトの音楽を流してトマトに聴かせていましたが、CDプレーヤーが故障したため、現在はラジオ放送を流しています。
 私が本格的にトマト栽培に取り組み始めると、私を含めて4軒ほどがトマト栽培を始めましたが、それ以上は増えずに高齢化等によって、現在は私だけになりました。トマト栽培を始めるにあたり、ハウスを建てるには1棟当たり100万円から200万円ほどかかります。もともと高齢者が多い地域であり、後継者がいない中、そこまでの投資をしてまでトマト栽培をしようとは思えなかったのだと思います。私の後の世代でなかなか後継者が育っていません。最近はハウスを建てるのに補助も出るため、『トマトを作ってみませんか』と声を掛けてみるのですが、なかなか難しいです。」

 イ トマト栽培の流れ

 「トマトの収穫は6月30日ころから始まり、10月一杯くらいまで続きます。シーズン後半になると価格が上がるため、最近では11月中旬ころまで何とか収穫を続けようと頑張っています。トマトの収穫時期が終わると、12月に骨組みを残してハウスのビニールを剝ぐなどの片づけをします。この辺りは40cmから50㎝ほどの積雪があるので、ビニールを剝がないとハウスが潰れてしまうのです。ビニールは毎年交換しなさいと言われますが、1巻き4、5万円もするため、全て交換するとかなりの高額になります。そこで一度に全てを交換せず、一部を残しておき、何年か使ってから交換しています。ハウスにビニールを張り直すのは、4月の春一番が吹いた後です。それまでの畑の作業は、ビニールを張っていなくても問題ありません。
 12月の終わりから1月にかけて新たに畑をおこし、1月から2月にかけて堆肥を入れて畑を作り始めます。皆さん、堆肥場を作って稲藁(わら)を積み、そこに鶏糞(ふん)などを混ぜ込み、切り返し作業を行って時間をかけて堆肥を作り、それを畑へ入れています。しかし、時間と手間がかかるため、私(Cさん)は3月にカヤとJAの牛糞発酵堆肥を直接畑に入れて混ぜ込んでいます。4月に畝を上げて、5月には定植します。トマトの苗は、以前は河辺村でトマトの栽培農家が私以外にも3軒あったため、共同で種から育てて苗を作っていました。自分たちで苗を育てていたころは、5月の定植に向けて、春先は慌ただしくて忙しかったことを憶えています。現在は私だけになり、費用と労力を計算しても、あまり変わらないために農協から購入し、配達してもらっています。今年(令和3年〔2021年〕)は5月10日、14日と2回に分けて配達してもらいました。」

 ウ トマトの実の生り方

 「トマトは蔓の下部から実が生って、熟れていきます。葉が3枚ほどある所に実が生り、また上の段の葉が3枚ほどある所に実が生るということを繰り返し、下から1段、2段と数えると、12、13段くらいまで実が生ります。蔓が高くなるとハウスの天井につかえてしまうため、いろいろやり方がありますが、私(Cさん)は蔓を寝かせています。下から5段くらいまで、高さでいうと2mくらいまでトマトを収穫すると、収穫が終わった蔓の下部を寝かせて蔓の高さを低くするのです。この作業をもう1度繰り返して、13段目くらいまで収穫しています。」

 エ 水やり

 「畑が山の頂上辺りにあるため、水を約14tのタンクにディーゼルエンジンでポンプアップし、毎日10tほど水やりしています。今年(令和3年〔2021年〕)は乾燥しているため、もっと水をやりたいところですが、エンジンの能力にも限界があるため、これ以上は増やせません。手作業で水やりをすると大変な労力で時間もかかるため、私(Cさん)は畑の中に配管して水やりをしています。当初はハウス一つずつ、モーターでバルブを開いて配管の中に水を通していましたが、20年ほど前からタイマーを設置して自作のマイコンで電磁バルブを制御し、全てのハウスを自動で水やりできるようにしています。なお、配管の中を通る水には混入機で有機肥料を混ぜています。水を溜めるタンクの様子を監視できるカメラを設置していますが、落雷のために故障したのでカメラを買い替えなくてはならなくなりました。」

 オ トマトの品種

 「定植すると、だいたい1か月半くらいで収穫を始めることができるようになります。最近は小玉のトマトが好まれるようになっていますが、少し小さすぎるのではないかと私(Cさん)は思い、今年は3割ほど違う品種をテストしています。トマト栽培を始めたころと、現在では流行の品種は変わっています。栽培を始めたころは、かなりの大玉でした。最近人気がある品種が『桃太郎』で、糖度があって大変おいしいのですが、私にとっては栽培が少し難しく、なかなかきれいな丸になりません。また皮が薄いので傷が付いたりへこんだりしやすく、扱いに気を遣います。大洲管内では桃太郎ではなく、形が良く、病害虫にも強い『麗夏』という品種を作るようになりました。河辺より暖かい旧大洲市内では、青枯病などの病気に注意しなくてはいけませんが、こちらでは標高が高いためか、そのような病気の心配がなく、土壌消毒をせずに何十年もトマトを栽培しています。」

 カ トマトの出荷

 「トマトを出荷する時期は、大変忙しくなります。朝方に集荷場へ出荷し、集荷場から戻って午前中は畑で作業、午後に収穫をします。そして夜に選果作業を行って箱詰めをし、朝方に集荷場へ出荷という繰り返しのため、ゆっくり寝る間がありません。旧大洲市内のトマト農家は、選果作業はなく、収穫したトマトをコンテナに入れて、選果場へ持って行きます。そのため、夜の時間に余裕ができますが、選果費用を支払う必要があります。私(Cさん)は自分で選果作業を行っているため、選果費用を支払う必要はありませんが大変です。集荷場は植松の元Aコープの下にあります。以前は植松にあったAコープとJAの出張所は閉鎖されましたが、集荷場は話し合いによって残りました。河辺地域の農家が、それぞれ農産物を持ち込み、午前9時ころにJA愛媛たいき肱川支所の職員がトラックで集荷に来ています。」

 キ 選果作業とトマトの加工

 「選果作業は選果機を使用して、午前9時の出荷時間に間に合うよう、身体の調子を見ながら行っています。収穫量が多いときには、午後9時ころに一旦作業を終了し、4時間ほど眠って、午前2時ころから作業を再開することもあります。河辺地域からトマトを出荷するのは私(Cさん)だけのため、厳しい目で作業を行っています。選果機は平成7年(1995年)の地域農業活性化緊急対策事業による補助で購入しました。現在、選果機を2台使用していますが、1台はトマト栽培をやめた農家から譲ってもらったものです(写真3-1-6参照)。
年齢を重ねてくると、できるだけ手間がかからない方へシフトしています。10年くらい前にトマトの加工所を改築し、ジャムなどを作っていますが、最近は日中に畑で作業した後、夜に加工品を作る体力がなくなり、あまり作っていません。それでも菓子製造と飲食店の許可は取っていて、いつでもできるようにしています。」

 ク トマトの価格

 「トマトの価格は安定していますが、最近はあまり高値がつきません。以前はなかった北海道産のトマトが関東の市場だけでなく、関西の市場に出回り始めたことが大きいと私(Cさん)は思います。また、旧大洲市内のトマト農家も、以前は7月に入るとほとんど出荷していませんでしたが、夏場は消費が増えて価格が上がるため、7月中旬ころまで引っ張る農家もいます。このような状況のため、JAの職員から『トマトはなかなか価格が上昇する要素がありません。』と厳しい意見を耳にします。それでも少しでも高値で売れるよう、価格が上がる遅い時期まで出荷できるように努めています。」

 ケ 台風対策

 「私(Cさん)のトマト畑では、台風で何回かハウスのビニールが飛んだことがありますが、収穫が激減するような被害はありませんでした。普段はハウス内に熱がこもらないよう、両方の出入口だけでなく、両サイドのビニールも肩口くらいまで開けています。台風が近づいてくるとハウスのビニールを全て閉めて、風で飛ばないようにしっかりと縛りますが、締め切ってしまうとハウス内に熱がこもるため、ぎりぎりまで我慢をして、強風が吹き始めたら急いでビニールを閉めています。自然相手のため仕方がありませんが、台風が逸(そ)れたために、ビニールを閉めたにもかかわらず、また開け直さなければならないこともありました。」

写真3-1-1 クリ園

写真3-1-1 クリ園

令和3年7月撮影

写真3-1-2 タナカゴ

写真3-1-2 タナカゴ

令和3年7月撮影

写真3-1-3 キュウリ畑

写真3-1-3 キュウリ畑

令和3年7月撮影

写真3-1-4 トマト畑

写真3-1-4 トマト畑

令和3年7月撮影

写真3-1-5 トマト畑に設置したスピーカー

写真3-1-5 トマト畑に設置したスピーカー

令和3年7月撮影

写真3-1-6 選果機

写真3-1-6 選果機

令和3年7月撮影