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えひめ、昭和の記憶 ふるさとのくらしと産業20 ― 大洲市② ― (令和3年度「ふるさと愛媛学」普及推進事業)

第1節 農業と人々のくらし

 平地の少ない旧肱川町では、昭和30年代以前には狭い山畑を耕し、山腹を開いて、麦やトウモロコシ、大豆を生産した。そのころ雑穀類は欠くことのできない産物であったが、昭和40年代になるとほとんど作付けされなくなった。また、昭和30年(1955年)ころまで主要産物であった薪(まき)や木炭に代わって、シイタケやクリの栽培が盛んとなり、昭和50年代にはシイタケが旧肱川町の農林生産額の首位を占めるようになった。一方、旧肱川町では、昭和20年代以降に酪農に対する関心が高まり、加速度的に乳牛の飼育頭数が増えていった。その結果、昭和50年(1975年)の農林生産額の首位はシイタケであるが、牛乳の生産額は2位である。さらに牛乳は昭和63年(1988年)からの13年間、生産額が1億5千万円を超え、旧肱川町の農林生産額の首位を7回占めるという実績を上げた。
 牛乳に代わって平成12年(2000年)に農林生産額の首位となったのはトマトである。もともと旧肱川町では蔬菜(そさい)は自家用栽培がほとんどであったが、昭和50年代にキュウリ栽培が本格的に始まり、平成6年(1994年)には、町が「新たな農業の転換」を掲げて、予子林に「省エネルギーモデル温室」を整備し、トマトの栽培を始めた。また、平成9年(1997年)には大谷に温室を整備し、施設野菜の振興を行った。そのため、平成12年にトマトの生産額が約2億9千万円と生産額の首位を占めるようになったのである。
 旧肱川町の主要作物の一つが葉タバコである。葉タバコは、労力はいるが重要な換金作物として戦後急速に普及した。昭和35年(1960年)以降40年間、旧肱川町の農林生産額の上位を占めており、平成4年(1992年)には生産額第1位となった。
 本節では、旧肱川町の中でも大谷における農業を取り上げる。大谷は肱川地域の南西部に位置し、西は大洲(おおず)市(旧市域)、南は旧野村(のむら)町(現西予(せいよ)市)に接する。鹿野川湖に流れ込む大谷川の流域にあたる山地に囲まれた地域で、旧肱川町の中でも主要な農業地帯である。また、江戸末期に始まった県指定無形民俗文化財の大谷文楽の地としても知られている。
 本節では、大谷の農業と人々のくらしについて、Aさん(昭和18年生まれ)、Bさん(昭和29年生まれ)から話を聞いた。