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えひめ、昭和の記憶 ふるさとのくらしと産業19ー大洲市①―(令和2年度「ふるさと愛媛学」普及推進事業)

2 木蝋の生産

(1) つるかめ喜多工場

 昭和9年(1934年)に設立された喜多製蝋所は、愛媛県で唯一、全国的に見ても数少ない木蝋の生産を続けていた工場であったが、平成24年(2012年)に廃業した。しかし、神奈川県に本社がある株式会社セラリカNODAが喜多製蝋所の施設を買い取り、つるかめ喜多工場として翌年から木蝋の生産を再開した(写真3-2-7参照)。現在、2名の従業員で木蝋を生産している。
 木蝋の製造工程について、つるかめ喜多工場従業員のDさんが話してくれた。

 ア 国内最古のボイラー

 「当工場のボイラーは、横置煙管式ボイラーという構造で、中に鉄の筒が何本も入っていて、その中を煙が通り抜ける際の熱で水を沸騰させて蒸気を発生させるものです(写真3-2-8参照)。現在も稼働している横置煙管式ボイラーとしては、国内最古といわれています。
 燃料は、主にハゼの実から木蝋を抽出した後の搾りかすを再利用しています。搾りかすは毎回かなりの量が出ていますが、そのまま廃棄してしまわず、よく燃えるので無駄なく使って循環することができています。また、ハゼの実が付いていた房の部分も燃えやすいので、着火の際に利用しています。その他、木材を燃やすこともあり、製材所で購入することもありますが、近所の土木・建築会社から廃材をいただくことが多いです。
 ボイラーは抽出作業の前日から火を入れます。ボイラーを燃焼させて蒸気の圧力を上げておかないと、翌朝から作業ができないのです。そして、工場が稼働している間、日中はボイラーを燃焼させて蒸気の圧力を保ち、翌日の作業に必要な蒸気の圧力を確保したうえで夜間はボイラーの火を消しています。」

 イ ハゼの実の脱穀

 「まず、脱穀機で原料のハゼの実と房を分けます。稲の脱穀機と原理はほとんど同じで、機械がスライドして、下部にある溝が入った鉄製のレールにハゼがすり付けられてハゼの実と房が分けられ、房が残ります。分けられたハゼの実はベルトコンベヤーで上部へ送られて蓄えられ、少量ずつ出されてローラーですり潰され粉々の状態になり、その状態でようやく蝋を抽出できるのです(写真3-2-9参照)。
 工場を稼働した際は、初日に脱穀、2日目に蝋の抽出という工程になります。2日目以降は、1名が脱穀、もう1名が抽出を担当して、作業を続けています。粉々になった状態のハゼの実は、ベルトコンベヤーで抽出釜の真上にある2階の貯蔵室へ送られます(写真3-2-10参照)。」

 ウ 蝋の抽出

 「貯蔵室に送られたハゼの実を抽出釜へいっぱいに入れ、ボルトでしっかりと蓋を閉めます。まず、ボイラーで作った蒸気を釜へ送り、ハゼの実を蒸し上げます。次に、ハゼの実が完全に蒸し上がった状態で釜に溶剤を入れ、加熱した状態でハゼの実を溶剤に数時間浸してハゼの実から蝋の成分を染み出させます。そして、蝋の成分が染み出た溶剤を、配管でつながっているもう一つの釜へ落とし、その釜を蒸気で熱すると、溶剤は非常に沸点が低いので気化して蝋だけが釜に残るのです(写真3-2-11参照)。
 なお、気化した溶剤は冷却して液体に戻し、この溶剤に浸してから気化させるまでの工程を3回ほど循環させています。最後に仕上げの蒸気での加熱の後、コックを開いて釜から液体状の蝋を取り出し、蝋甕(ろうがめ)へ移して30分くらい置いて、水分や異物を沈殿させます。
 蝋の抽出作業は午前8時半ころから仕込んで、午前9時ころから溶剤に浸しますが、釜から蝋を取り出すのは午後4時ころになります。抽出釜にはハゼの実の搾りかすが大量に残っているので、抽出後に毎回取り出してボイラーの前まで運び、燃料として再利用しています。この抽出釜はボイラーよりは新しいですが、それでも40年くらい前に喜多製蝋所が導入したもので、その設備を当社が引き継いで、同じ方法で木蝋を生産しています。」

 エ 蝋盛

 「水分や異物を沈殿させた蝋をある程度冷ました後、じょうろのような容器で蝋皿へ入れていきますが、この作業を蝋盛(もり)と言い、午後5時半ころから始めます(写真3-2-12参照)。蝋盛をした蝋は翌朝には完全に固まり、木蝋が完成しますが、原料のハゼの実のおよそ5分の1から4分の1の量になります。完成した木蝋は、ウグイス色と呼ばれる茶色と緑色の中間のような色をしています。
 完成した木蝋は本社の神奈川県へ送り、本社から和蝋燭の材料や、化粧品の材料として出荷されます。最近では化粧品の材料としての利用が非常に多くなっていますが、化粧品メーカーに出荷する際は、化粧品にしやすいように本社でビーズ状に加工しています。」

 オ 原料の仕入れ

 「工場は基本的に一年中稼働していますが、原料のハゼの実を九州まで買い付けに行ったり、仕入れ先に挨拶に行ったりして稼働しない時もあります。現在も愛媛県内では内子町でハゼの実が収穫されていますが、当工場での生産に必要な量には全く足りないので、ハゼの産地である熊本県水俣(みなまた)市、それ以外にも福岡県、長崎県、佐賀県、宮崎県と全て九州で仕入れています。
 ハゼの実の収穫時期は11月ころから始まって1月ころまでで、12月ころから引き取りが本格化しますが、ハゼの実は保存がきくので、2、3月ころまで引き取りが続きます。この時期に買い付けた量が、大体年間の生産に回される量になりますが、1回の抽出作業で数百㎏のハゼの実を使うので、大量に仕入れる必要があります。また、和蝋燭の材料としては数年寝かせたハゼの実で生産された木蝋が好まれるので、使い切らずに一部は保管しています。
 今年度は11、12月に九州へ出張して、私たちもハゼの実を収穫したり、電話連絡を受けて仕入れ先でハゼの実を購入したり交渉したりしました。やはり、現地で関係を築くことが大切だと思います。喜多製蝋所からセラリカに代わったとき、仕入れるハゼの実の量がかなり減りました。徐々に増やしていって、ようやく最低限の原料が集まるようになったのです。」

 カ 白蝋

 「喜多製蝋所の時代、生産された木蝋は晒蝋業者によって白蝋にするのが主流でしたが、晒蝋業者の方が引退されてしまいました。そこで、伝統を絶やしてはいけないという思いからつるかめ喜多工場で取り組み、大量生産は難しいですが、昨年度も白蝋を数百㎏生産しています。また、本社では、昔ながらの天日で晒す方法ではなく薬品で色を抜く方法で白蝋に近い製品が生産されています。天日で晒す方法は、天候に左右され手間が掛かりますが、薬品は安定して生産できる利点があります。しかし、白蝋は整髪剤や歌舞伎などの際の白塗り化粧の下地に利用されますが、粘りなどの質感が薬品で生産されたものは十分でないそうです。そういった質感の問題も含めて、効率の良い白蝋の生産方法について検討をしています。」

(2) 喜多製蝋所の記憶

 ア 喜多製蝋所での勤務

 「喜多製蝋所の最盛期は大正から昭和の初めころでした。そのころの勤務形態は、朝の部が午前5時ころから午後0時まで、夜の部が午後0時から午後8時ころまでの二交代制で、6名ほど勤務していたと聞いています。当時は、海外、特にヨーロッパで木蝋の需要が高かったためで、忙しい時期には従業員の方が自分の奥さんを連れてきて、蝋盛を手伝ってもらうこともあったそうです。
 私(Cさん)は、平成7年(1995年)から喜多製蝋所で勤務を始め、当時は、私を含めて従業員の男性3名と事務員の女性1名が勤務していました。従業員3名でパートに分かれて作業をしていて、事務員の女性の方に蝋盛を手伝ってもらうこともあったことを憶えています。
 喜多製蝋所の時代も、1日の作業の流れは現在と変わりはなく、朝、ボイラーを動かすところから始まりました。しかし、1日の流れは変わりませんが、1年を通してみると違いがあります。現在、当社は木蝋生産を6次産業化していこうとハゼの育成から関わり、1か月から2か月、九州に入っている期間がありますが、喜多製蝋所の時代はそのようなことはしていませんでした。九州の仲買人から連絡を受け、トラックに乗ってハゼを引き取りに行くと翌日には木蝋を生産していて、ほぼ一年中工場は稼働していました。」

 イ ハゼを広める

 「私(Cさん)が喜多製蝋所で勤務していたころ、原料となるハゼの実は、内子町など愛媛県内からも仕入れていましたがごくわずかで、すでに9割5分ほどは九州から仕入れていていました。九州にハゼが多いのは、ハゼの苗木を植える際、行政による半額助成や仲買人による半額負担が行われ、実質無料で苗木を植えることができるようにした取り組みによるものです。
 最近はハゼの木の改良が進み、低木化して脚立で収穫できるようになって、ハゼの実を収穫しやすくなってきましたが、ハゼの実を収穫する人が不足しているという問題があります。当社でもハゼの実を収穫する人を増やすために、1kg当たりのハゼの実の価格を上げようと関係各所に働きかけた結果、一時期1kg当たり200円だったものが260円から270円ほどになりました。このように当社の取り組みも徐々に成果が出てきていて、四国でもハゼの栽培を広めたいと考えています。四国でハゼの栽培が広まれば、九州にハゼの実を引き取りに行くよりも運搬コストも下がりますし、徐々に取り組んでいきたいと思います。」


参考文献
・ 長浜町『長浜町誌』1975
・ 愛媛県『愛媛県史 地誌Ⅱ(南予)』1985
・ 愛媛県『愛媛県史 社会経済3 商工』1986
・ 長浜町『長浜町誌 続編』2004
・ 長浜町『ながはま風土記 第1巻 長浜地区』2005
・ 愛媛県教育委員会文化財保護課『愛媛県の近代化遺産』2013

写真3-2-7 セラリカNODAつるかめ喜多工場

写真3-2-7 セラリカNODAつるかめ喜多工場

令和2年11月撮影

写真3-2-8 国内最古のボイラー

写真3-2-8 国内最古のボイラー

令和2年12月撮影

写真3-2-9 すり潰されたハゼの実

写真3-2-9 すり潰されたハゼの実

令和2年12月撮影

写真3-2-10 抽出釜と2階への階段

写真3-2-10 抽出釜と2階への階段

令和2年12月撮影

写真3-2-11 溶剤を気化させる釜

写真3-2-11 溶剤を気化させる釜

令和2年12月撮影

写真3-2-12 蝋盛をする部屋

写真3-2-12 蝋盛をする部屋

令和2年12月撮影