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えひめ、昭和の記憶 ふるさとのくらしと産業19ー大洲市①―(令和2年度「ふるさと愛媛学」普及推進事業)

2 醬油作りの変化

(1) 昭和40年以降の醬油作りの変化 

 ア 家業を継ぐ

 「私(Bさん)が高校を卒業したのは、肱川橋が架け替えられた昭和36年(1961年)です。高校在学中に橋の架け替え工事が行われていました。鹿野川ダムが完成したのが昭和34年(1959年)だったと思いますが、ダムができるまでは肱川の水は澄んでいて、きれいでした。橋の上からでも泳いでいる魚が見えたり、シジミが採れたりしていたことを憶えています。
 私は家業を継ぐために東京農業大学の醸造科に入学しました。父が醸造試験場にいたときに師事したのが『味噌・醬油の神様』と呼ばれた松本憲次先生でしたが、私も大学の卒業論文を作成した際には、松本先生にお世話になりました。大学卒業後、仙台で2年くらい働き、大洲に帰ってきたのが昭和42年(1967年)でした。そのころ、醬油業界は中小企業構造改善事業によって大きく変わりました。さらに、車社会の進展とスーパーマーケットの進出によって大きく変化したのではないかと思います。」

 イ 中小企業構造改善事業

 「私(Bさん)が大洲に帰る少し前の昭和40年(1965年)ころ、醬油業界に対して中小企業構造改善事業という国の補助事業が行われました。その内容は、中小企業の多い醬油・味噌業界の構造を改善するために、中小企業の設備を廃棄して、各都道府県で1社くらいにまとめるというものでした。
 愛媛県では構造改善事業として、最初は1か所で麴(こうじ)を作り、それを各社に分配することが計画されました。ところが、愛媛県は東西に長く広がっており、麴を運んでいるうちに時間が経過して変質してしまうため、県が事業を見合わせたという経緯がありました。その後、構造改善事業では醬油まで作り、それを組合員に分配するという計画に変わっていきました。九州地方では鹿児島、長崎、福岡、大分の各県に協業組合企業がつくられ、中国地方では広島県に中国醬油醸造協同組合がつくられています。四国でも香川県に協業組合企業がつくられ、組合員になった企業がそれぞれの設備を廃棄し、大規模な共同工場を建設しました。その当時、愛媛県には100社近い同業者がありましたが、現在は半分くらいになっています(図表2-2-2参照)。」
「愛媛県では、協業組合企業はいまだにつくられていません。愛媛県醬油味噌協同組合という組織はありますが、協業組合企業による醬油作りは行われていません。県内には今でも醬油・味噌の醸造業者が50社近くありますが、近隣県に比べても多い方だと私(Cさん)は思います。
 ところが、全ての会社が自社で醬油を製造しているかといえば話しが違ってきます。愛媛県の近県の香川県、大分県、広島県などでは、醬油を製造するための大きな協業組合企業がつくられ、小さな会社はその組合員となり、生揚という生の醬油の供給を受けています。組合員にならなくても生揚を購入することはできます。協業組合企業が原料を購入し、仕込み、発酵・熟成させて搾った生の醬油を、タンクローリー車などで組合員の会社へ送ります。組合員の会社では、送られてきた醬油に添加物などを加えて味付けをした後、加熱・殺菌、火入れ処理・ろ過を行ってから瓶詰めを行います。その辺りの工程は早ければ2週間足らずで終わってしまいます。昭和50年(1975年)ころからそのような方向に変わっていき、現在ではそのようにして製造・販売を行っている醬油醸造業者がほとんどではないかと思います。」

 ウ 販売方法の変化

 「昭和30年代、40年代の販売は、主に御用聞き販売という形態で行われていました。今のようにスーパーマーケットなどなかった時代だったので、酒屋さんにしても当社にしても、各家庭から注文をいただき、配達するというという御用聞き販売を行っていたのです。昔はほとんど自転車とリヤカーで配達していて、鹿野川ダムの向こうの方へも自転車で行っていたと聞いていて、城川の方へ行くときには、泊まりがけになることもあったようです。私(Bさん)たちが子どものころ、道路は舗装されておらず、荷馬車も通っていたことを憶えています。」
 「昔から三崎(みさき)(現伊方(いかた)町)や伊方、宇和島(うわじま)、鬼北(きほく)、松野(まつの)の方までお客さんがいたと聞いています。そのころはお得意様の帳面というものがあり、月に1回くらい伺うような訪問販売を行っていたようです。
 今は訪問販売を行っている店は少なくなりましたが、私(Cさん)たちは今でも訪問販売を行っています。今はどちらかというと、訪問販売よりも宅配業者を通して取引先に発送することが多くなっています。私たちはスーパーマーケットとの取り引きがほとんどないため、スーパーマーケットの物流センターにまとめて発送するようなことはあまりありません。」

 エ スーパーマーケットの登場

 「スーパーマーケットの特売というと、一時は醬油が目玉商品になりがちでした。そのため、各社が価格競争を行い、醬油1ℓの価格が水よりも安いような価格に下落したのではないかと私(Bさん)は思います。」
 「梶田商店では、私(Cさん)の祖父の時代に訪問販売が確立され、多くのお客さんを抱えていました。スーパーマーケットで販売すると他社との競争が激しくなり、常に価格競争にさらされるため、卸価格が大きく下がってしまいます。そこで、直接販売を続けた方がよいのではないかということになり、スーパーマーケットにはなかなか進出しませんでした。祖父は晩年に、それが間違いだったと悔やんでいたことを憶えています。しかし、そのおかげで梶田商店が今も生き残っているのではないかと思います。
 シェアを獲得するための競争が激しくなり、醬油の価格が安くなっていったのではないかと思います。スーパーマーケットはお客さんに店へ来てもらう側ですが、訪問販売ではこちらから出向かなければなりません。製造原価の中で最も高いのが人件費ですが、訪問販売を行っても1人で訪問できる範囲、1日に売れる醬油の本数には限界があります。一方、スーパーマーケットへは1店舗に多くの商品をまとめて納めることができますが、取引先のスーパーマーケットを増やし、売り上げを伸ばしていくためには、目玉になるような価格的優位性を出す必要があります。そのため、スーパーマーケットができてからは薄利多売が急速に進んだのではないかと思います。個人商店でお客さんを持っていないところは、非常に厳しかったと思います。
 以前に明治29年(1896年)の西日本の醬油生産量が記録された帳面を古書店で見つけ、買い求めたことがありました。帳面には、当社も含めた県内の醬油醸造業者が記載されていて、当時は、今のおよそ5倍の230社から240社くらいも業者があったことが分かります。
 また、大手の醬油醸造業者に比べると小さな業者の利益率は良くありません。大手の醬油醸造業者は半年くらいで醬油を製造していますが、梶田商店ではより長い時間をかけて製造しています。私たちとしては、良質で付加価値の高い醬油を作り、他社の醬油との違いをアピールしていかなければならないので、その辺りは大きな違いとなります。その違いをどれだけお客さんに伝えることができるか、分かっていただけるかという話になりますが、人によって美味しさに関する考えや思いも違うのではないかと思います。また、価格に対する考え方も大きく違っていて、地方へ行くほど、添加物や製造工程といったものを考慮せず、価格が安いことを評価する人が多いようです。今は食製品についての知識や情報を得やすくなっていますが、そのようなものに関心がある人とそうでない人の差も広がっているのではないかと思います。醬油や味噌は昔から身近にあるものですが、意外に知らないことの方が多いのではないかと私は思います。」

 オ 食生活の変化

 「昭和30年代、40年代は高度成長期で、商品を作れば売れる時代であったと私(Cさん)は思います。日本酒の出荷量も昭和49年(1974年)がピークだったと聞いています。今は海外への輸出が増えているそうですが、日本酒自体の出荷量は、年々減少しています。今回の新型コロナ禍においても、飲食店の経営が厳しくなっている影響で、かなりの蔵元が危機に陥っているという話を聞きました。今は若い人があまりお酒を飲まなくなっていて、特に日本酒は海外のお酒に比べると、酒税が高かったり、売価が安かったりするので大変だと思います。伝統的な日本の食文化を守ることが、徐々に厳しくなってきているのではないかと思います。
 スーパーマーケットが登場したのが昭和30年代ですが、そのころからカップラーメンに代表されるように、食生活は簡単で便利なものに取って代わられました。分かりやすいのが醬油というカテゴリーです。かつては『さしすせそ』といって、砂糖、塩、酢、醬油、味噌があれば、家庭ではある程度の料理が作れたのではないかと思います。しかし、今はスーパーマーケットでも醬油が販売されており、その隣にはだし醬油、めんつゆ、うどんつゆ、そばつゆが並び、さらに、卵掛け専用、餃子専用の醬油なども販売されています。ポン酢だけでもてっちり用、寄せ鍋用、しゃぶしゃぶ用など、さまざまな用途に応じた商品が販売されているほか、焼き肉のたれなども醬油がベースになっているはずです。そのように、消費者のニーズに合わせて、専門的な調味料がどんどん増えているため、家庭の味がどれだけ継承されているのだろうかと疑問に思います。恐らく今の食生活では、工業製品の調味料がどの家庭でも使われているのではないかと思います。現在は手間を掛けて料理を作ることが少なくなり、簡単に作れる便利な食品がたくさん登場しています。生きていくために、食べるという行為は必要ではありますが、食べるまでの作るという行為が、昔に比べると大変になっているのが現状ではないかと思います。」

(2) 美味しい醬油を作る

 ア 家業を継ぐ

 「祖父は醸造試験場で、父は東京農業大学で学んでいて、私(Cさん)も高校生のとき、担任の先生から『農大(東京農業大学)に合格できるぞ。』と言われていました。父は私を東京農業大学に進学させたいと考えていたので、試験だけは受けようと考えて受験すると合格しました。私は東京農業大学に進学しましたが、当時は家業を継ぐという気持ちは全くありませんでした。
 大学卒業後は、内定をもらっていた大手スーパーマーケットに入社し、6年くらい仕事をして流通について勉強しました。スーパーマーケットでの仕事は楽しかったのですが、『我々は本当に良い商品を販売しているのだろうか』と少しずつ疑問を持つようになりました。私は愛知県の店舗に勤務していて、愛知県では醬油・味噌醸造業が盛んで、八丁味噌やたまり醬油などの製品がたくさんあります。私が社会人になったころは、『食べるな危険』という書籍がベストセラーになっていました。また、大学時代から食品について勉強していく中で、さまざまな知識が身に付いていました。スーパーマーケットでは、売り上げや利益を増やすことを考えなければなりませんが、そのころ売れ行きの良かった商品の中には、私があまり良いものではないのではないかと思うものもありました。その一方で、私が良いと思った商品をスーパーマーケットで販売してみても、売れ行きがなかなか伸びないこともありました。そのような思いをしているとき、長期休暇で実家へ帰ると、昔ながらの製法で醬油や味噌を製造してはいました。しかし、出来上がった製品に添加物を混ぜて販売したり、ペットボトルに詰めて販売したりしていて、スーパーマーケットで安売りされている商品と同じようなスタンスで製造・販売されており、それがもったいないのではないかと思うようになりました。私の家では本当に美味しい醬油を作っていたので、少し方法を変えただけでもより良いものができるのではないかと考えたのです。
 醬油は基礎的な調味料なので、美味しさを含めて体に良いものを提供することで、食を通じて社会に貢献することができるのではないかと考えました。そこで、スーパーマーケットを退職して家業を継ぎ、より安全で美味しい醬油を作るという方向に店の方針を転換しようと考えたのです。そのため、私がこちらに帰ってからは、アミノ酸や保存剤などの添加物をかなり減らしました。今後もさらに付加価値を高め、お客さんに『いいよね』と思ってもらえるもの、喜んでもらえるものを作りたいと思っています。」

 イ 醬油業界の現状

 「醬油醸造業者もかつては大洲に3、4社ありましたが、今では2社だけになっています。当社では昔からずっと、自社で大豆や小麦、脱脂加工大豆を仕入れて醬油を製造しています(写真2-2-10参照)。当社ではそのような方法で醬油を製造しているため、大豆、小麦などの原料を仕入れてから仕込みを行い、商品が完成して販売されるようになるまでに2年以上もかかります。現在、それだけの時間と労力をかけて醬油を製造している業者が、はたしてどのくらいあるのだろうかと私(Cさん)は思います。
 現在の醬油業界では、大きな醬油醸造業者は全て自分たちで作っていますが、小さな醬油醸造業者は自社で醸造を行っているわけではありません。そのため、大手といわれている上位20社から50社の醬油生産量を合計すると、全国の9割以上を占めているのではないかと思います。全国に1,300社くらいある醬油醸造業者の中で、原料の仕入れから出荷段階まで一貫して行っている業者というのは、全体の1割くらいだといわれています。
 ただ、自社醸造を行わない業者が多くなっていることも理解はできます。現在、醬油醸造を行うためには高価な機械を使用する必要があり、その機械が故障したり破損したりして使えなくなったときには経営判断が迫られます。例えば、瓶に醬油を詰めて出荷するためには、洗瓶機が絶対に必要となりますが、洗瓶機が使えなくなった場合には、瓶の代わりにペットボトルに醬油を詰めて出荷することを検討するようになります。ペットボトルは瓶のように洗う必要がないため、醬油を詰めてしまえば終わりです。また、もろ味を搾る機械が使えなくなった場合には、生の醬油を購入することを検討すると思います。さらに、釜や室(むろ)が破損して使えなくなった場合には、釜や室を修理することはなく、しんどい思いをする醬油作りをやめることになるのではないかと思います。」

 ウ 機械を大事に使う

 「麴を作るために、小麦を煎る機械や大豆を蒸す機械を使っていますが、当社で使用している大豆を蒸す機械は、鉄製の釜です(写真2-2-11参照)。鉄に比べてステンレスの方がさびにくいということで、ほとんどの醸造用機械はステンレス製となっていますが、当社では厚さが9mmもある鉄製の大きな釜を使用しています。当社のような大きな鉄釜は今では非常に珍しくなっています。昭和45年(1970年)から使用していますが、今でも十分に使うことができています。
 昭和30年代、40年代と比べると、現在、機械は基本的に新しくなっていますが、逆に、どんどんシンプルにして、昔に戻っていくことも大切なのではないかと私(Cさん)は思っています。当社の鉄釜を見た業者の方からは、『ものすごく物持ちがいいですね。』と言われます。機械なので必ず寿命は来るのですが、それをどのように使うかが大事で、私は、メンテナンスをしながら、大切に使っていきたいと思っています。
 最近の機械と比べると、昔の機械の方が長持ちするのではないかと思っています。メンテナンスのしやすさや耐久性もそうですが、最近の機械は壊れやすくなっていると感じています。私は、最新の設備を導入することにより、そこで働いている人が楽になり、仕事の効率も上がってより良い製品ができるのであれば、設備投資を行ってもよいと思っています。しかし、昔ながらの機械でも十分なのであれば、あえて最新の設備を導入するのではなく、昔のやり方のままでもよいのではないかと考えています。」

 エ 良い麴を作る

 「当社の麴室では、麴を作るのに機械を使って風を送り、品温の管理を行っています(写真2-2-12参照)。そのため、当社の醬油を天然醸造や長期熟成、無添加ということはできますが、手作り醬油とはいえません。ただし、手作りだから美味しいものができるかというのは別問題だと考えています。美味しい醬油を製造するためにはどうすればよいか考えたとき、機械を使い温度管理をして麴を作った方が酵素力の強い麴ができるのであれば、そちらの方がよいと私(Cさん)は考えています。」

 オ 角タンクでの醬油作り

 「私(Cさん)の家には100年くらい使っている杉桶が残っていますが、全ての醬油を杉桶で作っているわけではありません。丸大豆から作る醬油は、全て杉桶で仕込んでいますが、脱脂加工大豆という大豆を使って作る醬油の中には、コンクリート製の角タンクで作っているものもあります(写真2-2-13参照)。醬油の仕込みを行うのは、12月から5月ころまでです。タンクは食塩水で掃除を行っており、醬油は塩に守られています。
 国内で製造されている醬油の7、8割くらいは、脱脂加工大豆を原料としていると言われています。日本で使われている大豆のうち、食用として使われているのは3割くらいで、残りは食用油を搾油するために使われています。その油が主にサラダ油となり、油を搾った残りかすが脱脂加工大豆と呼ばれているものです。」

 カ 木桶での醬油作り

 「ステンレス製やFRP製、ホーロー製のタンクであれば20万円くらいで買うことができますが、今、木桶を買おうとすると、普通の軽自動車が買えるくらいの金額がかかります(写真2-2-14参照)。普通の経営者であれば、木桶を使って醬油を製造する必要はないと考えるのではないかと私(Cさん)は思います。また、当社では味噌を木桶では作っていません。味噌は口の中に直接入るので、味噌の中に木くずなどが入っていたら大変だからです。
 木桶は価格が高いだけでなく、扱いづらいのです。メンテナンスも大変ですが、特に大変なのが掃除です。ステンレス製やFRP製、ホーロー製のタンクであれば表面がつるつるになるため、クリーンリネスがとても楽です。しかし、木製の桶や樽は掃除が大変で、完全に無菌状態にするのは非常に難しいのです。
 木桶を使うメリットとしては、良い状態の麴菌が付着すると、そこに醬油を仕込んだときに美味しい醬油ができやすいことです。そのため、麴菌の管理がきちんとできるのであれば木桶を使ってもよいと考えています。クリーンリネスのことだけを考えれば、ステンレス製やFRP製、ホーロー製の桶を使った方が絶対に良いと思います。木桶で作った味噌や醬油、お酒が美味しいと一生懸命に探っている人たちはいますが、そのことは研究でもなかなか証明されていません。しかし、『当社は杉桶で醬油を作っています。』と言うと、人々の五感に訴える部分があるため、マーケティングのために必要という面もあるのではないかと考えています。
 私たちはずっと木桶を使い続けてきました。当社の醬油は木桶で作っているので美味しいと評価していただいているということは、木桶の使い方が間違っておらず、雑菌が生えないような仕事ができているということではないかと思っています。作られてから1、2年目の木桶で作った醬油にはスギの木の香りが付いていて、それが気になりましたが、100年使っている木桶で作った醬油と、作られてから1、2年目の木桶で作った醬油のどちらが美味しいか問われると、私は100年使っている木桶で作った醬油を選びます。
 これは聞いた話なのですが、まず、新品の状態で酒屋さんが木桶を買って、20年から30年くらい使うそうです。その間に、木の中に含まれている油分などいろいろなものが出てきて、酒の醸造には向かなくなります。その木桶を醬油・味噌の醸造業者が譲り受けて使い、そこでも使えなくなったものを漬物屋さんが使うそうです。漬物屋さんでは、少々水が漏れようが漬物を漬けることができるからだと聞きました。その話が本当かどうか確かではありませんが、そのようにサイクルしていると何かの本でも読んだことがあります。当社が新しい木桶を買ったとき、実際に木桶を作っている人にも、『新品の桶を醬油屋さんが買うことはめったにない。』と言われました。現在、世間で使われている古い木桶のほとんどが使い始めてから100年くらい経っていて、当社にも100年くらい使っている木桶が25本くらいあります(写真2-2-15参照)。木桶の寿命は木の寿命分くらいしかないので、もうそろそろ入れ替わる時期ではないかと思います。」

 キ 味噌作り

 「当社では味噌の醸造も行っています。麦味噌の場合、麴の比率が非常に高いので、熟成にはそれほど時間がかからず、半年ほどで出来上がります。麦味噌は毎月仕込みをしています。冬場に仕込んだものが夏場に出来上がり、逆に夏場に仕込んだものは冬場に出来上がります。夏場に仕込むと、気温が高いので、熟成するまでの積算温度も高くなってしまいます。私(Cさん)は、味噌の熟成は積算温度で決定すると考えているため、1年を通じて室温がほぼ30℃前後に保たれている部屋で味噌を熟成させることにしています。そこで発酵熟成をさせて出来上がったものは常温の場所に置いておき、その後、包装して商品化しています。」

 ク 父との考えの違い

 「当社では、『巽(たつみ)』、『たつみ』、『タツミ』という3種類の醬油を製造しています。『巽』の原料は大豆と小麦、塩、麴菌、水で、『たつみ』の原料は脱脂加工大豆と小麦、塩、麴菌、水で、どちらも添加物を使用していませんが、『タツミ』は添加物を使用しています(写真2-2-16参照)。これは私(Cさん)と父の考え方の違いでもあるのですが、父は科学的知識に基づいて醬油を作り、美味しければよいと考えています。そのため、添加物を使用しても構わないという考え方ですが、私は添加物が体に良いものなのか、と考えます。なるべく自然に近いものの方が体に良いと考え、添加物を加えない醬油を作りたいという思いで帰ってきました。
 高度成長期には安くて美味しいものが消費者に好まれたので、父の考え方でも良かったと思います。しかし、これからの時代はそうではないと思っています。私たちは、価格の安さだけではなく、本物と呼ばれる醬油を作っていきたいのです。ほかの醬油よりも何か秀でるものがあればいいと思います。私たちの醬油の優れている点をきちんとPRして、美味しいと認めてもらうことができればお客さんが来てくれます。『愛媛には美味しい巽醬油があるから』と買いに来てもらえたら、これほどうれしいことはありません。」

 ケ 大切にしていること

 「醬油・味噌の醸造において、私(Cさん)は今も昔も変わらず、自分たちで原料を吟味し、自分たちで麴を作り、美味しい醬油を作り上げるということを大切にしてやってきました。私たちは本物の醬油を提供できるように、良い麴を作り、それをじっくりと熟成させ、丁寧にもろ味を搾るという本物の作り方をできるだけ守っていきたいと考えています(写真2-2-17参照)。美味しい醬油を作ることを考えたとき、原料に行き着くのではないかと思います。どこで作られた、どのような原料を使うかということに敏感になって仕入れを行っています。それを突き詰めていくと、どの農家の方と付き合うかということになるのではないかと思います。その原料をどこから取り寄せているのかと問われたときに、作っている農家の方が分かっているものと、国内産であってもどこで作られたのか分からないものとでは意味合いが違ってくるのではないかと思います。私は作っている人の顔が見える醬油を作っていきたいと考えています。
 私は手作りであれば全て良いとは思っていません。手作りだから美味しいというのは幻想だと思っています。また、無農薬の野菜が美味しいかというと、必ずしもそうは思っていません。農薬を使用していても美味しい野菜を作っている農家の方はたくさんいるので、大事なのはその使い方だと考えています。醬油についても、結局は、醸造業者がどのような考え方で醬油作りに取り組もうとしているか、また、どのような技術を持ち、どのような方法で作っていくかによって、出来上がる製品も変わってくると思っています。」


参考文献
・ 大洲市『大洲市誌写真版』1974
・ 旺文社『愛媛県風土記』1991
・ 角川書店『角川日本地名大辞典38愛媛県』1991
・ 大洲市『増補改訂 大洲市誌(下巻)』1996

図表2-2-2 全国の醬油製造企業・工場数の推移

図表2-2-2 全国の醬油製造企業・工場数の推移

『しょうゆ情報センターホームページ 統計資料』から作成

写真2-2-10 現在の梶田商店

写真2-2-10 現在の梶田商店

令和2年7月撮影

写真2-2-11 大豆を蒸す機械

写真2-2-11 大豆を蒸す機械

令和2年7月撮影

写真2-2-12 麴室

写真2-2-12 麴室

令和2年7月撮影

写真2-2-13 角タンク

写真2-2-13 角タンク

令和2年7月撮影

写真2-2-14 木桶

写真2-2-14 木桶

令和2年7月撮影

写真2-2-15 100年使用の杉桶

写真2-2-15 100年使用の杉桶

令和2年7月撮影

写真2-2-16 梶田商店の醬油

写真2-2-16 梶田商店の醬油

令和2年12月撮影

写真2-2-17 もろ味を搾る

写真2-2-17 もろ味を搾る

令和2年7月撮影