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えひめ、昭和の記憶 ふるさとのくらしと産業19ー大洲市①―(令和2年度「ふるさと愛媛学」普及推進事業)

第1節 新谷の町並み

 現在の新谷の町並みは、寛永19年(1642年)に大洲藩からの分家により、現在の新谷小学校を中心とした地に陣屋が築かれたことに始まる。矢落川の水害を考慮して、右岸の北側の山裾に陣屋が築かれ、その南側に家老屋敷、御用人屋敷、中小姓屋敷と配していき、その南側の町人屋敷との間に水路を設け境としていた。その水路の南側の町人屋敷は、東西に延びる遍路道でもある大洲街道を挟んで形成され、その町割りは現在もよく残されている。陣屋から矢落川の方へ南北に真っすぐ延びる道と大洲街道との交差点が札の辻と呼ばれていたことからも、この界隈(かいわい)が町並みの中心地であったことがうかがわれる。
 昭和42年(1967年)に矢落川の左岸を国道56号が通るようになったが、矢落川の堤防を利用した道であったため、商店の移動もさほどなく、町並みへの影響は少なかった。
 新谷の町並みや人々のくらしについて、Aさん(昭和5年生まれ)、Bさん(昭和8年生まれ)、Cさん(昭和13年生まれ)、Dさん(昭和16年生まれ)、Eさん(昭和19年生まれ)、Fさん(昭和19年生まれ)、Gさん(昭和25年生まれ)、Hさん(昭和29年生まれ)から、それぞれ話を聞いた。