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伊予の遍路道(平成13年度)

(1)本書で取り上げる遍路道標

 遍路道には様々な遍路道標が建立されている。遍路道は1本の直線的な道ではなく、他の多くの道と交差し、上り下りや右折左折を繰り返す複雑多岐にわたる道である。この複雑な道を遍路が迷うことなく進むために、遍路道の要所に立てられていったのが遍路道標である。現在愛媛県内で確認されている最古のものは、松山市恵原町の土用部(どようぶ)池堤防下に立つ貞享2年(1685年)の道標であり、これは四国中でも2番目に古いものとされている。遍路道をたどるに際しては、こういった遍路道標の存在を切り離して考えるわけにはいかない。
 本書では、前述の遍路道に関連する昭和20年(1945年)以前の建立と考えられる遍路道標で、かつ現在確認できる遍路道標を取り上げることとし、それらを本文中に叙述するとともに、資料編の遍路道標一覧・遍路道標写真としてまとめた。なお、本書で扱う遍路道標とは遍路の道案内の役割を果たす標石を指し、丁石(札所まで何丁あるかの距離を示した標石)・地蔵道標(地蔵に道案内が刻まれたもの)をも含めた。松山札の辻からの距離を示す里程石や金毘羅道標など直接遍路に関係しない道標については、本文内で触れた場合はあるが、資料編の遍路道標一覧・遍路道標写真の中には入れなかった。また、霊場寺院の近辺に連続して設置された一連の丁石については、個別に取り上げた場合あまりに煩雑になるため、同様に本文内で概略を記すに留め、資料編の遍路道標一覧・遍路道標写真には入れなかった。
 道標の分類については、資料1の遍路道標一覧に、所在市町村別・建立年代別・建立者別の分類を付記した。その他にも様々な分類が可能であろうが、本書ではそこまでは踏み込んでいない。詳しくは、『今治の道しるべと句碑』(今治市教育委員会編 1992)・川崎清規氏の「へんろ道とその標石」(ふるさと久万編集委員会編『ふるさと久万 第38号』所収 1998)・『松山の道しるべ』(松山市教育委員会編 1999)などを参照されたい。