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伊予の遍路道(平成13年度)

1 遍路道について

 遍路道は、長い歴史を経て形成された信仰の道である。しかし、遍路道に関係する資料は決して多いとはいえず、その成立時期や経路を知るのは容易なことではない。
 平成12年度の遍路文化の学術整理報告書『四国遍路のあゆみ』で紹介したように、遍路道の原形として一つの手掛かりとなるのは、古代から様々な修行者たちが四国を巡るために歩いた道であろう。平安時代末期にまとめられた『今昔物語』や『梁塵秘抄(りょうじんひしょう)』には、四国の海辺を廻(まわ)る修行道についての記述が見出される。その後、室町時代に遍路の形態が整えられていくとともに徐々に遍路道の形成も進み、多くの一般庶民が四国遍路を行うようになった江戸時代に至って一応の確立を見たと考えられる。真念の『四国邊路道指南(みちしるべ)』(貞享4年〔1687年〕)に示された遍路道が、その整えられた一つの姿だということができよう。しかしそれ以降も、遍路道は、その時々の交通事情などにより様々な変遷を重ね続けて今日に至っているのである。
 本書では、太平洋戦争が終わる昭和20年(1945年)を一応の区切りとして、それ以前の歩き遍路が利用した愛媛県内の主な遍路道を取り上げた。県内の遍路道は、まず高知県から松尾峠を越えて一本松町に入り、四十番観自在寺から六十五番三角寺までの26か寺の札所を中心とした霊場を廻(まわ)った後に、川之江市の境目峠を越えて徳島県に続いていく道である。この遍路道の細かな推定にあたっては、過去の遍路研究書や古地図などの資料の整理を中心とし、あわせて現地の遍路道標の踏査、地域の研究者や古老からの聞き取りなども実施した。