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えひめ、昭和の記憶 ふるさとのくらしと産業17ー宇和島市①―(令和元年度「ふるさと愛媛学」普及推進事業)

第1節 三間米と人々のくらし

 愛媛県内でも有数の稲作地帯として知られる三間盆地で作られる良質な米は、古来「三間米」と呼ばれており、主要農作物として農家の人々の生活を支えてきた。戦後も米は三間における主要農作物であり、大規模な圃(ほ)場整備事業を実施し、農業機械の普及率の高い稲作地帯に成長していった。近年は、米輸入の部分自由化や食糧管理制度の見直しなど、米をめぐる社会情勢が揺れ動く中、特別栽培米など高品質米の生産に意欲的に取り組んでいる。
 一方、農家の副業として、迫目地区の岡本景光氏を先駆者として明治から大正にかけて養蚕が盛んとなったが、昭和初期の恐慌により下火となった(写真2-1-1参照)。戦後になって再び盛んになった養蚕は、最盛期の昭和40年代には250戸を超える農家が行っていたが、平成の初めころに衰退し、三間町の平成5年度の農業生産状況によると、養蚕農家は10戸となっている。また、米作農家1,065戸に次いで多いのがタケノコ農家の281戸であり、タケノコ栽培が主な副業の一つとなっていることが分かる。
 本節では、終戦後から昭和30年代、40年代を中心とした時代の旧三間町における米作りについて、Aさん(昭和4年生まれ)、Bさん(昭和17年生まれ)、Cさん(昭和19年生まれ)から、また、米作りの副業としての養蚕について、Bさん、Cさんから、タケノコ栽培について、Bさんから、それぞれ話を聞いた。

写真2-1-1 岡本家長屋門(旧養蚕室)

写真2-1-1 岡本家長屋門(旧養蚕室)

令和元年9月撮影