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えひめ、昭和の記憶 ふるさとのくらしと産業13-西予市①-(平成29年度「ふるさと愛媛学」普及推進事業)

第3節 三瓶町の産業と人々のくらし

 旧三瓶(みかめ)町の柑橘(かんきつ)栽培における特徴的な品種として、ニューサンマ(ニューサマーオレンジ、日向夏のこと)が挙げられる。ニューサンマは、江戸時代後期の文政年間(1818年〜1830年)に日向国(宮崎県)で発見された。旧三瓶町への導入の歴史は古く、明治末ころから大正初めころまで遡るとされ、導入後は、垣生(はぶ)、朝立(あさだつ)、蔵貫(くらぬき)の各地区で少量が栽培されていた程度であり、注目されるような品種ではなかった。昭和になってからは栽培面積が増加したものの、昭和40年代までは農協青果部の取扱数量は数十tと低迷を続けていたが、昭和50年代に入ってからは、単価が上昇するとともに、その取扱量が100tを超え、平成5年(1993年)には564tにまで達した(図表2-3-1参照)。
 一方、旧三瓶町の基幹産業の一つである漁業では、近海漁業として地引き網や四ツ張り網が古くから行われていたが、昭和40年(1965年)ころから巻網への転換が図られたことにより、昭和45年(1970年)には姿を消した。また、遠海遠洋漁業では、長早(ながはや)の突棒船が明治の末ころから対馬近海でのカジキマグロ漁を行っていたが、同海域での漁が不振となったことから、大正13年(1924年)から台湾近海での漁を開始した。昭和20年(1945年)に終戦を迎えると、東シナ海や南西諸島近海、三陸沖等へと漁場の拡大を図り、漁獲高も増加したが、昭和46年(1971年)ころからタンカー船のブーム到来に合わせて、次第に衰退していった(図表2-3-2参照)。周木(しゅうき)を中心とするサバ撥(はね)釣りでは、戦後になって済州(チェジュ)島(韓国)近海の海域で操業したことで漁獲高を増やした。昭和28年(1953年)には、韓国が李承晩ラインを宣言し、昭和30年(1955年)には拿(だ)捕される事件が起きたため、漁場を東シナ海に変更せざるを得なくなったが、昭和30年代の鋼船への転換等によりサバ船ブームが起こった。しかし、このサバ撥釣りも昭和40年代半ばから衰退してきたため、昭和47年(1972年)からニュージーランド近海でのイカ漁の操業が開始された。
 本節では、垣生地区におけるニューサマーオレンジの栽培と、柑橘農家の日々のくらしについて、Aさん(昭和24年生まれ)から、ニュージーランドやフォークランド、ペルー沖での遠洋イカ漁についてBさん(昭和19年生まれ)、Cさん(昭和20年生まれ)から、それぞれ話を聞いた。

図表2-3-1 ニューサンマの取扱量の推移

図表2-3-1 ニューサンマの取扱量の推移

『三瓶町農業史 下巻(柑橘編)』により作成。

図表2-3-2 突棒漁業の漁獲高推移

図表2-3-2 突棒漁業の漁獲高推移

『三瓶町誌』により作成。