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えひめ、昭和の記憶 ふるさとのくらしと産業12-松前町ー(平成29年度「ふるさと愛媛学」普及推進事業)

第1節 道や橋を行き交う人々

 旧大洲街道は、松山市札の辻から、出合で重信川を渡り、筒井(つつい)から町内を通って牛飼ヶ原(うしこがはら)のマツ並木を抜け、旧郡中(ぐんちゅう)町へ入り、犬寄(いぬよせ)峠を越えて大洲に至る道路であり、明治時代には現在の松前町の地域における最重要道路として位置付けられていた。
 その後、国道第51号線となり、昭和37年(1962年)には一級国道56号、昭和40年(1965年)には一般国道56号と変遷してきたが、道路整備が進んだ現在でも、主要地方道や一般県道として、地域の人々にとっての重要な道路として変わらず利用されている。
 また、松山へと続く道を利用する人々は、重信川にさしかかると、渡しを利用して渡河しなければならず、河口部から見ると、塩屋(しおや)渡し、北川原(きたがわら)(三津(みつ))渡し、出合(であい)渡し、大間(だいま)渡し、中川原(なかがわら)渡しなどがあった。しかし、明治44年(1911年)の出合橋、昭和6年(1931年)の中川原橋、昭和31年(1956年)の河口大橋の架設により、対岸の松山方面への行き来は容易となり、渡しはその役割を終えていった。
 本節では、旧大洲街道(特に夫婦橋(めおとばし)から南側の地域)の様子や、街道沿いでのくらしについて、Aさん(大正15年生まれ)から、重信川河口付近の渡しや橋、北川原地区でのくらしについてBさん(昭和20年生まれ)から、それぞれ話を聞いた。