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えひめ、昭和の記憶 ふるさとのくらしと産業11-鬼北町-(平成28年度「ふるさと愛媛学」普及推進事業)

第2節 鉱山の記憶と人々のくらし

 明治時代から昭和30年代にかけて、旧日吉(ひよし)村の産業振興の礎となった場所があった。それが父野川(ちちのかわ)富母里(とんもり)水銀鉱山と上鍵山(かみかぎやま)のマンガン鉱山である。ともに明治時代に本格的な操業を開始し、現場周辺でくらす人々が、採掘や選鉱などの労働に従事して収入を得ていた。父野川富母里水銀鉱山は昭和27年(1952年)に、上鍵山のマンガン鉱山は昭和38年(1963年)に閉山したが、その記憶は地域の人々に語り伝えられている。
 本節では、昭和20年代を中心に、それぞれの鉱山での仕事の様子や人々のくらしについて、地域の方々から話を聞いた。