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四国遍路のあゆみ(平成12年度)

(2)遍路びとの心情

 アンケート結果からも分かるように、遍路に出るいきさつや心情は千差万別であり、その人々の心情を類型化してまとめることは不可能である。
 この度の調査の過程で、愛媛県内の札所や遍路道などで出会った徒歩遍路に対して、遍路に出たいきさつやその心情を直接、聴取した。その中で、5人の遍路からの話をまとめてみた。

 ア 長野県 61歳 男性(採録地 六十四番前神寺門前)

 四国遍路は、歩いて回るのが本来の遍路で、車などで回るのは観光だという話を聞くが、その考え方は私は間違っていると思う。車でよし、歩いてよし、各札所を回ることによって、そこから何らかのものを感じ取ることだと思う。ただ、納経帳の宝印(納経帳に押印する宝珠形の印)の数で何度回ったかということは自慢すべきことではない。
 私の出身地は八ヶ岳の麓(ふもと)で寒い所だが、人には言えない悲しみをもって四国を回らせてもらっている。回ることによって、自分の体力や気力の限界を感じながら、身を投げ出して巡拝することにより、お大師さんから何万分の1かの徳をもらえば、それでいいと思っている。
 今年(平成12年)の冬は、愛媛県の西南地方も雪が多かったが、その雪の中を一軒一軒、鈴を鳴らして托鉢(たくはつ)して回るのは、金品を目的にしているのではなく、自分の修行として回っている。最近は、托鉢そのものを知らない人がいっぱいおり、南予のある会社に托鉢に行った折、責任ある立場の人が若い事務員を集めて、「おい、今どきめずらしい者が来たぞ」と言って、じろじろさげすみの目で見られたこともあった。また、玄関の戸を開けた途端、私の姿を見て、「うちは結構です」と言って、戸を荒っぽく閉められたこともある。修行で回っていることは理解してもらえないことが多い。それが現実の世の中だと思っているが、お金をもらいたさに歩いているとしか最近は理解してもらえない場合もある。
 それでも、やさしい人情に触れることもある。徳島県宍喰町の農家に托鉢に行った折、広い土間の玄関を足の不自由なおばあさんが壁につかまり、伝え歩きしながら出てきて、私のお鉢の中に100円玉を入れてもらった。その方が手を合わされたとき、これが本当に人間の情なんだと思って、涙が出た。最近は己さえよければ、他人には迷惑のかけ放題の人が多い世の中で、温かい人情に触れて大変有り難く思った。
 私はこの1年間、布団では一度も寝ていない。新聞・テレビも見たこともない状態でよく思うことは、この四国遍路の仏の世界をうわついた心で回ることはいけないことだと思っている。自分に厳しく、お金を持たないで回ることを自分に課している。お金を持っていると、今日は雨が降るから托鉢はやめようかと、修行がおろそかになる。ある時、豪華な宿に泊まりながら巡拝している人と親しくなり、野宿を共にしたことがある。托鉢も経験してみたいということであったが、実際はできなかった。懐にお金をいっぱい持っている人が、人家を回って施しを受けることなどできるはずがないと思っていた。本を読んで四国遍路のことはよく知っていても、修行するには心構えがいるし、実行したものでないと托鉢の修行の厳しさは分からない。
 世の中の皆さんは幸せな人が多いと思う。雨露をしのぐ家があり、温かいご飯を食べてテレビを見る。こんな幸せなことが他にあるでしょうか。これが本当の幸せなのだが、これを当たり前と思ってその有り難みを忘れている。しかも、平穏無事に1日が過ごせることに感謝しなければならないのに、それをみんな忘れて自分の欲望を満たすことだけに夢中になり、人に感謝する心をなくしている。
 私は遍路しながら、毎日、いろいろな人に出会って話をするが、健康で過ごせることに感謝しているし、人を責める心は全くない心境になっている。修行をしながら、命の尊さ、お金の大切さを知ったのは、凍え死にしそうな雪の中を無心に托鉢を行ったときである。何度かこのような厳しい経験を積むと、生きていることの尊さがよく分かる。
 私のような歩き遍路には関係のないことであるが、仏の道を観光として売り出すことには疑問が残る。聖地であるはずの霊場を参拝する場合は別だが、観光地としての霊場は1回限りの見せ物で終わり、長続きしないのではないかと思う。
 私は四国霊場を回ったあと、高野山を経て熊野山に入るつもりである。その後は、ネパール、パキスタンを経て最終的にはインドで一生を終えたいと考えている。

 イ 大阪府 55歳 男性(採録地 五十六番泰山寺境内)

 私は今回、100日間の計画で四国霊場を歩きながら巡拝している。一度目はバイクを運転し、野宿をしながら回っていた。ところが半分以上回った段階で、JRの無人駅構内に泊まった折に納経帳を盗まれてしまった。それで、もう一度徳島までバイクで来て、今度は一番札所から歩き通している。
 歩き遍路をしていると、お接待を受けて有り難いこともあるが、逆に腹の立つことも多い。特に宿坊の宿泊代がホテル並みに高く、私などのように野宿をしながら歩いている者にとっては1週間の生活費に相当する。私のような歩き遍路にとっては、施設の立派なお寺の有り難みは感じなく、むしろ無縁になってくる気がする。立派な宿坊はバスやタクシーで回っている人々の施設で、昔から続いている歩き遍路のための善根宿は大きな宿坊が建つことによって無くなりつつある。
 私のような歩き遍路にとっては、遍路宿さえあれば農家などで野菜の接待を受けたりしながら歩けば、結構それで回ることができるのだが、それが思うようにいかなくなっている。ある時、野宿しながら自炊のために焚(たき)火をしていると、近所から通報されて警察から注意を受けることもあった。JR無人駅では、半ば黙認で宿泊させてもらっている。歩き遍路の中にもそれぞれの歩くペースがあり、お互いがいつも同じペースで回っているわけではない。私の場合は体力がないので、雨が降れば何日でもその場を動かないことにしている。歩き遍路同士での、宿に関する情報交換は大切で、あの地区には善根宿がある、あの駅は泊まれるなど、お互いに知らせ合っている。
 歩き遍路をしながら感じる不平・不満はいっぱいあるが、言っても仕方のないことなので言わないことにしている。今回、歩いてみて、その厳しさも知り、自分なりに得るものもあった。ある善根宿では、体調をくずして10日間もお世話になった後、元気に巡拝している歩き遍路にも出会った。私の経験でも、次の札所の納経代もなくなって困っている折に、ある農家で食事を頂き、お金の接待まで受けて、涙を流して感謝したこともある。その農家で頂いたメロンの味は一生忘れないと思う。お接待を受けられず食料が何もない時には、塩をなめ、水だけで済ませることもある。歩き遍路で一番辛いのは、夏の暑さと空腹である。携帯ラジオも故障してから、世の中の動きは全く分からない。
 しかし、今の歩き遍路が自分の性には一番合っているし、幸せだと思う。遍路をしながら、地域の人々の温かい心に触れられて感謝している。もしかして私は、この四国霊場の巡拝を終えても地元には帰らず、まだ四国遍路を歩き続けるかもしれない。霊場とは関係なく、このような気持ちになったのはお大師さまのご利益かと思っている。俗世にまみれて生活することができなくなったような気がする。

 ウ 高知県 21歳 男性(採録地 六十四番前神寺境内)

 大学が夏休みなので、実家(高知県野市町)の近くの二十八番大日寺で遍路装束を調達し、回り始めて約半分の霊場を巡ったことになる。
 私が子供のころに祖父がバスで巡拝しており、高校時代から一人旅が好きだったので、今回、テントをかついで回ることにした。計画では、歩きながら自分の人生のことなどいろいろ考えようと思っていたが、実際に歩き始めてみると何も考えないで、ただ、ひたすら歩いているだけである。標識や次の札所のことなどをぼんやり考えているだけで、何も考えないのがいいのかもしれないと思っている。素足に包帯を巻いて靴下をはき、地下足袋で回っているが、夕方になると足がむくんでくる。今回の予算は、納経代と食事代を含めて約10万円で済ませようと思ったが、暑さでジュース代などの出費がかさんだ。公園の水道水などで洗濯しながらここまでやってきたが、歩くことは予想以上にしんどくつらいこともある。逆に、お遍路同士や地域の方と対話ができるのはうれしいことである。相手も私のお遍路姿を見て話しかけてくるし、こちらもお遍路になりきって心安くなり、しゃべりやすいように思う。 40、50歳代のお遍路が多いので、その人々との対話の中から得るものも多いように思う。また、勤務先でリストラに遭い、巡拝している人にも出会ったが、皆さん予想以上に明るい気持ちで巡拝している人が多い。
 私は、この六十四番前神寺(写真2-2-12)に来るまでに、数えきれないほどの接待を受けた。ジュースやお金を頂いたり、車にも二度乗せてもらった。最初はこんなことをしてもらっていいのかとびっくりした。歩き遍路をしていて、困ったことや不平を言いだしたら、きりがないと思う。自分が標識を見落として道に迷ったりすることは仕方のないことだと思う。車の往来が多く、特に大型トラックとすれ違うときには風圧で菅笠が飛ばされそうになる。私は山道を歩く方が好きで、特に三坂峠から四十六番浄瑠璃寺までの昔の遍路道は歩いていて気持ちがよかった。
 最初は旅行気分で初めの何か寺かを回っていたが、そのうち自然に般若心経を唱えるようになった。私の信心が浅いというわけではないが、まだお大師さまと一緒に歩いているという気分にはなれない。しかし、四国八十八ヶ所霊場の半分を回ってみると、少しはお大師さまのことを考えるようになったと思う。若い人にはご利益なんてことは縁遠いと思うが、不平不満を言ってはいけないと思いつつ、やはり言っている。しかし、それは言ってはいけないことだと気付くようになった。
 今まで歩いてきてみて感じることは、この巡拝を終わった後も、また機会を見つけて続けたい心境になっている。若い間に一度、巡拝しておいてよかったと思っている。

 工 兵庫県 32歳 男性(採録地 内子町遍路道にて)

 私は遍路道を中心に歩いている。8月9日に神戸を出発し、一番霊山寺で装束を整え、回り始めて22日目になる。「へんろみち保存協力会」編集の『四国遍路ひとり歩き同行二人』の地図を頼りに歩いているが、今まで迷うこともなく、ここまでやって来た。途中で車に乗らないかとのお接待を受けるが、断って自分のペースで歩いている。
 旅のきっかけは、『四国八十八ヶ所ガイジン夏遍路(⑲)』を読み、興味をもった。その後時間ができたので巡拝している。旅に出る前は関係書物で予習し、インターネットのホームページなどにも詳しい記事が出ているので参考にした。
 出発前は信仰のことなど全く考えていなかったが、巡拝を重ねて勉強させてもらっており、現在は般若心経を唱えている。道中にはいろいろな人が歩いており、各宿で話題を交換する機会がある。学生さんも多いし、定年をきっかけに巡拝を始めた人、また1年間もかけて遍路道をぐるぐる回っている人など様々である。今回の巡拝には30万円の予算で、簡易な遍路宿に宿泊しながら旅を続けている。この内子町大瀬地区は、神戸市と違って自然が豊かで、川もきれいなので心身の休養になる。今までは計画どおりに歩いて来たが、昨日、宇和町の四十三番明石寺から大洲市の番外霊場八番永徳寺(十夜ケ橋)までと、今日の十夜ケ橋から久万町の四十四番大宝寺までは道中が長く大変である。
 大きな霊場が多いなかで、四十二番佛木寺などは境内がきれいに整備されており、印象に残っている。あるお寺では宿泊の接待を受けたが、計画どおりに回りたいのでお断りした。今まで歩いてきて、出発前と変わった点は、これからの人生は気長に、そして人に優しくなろうかなと思うようになった。道中、車がビュンビュン通る中を歩いていると、そんな気がしてきた。疲れて目的の札所にたどり着き、読経と納経を済ませるとホッとする。人それぞれの巡拝の方法があると思うが、私の場合は遍路道を中心に自分のペースで歩き通すつもりである。

 オ アメリカ人 32歳 女性(採録地 北条市)

 私は昨年(平成11年)の春休みから今年の春休みにかけて、休日を利用して45日間かけて歩き遍路を経験しました。八幡浜市在住の友人と二人で回りました。
 日本にいる間に、四国霊場の歩き遍路を経験したかったので計画しましたが、本当のきっかけは、以前に、ある事故で命を落としかけたことがあり、神様(仏様)にお礼が言いたかったのです。歩き遍路をしていると、周辺の人々からたくさんのお接待を受けました。遍路装束で巡拝していると、お金や飲み物のほかに宿泊所まで提供してもらったりしたので、45日間を25万円の費用で済ませることができました。
 最初の9日間は、テントや食料品などをなんでも背負い込んで遍路に出ましたが、荷物が重くて目的どおりに歩くことができず、足を怪我したり、無駄に体力を消耗してしまいました。テントを持参すると、霊場やその周辺でそれを張る場所を確保するのが大変でした。自転車置き場や橋の下で野宿をしたこともあります。ある時、橋の下でテントを張っていると、地元の人が今夜は川が増水して危ないからといって、宿の接待をしてもらったこともあります。それで、その後の区切り打ちからはテントや自炊道具は持たないで巡拝しました。遍路道周辺の民家や霊場が宿泊の接待をしてくれることを知ったのは、大きな喜びでした。
 四国八十八ヶ所霊場の遍路道を歩き続けていると、トンネルの中が暗くて道幅が狭く、車とすれ違う際に危険を感じることが何度もありました。また、道路沿いにトイレや休憩所がなくて困って、仕方なく喫茶店に入ると、外国人だからという理由で断られたこともありました。
 それでも苦労しながら歩いていると、遍路仲間と親しくなっておしゃべりしたり、地元の人々のお接待や親切に触れたときはとてもうれしい思いをしました。冬の寒い時や、土砂降りの雨の中を歩く時は、なぜこんな歩き遍路をしているのだろうと思ったこともあります。また、道に何度も迷って、余分に歩いてしまったこともありました。その時、頼りになったのが、遍路道標(写真2-2-13)でした。
 私が歩く際には、弘法大師とキリストと一緒に歩いていると思っています。歩きながら自分のことを考えたり、家族のことも思い出したりしています。そして、亡くなった叔母のことを一番思い出していました。霊場では本堂と大師堂で般若心経を唱えながら巡拝しますが、苦労してたどり着いた霊場の大師堂では般若心経を唱えた後、黒人霊歌(アメージンググレイツやアベマリアなど)を自然に歌っていました。英語の歌詞の方がその時の感情が素直に表現できるから歌っていたのだと思います。
 千数百kmの遍路道を仕事の合間に2年間もかけて歩き通しましたが、歩くことによって日ごろ味わうことのできない充実した気分になれました。この体験は私にとって大変貴重なもので、何度でも歩きたいと思っています。例えば、未来の夫と一緒に、『逆打ち』で歩き通したいと思っています。また、定年で仕事をやめたときにも歩きたいと思っています。四国八十八ヶ所霊場の遍路道はそれほどの魅力ある道です。

<注>
①建設省計画局地域計画官・建設省四国地方建設局企画部 『四国のみち保全整備計画調査報告書要約』P5 1980
②前出注① P5
③伊予鉄観光開発㈱月刊新聞 『へんろ』109号 1993
④前出注③
⑤早稲田大学道空間研究会編 『四国遍路と遍路道に関する意識調査』P15 1997
⑥前出注⑤ P16
⑦前出注⑤ P20
⑧前出注⑤ P59
⑨前出注⑤ P59
⑩前出注⑤ P24
⑪前出注⑤ P33
⑫前出注⑤ P73
⑬前出注⑤ P93
⑭前出注⑤ P94
⑮前出注⑤ P99
⑯前出注⑤ P86
⑰前出注⑤ P86
⑱前出注⑤ P86
⑲『四国八十八ケ所ガイジン夏遍路』(クレイグ・マクラクラ著)

写真2-2-12 巡拝風景 

写真2-2-12 巡拝風景 

六十四番前神寺にて。平成12年6月撮影

写真2-2-13 遍路道標

写真2-2-13 遍路道標

三坂峠より四十六番浄瑠璃寺までの遍路道で。平成13年1月撮影