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四国遍路のあゆみ(平成12年度)

(2)遍路道について③

 (イ)建設省ルートと遍路道

 次に「四国のみち」のもう一つの「建設省ルート」は、ほとんど遍路道と重複して巨大なループをなし、都市の中での街路を含めて、四国における歩く空間としての道であり、多くは四国を一周する国道と重複する。
 昭和55年(1980年)に事業開始となっているが、本格的に整備に入ったのは、環境庁ルートが完成した平成元年(1989年)からである。平成11年度の供用をもって完了している。全長1,320.9km(昭和55年の報告書の計画段階では、総延長は1,240kmであったが、本格的に整備が進行した平成4年の時点では、当初より約81km長い1,320.9kmとなっている)のうち、395.7km(当初の計画では377.4km)が愛媛県内を通っている。
 この建設省ルートと遍路道とのかかわりは、建設省ルートが八十八ヶ所霊場をほとんど取り込む四国一周ルートであることである。しかし、霊場をはずれるところでは遍路道とは違ったルートを通る場合があることから、遍路道と完全に重なるわけではない。建設省計画局・四国地方建設局『四国のみち保全整備計画調査報告書要約』1980年の「四国のみち」と「遍路道」の重複部分を見ると、四国全体では約半分の692km(55.8%)、そのうち四国四県で、最も多く重複しているのが愛媛県の291.3km(77.2%)、少ないのが高知県の167.2km(37.8%)である。
 また、高知県宿毛市にある三十九番延光寺のように、建設省ルートからかなり外れた霊場もある。愛媛県内の四十番観自在寺から四十一番龍光寺間で、御荘町平城から宇和島市祝森までの遍路道は二本のルートがあるが、「四国のみち」の建設省ルートは、ほぼ国道56号線に沿っていて、一部重複するが、「灘道」、「篠山道」のいずれの遍路道も通っていない。
 建設省ルートは、平成11年度に十数年の歳月を経て整備を完了した。道標や地名板などは、平成元年に整備を終えた環境庁ルートと共用するものもあるが、道標や案内板など建設省ルート独自の施設も設置された(写真2-2-7)。
 また、両省庁ルート「四国のみち」の共通の「ロゴマーク」は、一般より募集したもので、ルート沿いの案内施設やパンフレットに使用され、遍路や自然を愛する多くの人たちに親しまれている。

<注>
①浅野二郎「讃岐の遍路旧道について-自然歩道への展望をふまえて-」(環境庁自然保護局編『四国のみち保全整備計画調査報告書』P107 1979)
②早稲田大学道空間研究会編『現代社会と四国遍路道』P69 1994
③愛媛県史編さん委員会編『愛媛県史 社会経済3 商工』P662~664 1986
④建設省計画局・四国地方建設局編『四国のみち保全整備計画調査報告書要約』P18~19 1979
⑤建設省計画局・四国地方建設局編『四国のみち保全整備計画調査報告書要約』P5 1980
⑥前出注② P70
⑦前出注② P72
⑧前出注⑤ まえがき

写真2-2-7 建設省ルートの施設-道標・地名板・案内板・休憩所

写真2-2-7 建設省ルートの施設-道標・地名板・案内板・休憩所

四十八番西林寺前にて。大洲市如法寺河原にて。平成13年2月撮影