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瀬戸内の島々の生活文化(平成3年度)

(1)弱冠24歳で家の支柱に

 戦後間もなくの昭和23年(1948年)、それまで家の支柱であった父が病で倒れ、半年の患いの後、不帰の客となった。母も**さんが小学校5年生の時に、すでにこの世を去っていた。5人兄弟の長男に生まれた彼には、2歳年上の姉がいたが、その姉と二人で残された弟妹の面倒をみながら、戦争中の厳しい生活をしのいできた体験をもつ。
 彼の育った家庭環境や家族の生き様が、彼に「家族とは」、「家業とは」、の思いを人一倍強く抱かせるようになった。当時を振り返りながら、彼は、「24歳の時に父が亡くなり、家を支えることになった時には、確かに荷が重かった。それでも、家を出たくても出られなかった自分には百姓しかないと思い、家業の農業を継いだ。今の時代とは違い、これが長男の宿命だと思ってきた。」といい、さらに言葉を継ぎ、「農業をやっていて、たとえ景気が悪くなっても、不況が続いたとしても、誰かがそれを乗り越えて家を守り、土地を耕していかなければ、この町は寂れてしまう。それに今日の生活の基盤を築いてくれた御先祖にもすまない。また、この土地から巣立ち、都会で生活している人々の安らぎの場がなくなるではないか。」
 この思いを、家や土地のしがらみから抜け切れぬ古い世代の郷愁とみるか、大切にしたい日本の心と受け止めるかで、その評価は分かれる。