データベース『えひめの記憶』

えひめの記憶 キーワード検索

瀬戸内の島々の生活文化(平成3年度)

(5)ミカン単一経営の軌道修正

 急速に増え続けた温州ミカン生産も、昭和43年(1968年)の豊作が裏目にでて価格が下がり、生産過剰の影がちらつき始めた。さらに昭和47年(1972年)の357万tという大量生産は、消費とのバランスを完全に崩し、価格の暴落現象となって関係者の頭を痛めた。これまでの、温州ミカン専作型経営の軌道修正が求められたのである。
 上浦町では、ハッサクの栽培を重点的に進める方針が打ち出された。ハッサクの原産地は隣接する因島である。芸予諸島は、気候的にもハッサクの育ちやすい環境にあって、これまでにも優れた果実が生産されてきた。推進の結果は昭和40年(1965年)に町内全体で46haの栽培面積が、昭和50年(1975年)には119ha、昭和55年(1980年)には148haと順調に伸びてきて、愛媛ではトップの産地を形成している(⑤)。
 大三島町では、町内農業者のネーブル園から発見された、枝変わりの果実を調査したところ、色付きが早く、玉太りも良いので「大三島ネーブル」と命名され、その普及に乗り出している。町役場と農協も昭和54年には、中晩柑類振興対策事業で200aのネーブル屋根掛栽培施設を助成するなど、ネーブル産地作りへの計画を進めている。
 同じ越智郡内でも、上島諸島に属する岩城村、弓削町、生名村の島々の人々は、因島造船所などへの就職機会が多く、どちらかというと果樹農業への取り組みが今一歩のところもある。
 その中で岩城村には、昭和28年(1953年)県農業試験場岩城分場が設置され、当時島しょ部の特産として栽培されていた、除虫菊や香料ゼラニウムの試験研究に効果をあげてきた。さらに昭和39年(1964年)ミカンブームの到来と共に農業試験場岩城分場は、果樹試験場岩城分場に衣替えし、島しょ部の果樹の技術開発をめざして現在研究を続行中である。これまで岩城分場で研究開発された、レモンの屋根掛け栽培は、青い果実が特徴で、そのあざやかなグリーンがフレッシュ感を誘い、島のイメージアップに一役買いながら「青いレモンの島」として売り出している。
 中島町では、全国的に市場評価の高い温州ミカンを主力に置くものの、伊予カン比率を大幅に増やして生産の調整を図り、とくに品質の良い果実作りを重点的に進める方針が確立された。