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瀬戸内の島々の生活文化(平成3年度)

4 島の水と生活

 「家庭には、どの家にも貯水用の水がめが備えてあり、この水がめを満水にするのが一仕事で、子供のころにはよく水汲みをさせられました。風呂を炊くとなると、余分に水を汲まなければならないため大変なことで、水は本当に大切に使っていたのです。
 洗濯物は総てといってよいくらい井戸のあるところでしていましたが、当分雨でも降らないと、ツルベに入ってくる水の量は半分以下にもなり、汲み上げる回数も多く、深い井戸に苦労したものです。極端に水が少なくなると、昼間に井戸水がなくなるため、夜中になって水を汲むか、特別に朝早く起きて、やっと少量の水を確保していましたが、井戸の近くに住む人は、水汲みの音で夜も眠れないとこぼしていました。」(魚島村長さん68歳)
 この話のように、島の人々は、大人は大人で、子供は子供で「水」には苦労していた。盆の里帰りは楽しみなものであるが、子供を連れて島へ帰っても、また「水」のことで苦労があるからと思いとどまった女性もあった。工事のために島へ来た若者が、石けんの泡がたたない風呂でびっくりしたり、夏休みで帰郷した教員が、1か月分のミネラルウォーターを買い込んで島へ帰って行った話など、「水」についての苦労話は多い。
 島を取り巻く自然環境は、前章に述べたとおり、年間降水量が1,200mm以下で、特に梅雨期に越智諸島で少なく、秋、雨台風期には忽那諸島で少ない。また、日照時間が年間2,200時間であり、わが国でも有数の多照気候で、水不足や干害を起こすことが多い。昭和を生き抜いてきた島の人々は、戦前・戦中・戦後を通して「水」との戦いに明け暮れたと思われるが、わずかな聞き取りや調査では到底その実態に迫ることはできない。今回調査した島々は、越智諸島も上島諸島も等しく慢性的水不足に苦しんできたし、個人も行政も、全力を傾けて水問題に取り組んできた。
 ここでは、越智諸島の二つのタイプすなわち(1)大三島・伯方島・大島の3島4町に給水できる台(うてな)ダムの建設、(2)石灰岩採掘跡が水源池となった岡村小大下地区カネゲン湧水地、上島諸島の二つのタイプすなわち(3)上島上水道企業団による弓削島・佐島・生名島・岩城島の3町村4島への、広島県から分水された「友愛の水」及び(4)水の海中タンク・横穴水平ボーリングのジャンボ井戸で水を確保した魚島について概略を記述したい。この四つのタイプで、島々の水対策がほぼ浮かび上がるものと考えるからである。
 「生活用水・かんがい用水の確保」と「水の安定供給」。これは島の人々の祈りであり、行政の課題であった。平成の今、ようやく「水」が解決されようとしている。すなわち、現段階の事業計画が完成年度を迎えるとき、島々に水の心配はなくなる。