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瀬戸内の島々の生活文化(平成3年度)

(3)島の将来

 **さん(大正5年生まれ 75歳)
 **さん(大正6年生まれ 74歳)
 **さん(大正13年生まれ 67歳)
 **さん(大正15年生まれ 65歳)
 **さん(昭和4年生まれ 62歳)

 平成3年11月14日、島の民宿「里」で上記の人々と島の生活や島の将来について座談会を持った。公民館長の**さんを除いて皆さんは、第2次世界大戦時には召集を受けた戦争体験者であり、かつ、若いころは島外に出て生活した人々である。現在は島で漁業に従事するかたわら、島の指導的立場にある人である。言葉遣いも丁寧で穏やかな人たちである。保健婦の**さんも言っているように、若いときに島を出て苦労し修業してきたからであろう。
 当日の座談会の様子については、島の将来像についてふれることにする。イワシ網がなくなって島の漁業は、手繰(てぐり)網、五智(ごち)網、はえ縄、タコ縄、建て網、一本釣り漁業と種類も多く操業されていたが、現在はこれらの漁業のうち年寄りでもできる一本釣りと建網が中心である。24経営体のうち島の漁師は釣組と建網組のどちらかに所属しているが、網としてはサヨリ網(2人で共同)があり、その他タコ壷1人がある。昔の漁船はほとんど「チャンコ」と呼ぶ木造の無動力船であったが、昭和46年ころにプラスチック船が入ってきた。動力船22隻はプラスチック船で、1隻当たりのトン数は1.22t、馬力数23psではあるが、ほとんどの漁船に魚群探知器を装備している。青島は昔から魚介類、海藻類の好漁場として知られたところであるが、最近は対岸の潜水漁業が島の周辺で行われ、資源の減少が心配されている。将来の島の漁業資源保護という点からも、自分たちの漁場は自分たちで守るのだという自衛意識も大切である。長浜漁協から入漁してくる潜水漁民が、「2年間他地域からの入漁を認めず漁場を守れば、アワビ、サザエ、ナマコだけで1億円の水揚げは可能である」と言っている。
 今の24経営体の漁師は5年たてば10人未満になるのが目に見えている。まさに島の漁業は最大の危機を迎えているのが現実の姿である。島外に出ている若者を呼び戻すことは、小・中学校が廃校になっている現在では無理な話であるが、島外に出ていて退職を迎える者とか、子供の教育に心配のない者が帰島して、せめて今の漁師数を維持できる方策を考える必要がある。
 公民館長の**さんは旧大洲中学出身のインテリである。**さんが大阪の職を辞して帰島したのは昭和53年である。公民館長に推され、島の活性化と島民の意識改革に取り組んでいる。**さんが島を出て帰島するまでの50年の半生の、多様な体験から出てくるアイデアと実践力を期待するものである。
 **さんは島の将来について、一つの考えを持っている。すなわち、島民の住宅を集団化する。余った土地を有効利用するために町に提供し、そこに石油備蓄基地とか、遊漁者センター基地とか、臨海学校などの健全なレジャー基地を造れば、島の自然環境を破壊することなく島の特性を活かすことができ、活性化できる。そのためには行政の強力なてこ入れが必要であり、もう一つは「私が死んだら好きにしいや。わしらが居る間は今のままがええがな」という島民の意識改革の必要性を力説した。