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宇和島市

谷脇恩竹(1693~1762)

 俳人。商人。宇和島城下(現、宇和島市)を中心に活動した人。本名は六郎右衛門。若い頃、俳諧をたしなみ、談林派の椎本芳室(しいのもとほうしつ)に入門している。浦川富天(うらかわふてん)の『棗亀(なつめがめ)』にも登場し、連句の『妻戸埜並那(めとのはな)』にも句を寄せるなど、宇和島俳壇の中心的存在であった。(『愛媛人物博物館~人物博物館展示の愛媛の偉人たち~』より)

【椎本芳室の寶篋塔について】
 この寶篋塔は、大阪の談林派俳諧の宗匠、椎本芳室(寛文4年~延享4年)の長寿と功績を賛四言六句の漢詩を刻した寿蔵(生前建立の墓)で延享3年に建立された。
 建立者の谷脇恩竹は宇和島の商人で芳室の弟子であり、芳室編の俳諧集「蓍(めど)の花」には句を付けている。したがって、俳諧の卑俗化、大衆化が進んでいた当時の都市の点者と地方の門人の親密な関係をこの寶篋塔は示したものと言える。(中略)
 また、寶篋塔は元来「寶篋印塔」と呼ばれ、四十句の経を納める方法の塔を意味した。日本では江戸時代以降墓標として用い、基礎・塔身・笠・相輪から成るのが普通であり、この寶篋塔のように自然石のものは珍しい。なお、最初恩竹が建立した場所については、現在のところ特定できない。(宇和島市教育委員会が設置した説明板より)

①龍光院の寶篋塔

①龍光院の寶篋塔

宇和島市天神町1-1